奥浜名感懐(2023-2024) 6.サルスベリの夏休み さやのもゆ
7月も下旬になると、学校の夏休みが始まった事もあって、朝の通勤路が静かになる。
考えてみれば、私にも子供時代がありー当然、夏休みがあったのだけどー。
今思えば、小学生の頃の夏休みが一番良かった。行く所といっても、同じ地区にある父の本家(ほんけ)か、三ヶ日の母の実家くらいのもの。あとは、家にいることが多かったのだが。
もっとも昭和50年当時の夏は、今のような「危険な暑さ」ではなかったからー夏の1日のうちでもっとも気温が高い午後の何時間かを、家の庭でひとり遊びをして過ごせたと、記憶している。
私のお気に入りの場所は、家の南側にある花壇と父手作りの築庭の間に植わった、サルスベリの木かげだった。
そんな畳半分のすき間で何をしていたかは、全く覚えていない。おそらく、ただ座ってぼんやりしてたーそれだけであろう。
今もこの目に焼き付いているのは、あざやかなピンクに咲き誇った、サルスベリの姿。そして、花の樹間から仰ぎ見る空の青が、くっきりと映っているのだ。
だがーささやかな思い出の常だろうか、年とともに何時(いつ)の間にか忘れ去ってしまった。
しかし、あれから何十年も経った今に、ふたたび記憶を戻したのもまた、サルスベリであったのだ。
勤め先の工場は、浜名湖西岸の南端に近い丘陵地だが、工場出入口の道路向かいは草原(くさはら)の空き地になっている。奥まったところには店舗兼住宅が建っていた。
道路から入る敷地内は舗装されており、駐車場や自販機がある。
そして、アスファルト舗装と草原の境に沿って三本のサルスベリの木が植わっていた。
自販機に行く時に、向かって左から二番目のサルスベリをはじめて意識したときー私には、小学生の夏休みに遊んだ時のサルスベリの記憶がよみがえってきたのである。
この日の出会いをさかいに、私はほぼ毎日のように自販機に行く用事をこしらえてはサルスベリの木のそばに行き、ちょっとした変化を見つけたり定点撮影をしたりして楽しむようになった。
サルスベリ三兄弟?の二番目、真ん中に立つお気に入りの木は、数メートルの高さで枝ぶりにもバランスが取れている。それに、低く差し伸べた枝先には優雅さが感じられた。
いつ花が咲くだろうかと、心待ちに7月を過ごしていると、先に葉っぱの色が黄や赤に色づき、落葉をはじめた。
あれ?いきなり秋になるのかと思いきや、今度は遠目にも木の全体が、枝先を褪めた色に変えていく。何が起こっているのか気になり、そばへ行ってよくよく見るとー。
それは、葉っぱの色が変わったわけではなく、いつの間にか蕾(つぼみ)が花の穂をかたち作っており、その鈴なりの重みに枝垂れ(しだれ)ていたのだった。
高く青い空から、もぎたての雲が風にふりさけ、地に落ちてくるー夏の盛り。
つぎの八月が訪れた意味に、気づけないでいるうちに、広い草野原に点々と植わったサルスベリの木が、薄桃色の花をひとつ、またひとつと-ふさ飾りのように咲かせ始めた。
7月に入った頃、早くも葉っぱを落とし始めていたのが不思議だったけれど-思えばこれが、花のきざしだったのだ。
サルスベリの開花に些か出し抜かれたのは、私自身の花色の印象が違っていたからであろう。
家に帰って母に、わが家に植わっていたサルスベリのことを訊ねると、意外な答えが返ってきた。
「ウチにあったサルスベリは、名前の『すべる』というのが縁起わるいもんで、だいぶ前に伐ったんだよ。
アンタが言ったサルスベリって、うす桃色?
確かウチのも、そんな色だったけどね。
だから多分、昔からあった品種なんだと思うよ。」
わが家のサルスベリも、うす桃だったなんてー私の記憶はいったい、どうなっているのだろう?
おそらくは、ささいな記憶ちがい、なのだろうがー証拠はなく、わが家のサルスベリの木は、既に伐られて久しい。
こうして数十年の時を経て、再びこの木を見出したのもまた邂逅(かいこう)、なのだろう。
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