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sumu 3 「ユラストヲリ」に想う 4       /さやのもゆ


 空間が、アートを変える-原泉から沼津へ

 2021年2月に、原泉アートプロジェクトがオンライントークをYouTubeにて配信した「アーティスト・イン・レジデンス」。その第4弾に北見美佳が登場したので、リアルタイムに視聴した。北見からは、事前に「内容は『原泉アートデイズ!』で宮本さんにお話したような感じになると思います」というメールを頂戴していた。しかし、それは氷山の一角。実際に視聴したらところ、私に話した事どころか盛り沢山に充実したトークを展開していたので、北見美佳というアーティストの絵画と人間像にまた一歩、近づけたように感じたのだった。

 トークの終盤に差し掛かったところで、北見からの個展開催の告知があり、3月19日~28日に沼津ラクーン8Fにおいて『ユラストヲリ』原画展を開催するとのことだった。会場は、ギャラリーではない「スケルトンなビル」なのだそうで、北見が原泉で培った空間を生かした展示の手法を(場所を変えて)どのように具現化するのかを、この目で見てみたいと思った。

 

 光と影、時と空間が魅せるもの

「ユラストヲリ」原画展が始まってからというもの、私は落ち着かない日々を過ごしていた。いつ、何時(なんどき)に行こうか、平日に行きたいけど、状況によっては来場を控えた方がいいのかな…等々。Facebookで会場の様子を知ることはできたが、これはあくまで視覚的に得られる情報である。本当の意味で「ユラストヲリ」の絵空間を(五感で)体感したことにはならないのだ。それに(自分の勝手ではあるが)、これまでSUMU 3「ユラストヲリ」を通して、画家・北見美佳を文章で綴ってきた私としては、沼津ラクーンでの「ユラストヲリ」を観ずして、これを完結させることはできない。そんな思いで沼津に出掛けたのだった。

-移りゆく光陰、閃く「ユラストヲリ」のかたち-

 沼津に行くのは久しぶりで、直近でも一年振りくらいか。前回の沼津行きも北見美佳の個展を(休業中の吉田温泉にて開催)観に行くためであった。

 平日の昼すぎに沼津駅前に到着し、沼津ラクーンに入る。エレベーターで会場に向かったが、8階が近づいてくると、扉の向こうがどうなっているのかが気になりだした。だが、私の気持ちをよそに8階の扉は開き、いきなり展示会場があらわれた。正面には北見美佳が立っており、エレベーターの演出効果?のおかげもあってすっかり面食らってしまった。本人を前にして、普通に挨拶するのがやっとだった。

 光と影のモザイク、帯を切る断層

沼津で再会した、「ユラストヲリ」の原画(30点)。スケルトンに大きく窓をとったギャラリーは、光と影のストライプがモザイクを切っている。時として、いつの間にかあらぬ形に絵のスポットを切り取りながら、刻々と姿をかえてゆく。移ろう光陰に閃く「ヒカリノカモシカ」の横顔は、いまにも幻につきてしまいそうな、砂礫の彫像を思わせた。。

「SUMU 3」は北側の窓際に、物語と絵は西の窓に面して展示されており、午後の日差しがすこしずつ奥へ届いていくところを、北見はつぶさに眺めていた。同じ時間帯でも、日を追って照らされる絵の位置が変わってきているのだそうで、天候がこれほど展示空間に影響をあたえ、絵にもまた作用するというアートも珍しいのではないか。

  光幻-ヒカリノカモシカ 

 物語をじっくりと鑑賞し、北見に「お聞きしたい事があるのですが…、」とお願いしたところ、「取材ですね?」と、気さくに応じてくれた。彼女は、「SUMU 3」を十数㍍先の正面に観るおすすめのポイントに椅子を用意してくれて、さっそくお話をはじめた。以下の文は、北見との会話だけを順序立てて述べたものではなく、たゆとうように綴られたものである。私の文章より、北見美佳というアーティストの語る言葉にフォーカスしていただければ、とおもっている。

 

 逆光の影をつらぬいた、光りは朱い

ー昨年の「原泉アートデイズ!」(2020)では、絵本「ユラストヲリ」の原画展を原泉の旧茶工場で鑑賞した。2021年となった今はここ、沼津ラクーンでの個展として同じ絵でありながら、別の「ユラストヲリ」を観ているように思われた。空間を生かしたアートの展示の可能性、その限りなさの一端をも観ているのだと。原泉と沼津、ふたつの展示会場のそれぞれの特徴をお聞かせください。

 原泉(旧茶工場)は窓からの光が無いから、完全に絵と向き合って鑑賞できるもので、そちらの方がじっくり見られたように感じる。(絵が)天候によって変化しないし、沼津(の会場)のように空調の音が無くて静かだ。ここ(沼津ラクーン)は沼津駅前に面した8階で、立地の良い場所。「ヒカリノカモシカ」が 人間界に降り立ち、外の世界との繋がりというものが出てきて、メッセージ性も帯びてくる。外の景色もいい。夜になれば、絵を照らす照明が窓の外にも映り、街の明かりとつながる。(道路を挟んで向かい側にある)ホテルの屋上看板の青い光、これが(白色の照明をあてた)絵にも青く映ることで(絵に描かれている)森の奥行きが広がる効果が得られた。

 原泉は視覚的にも光線の状態が変わらず、外からの影響に左右されない、一定の状態に保たれた絵を観られる。逆に沼津は、一日の間で時間ごとに絵の状態が変化し、お日さまの力、というものを感じる。日々の変化もあり、太陽の軌道のズレによって、ちょっとずつ(絵に投影する)スポットが変わる。夕日の沈む場所も。

 窓枠や柱(広い会場内には間隔を空けた2列の柱が南北に並ぶ)が、木に見える。夕方、影が伸びてくると、赤い夕日が赤く彩色された絵にあたって、一層赤くなる。

ー滞在制作がアーティストに影響を与えるものについて、原泉、という場所が北見さんにどう作用したのでしょうか?

 (それぞれのアーティストによって)個人差はあるが、多くの作家は普段は都会に居住しており、制作場所は限られている。私も(沼津の)街中にアトリエを構えているので、大きな絵を描いたり大きな音は出せない。だから、原泉ならではの環境の豊かさはありがたい。ここでは、何を制作するのかを考える時間がもてる。居ながらにして考える、それは有機的なこと。土地を耕して芽がでて、やがて実りを迎えるように。

 私は、原泉の川(原野谷川)で育っているようなもの。(生まれ育った)松崎町では一日に三回は水遊びをしていた。

 伊豆の自然(環境)はワイルドで、危険を感じるところもあったが、原泉のそれには危険を感じない。子どももファミリーも一緒に自然に親しめるようなまろやかさ、ゆったり感がある。自然が強すぎると圧倒されてしまうが、原泉はちょうど良い。私は(伊豆育ちで)ワイルドだから、原泉は物足りないのかもしれないと思ったが、ここの「ゆるさ」がいいことなんだと、安心というか。かくして「ユラストヲリ」は、こんなに壮大な物語になった。

 

ー絵本「ユラストヲリ」を読むと、既存の絵本と比較してもボリューム感があり、ずっしりとした印象をもちました。人によれば、この一冊で何冊かの絵本が出来そうだと言うのかもしれません。

 この重厚感を充足した読後感にかえてくれたものはなんだろう?考えたのですが、北見さんが原泉で言っておられた、「時系列に物語を進めるのでなく、時を行きつ戻りつする『たゆたう余白』をもたせた」ことが、功を奏しているように思います。

幾通りもの時間軸の流れがたゆたうことで、物語の世界観としての空間が限りなくひろがり、読者が各々の物語として体感できる、思いを重ねる余白を与えているのかなと。

 時間軸についてー絵を描いている時に、友人の「この絵は、縦にも横にも拡大できるんだね。四季や、時間の変化にもつながっていくよね」という言葉がヒントになった。上下(縦)は朝から夜、左右(横)は

四季(の移り変わり)。「SUMU 1」の展示スペース、あのスペースだったからこそ、物理的にも(絵を)置けるし、土(大地)のひろがり、宇宙が見えた。2年目もお願いして制作し、3年目は絵本を作ることになった。

ー北見さんは、現地調査を大切にしており、原泉での滞在制作においても風景をスケッチしておられたとお聞きしましたが、原泉の風景を絵に捉える時に、ご自身の思いが投影されるーそんな風景に出逢ったのでしょうか?

 原泉の自然のなかで、そのような機会をもらった。視ている眼だとか思っていることが、手にしている筆先に表れる。スケッチは、自己に向き合うこと。メモを取ってポジションを確認、整理する感じ。時として、自分が向き合っている対象をとおして視ているものー感動、思いを描いていることがある。

 原泉で、引きつけられるものーお茶畑が新鮮に感じられて、視界がいい。爽やかな風が、お茶畑を通って吹いていくのを感じる。お茶畑があるからこその、道が好き。人の手がきれいに入っていて、愛されている感じ。農家の方がちゃんとしていて、気持ちよい。カモシカもいる。

ー展示会場は、陽光を取り入れるスケルトンな空間であるので、そのような場所に絵を展示しているのは保存状態を良好に保つ上で、どうなのかなと、気にしていた。どこのタイミングで言おうかとモタついていたら、北見の方から言ってくれたのでホッとした。
 絵にとっては、日に当てるのは(劣化を早める事になって)良くないのは承知しているが、自分が生きている間に愉しめたら、と思っている。私は、日に当てたい」派

ー最後に、ユラストヲリの物語では、始まりと終わりにシラサギが登場します。この鳥は物語のなかで、「来し方と行く末を視ている」重きを置かれた存在感がありますね。

 シラサギは、緑の中の白ーこれが美しい。神だと思った。偶然に見かけることはあっても、見ようとして見られるものではなかった。

ー北見が、夕日が降りてきたと教えてくれた。ほのかに朱い西日が、物語の始まる夕暮れ、ひるがえる裳裾を浮かびあがらせていた。わたしにも帰る時が来ていたのを、夢から覚めたように思い出した。

帰路は高速を使ったが、沼津で「ユラストヲリの夜景」を見られなかったのが非常に残念で、後ろ髪を引かれたままの気持でいた。すると、行く手に富士宮の美しい夜景が天の川銀河のように横たわっていた。すっかり魅了されてしまった私は、地上の星々のなかに、「SUMU 3」の記憶を投影させて夜景と共に賛美する事で、自分をなぐさめたのであった。

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