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朗読講座を終えて。最終回は発表会にて『外郎売り』に挑戦/さやのもゆ
私さやのもゆは、昨年9月より掛川市中央図書館の朗読講座(月一回、全6回)を受講しました。
講師は、遠州地域の各所で朗読の指導をされている堤腰和余(つつみこし・かずよ)先生です。
講座の最終回は、受講者全員による〝発表会〟ということで、前回の講座の時に先生から説明がありましたー5分程度のテキストで基本、何を朗読しても良いが、なるべく講座で学んだものにして欲しいーとの事。
私は先生にお礼の意味も込めて、教えを頂いた成果をお見せ出来ればと、3回目の時に習った「外郎(ういろう)売り」を発表することに決めました。
この外郎売りは、実を言いますとー私が数年前から朝の通勤時間を利用して、車中練習していた(もっとも、トチらずに出来た試しは一回も無いけれど)、馴染みのある?テキスト。
これなら比較的、平常心で発表出来そうだと考えたのです。
それに調べてみたら、全文を朗読すると(スピードにもよりますが)5分~6分かかるという事なので、頑張って早口で朗読すれば5分以内に収まりそうでした。
そんなわけで、1ヶ月後の本番を目指しての、普段通りの練習を続けたのですがー。
ここへきて、結構間違えて音読している箇所がある事に気がつきました。
しかも、数年に渡って間違った通りに練習していたのが災いして、シッカリと癖がついているから余計に厄介です。
もう、ここまで来たら開き直るしか、ありません。
カンペキにクセを無くすのはサッサとあきらめてーこの際、付け焼刃でも何でもいいから、講座で頂いたテキストを見直し、訂正箇所を確認しました。
1ヶ月といっても、月日の経つのは早いもの。決して準備万端とは言えないままに、本番の日を迎えたのです。
当日の午後1時半頃、掛川市中央図書館の会議室に入ると、すでに堤腰先生がいらっしゃり、受講者とお話をされてました。
先生はいつも講座の始まる前や休憩時間に雑談をなさるのですがーこれは私たち受講者の緊張を解きほぐす目的も、あるのだそう。
先生のお心遣いをありがたく受け止めると共に、豊富な話題から引き出されるお話にしばし、時の経つのを忘れーほどなく定刻となりました。
始めに発声の基礎レッスンと、「おあやや、おあやまりなさい」のテキストを順番に音読したあと、休憩をはさんで発表会が始まるのですがー。
発表順はどうなるのかな?と、思っていたらー休憩時間になって先生が「発表会の順番は、あみだクジできめましょう」と、おっしゃりーボードにサッサとタテ線を引き始め、その後で指示に従って、皆がめいめいに名前を書き入れました。
最後に先生が、適当に1~9番までの数字とヨコ線を入れ、1番から先にアミダをたどって順番を決定。
私は5番目になりー1番じゃなくて良かったと、ホッとしました。
休憩時間が終わり、いよいよ発表会が始まりましたがー。
講座の中で行われるにもかかわらず、自分が思った以上に緊張しているのには、ビックリ。
もともと、人前で話すのがあまり得意ではなかった私ですが、そんな私が唯一自分を表現出来るのは、〝朗読〟でした。
それを、今さらのように気づいた事で、かえって緊張してしまったようです。
5番目だというのに、私の発表の番はすぐにやってきました。
ここでグズグズしても仕方がないと、思い切って「外郎売り」の朗読を始めました。
最初の口上は、外郎売りの由来とか店舗の道順に家名の自慢?などの言わば、紹介に当たるので、なるたけゆっくり目に語りました。
そして、薬を飲んだところで一気に舌が回りだすようにして、最後のセリフ「ういろうは、いらっしゃりませぬか」でバシッと決めようと。
自分なりに、メリハリをつける工夫をしたつもりでしたがー。
緊張のためか呼吸を上手く挟めず、苦しい口上?になってしまいました。
後半では声がしゃがれてきましたが、気合いでなんとか引っ張り、最後まで完読。
ホッとしたけれど、自分としては納得が行きませんでした。
だってー普段の練習では、こんなに苦しくなったことなんか、一回も無かったのに。
出来としては、60点といったところ(本人評価)でしょうか。
発表のあとで先生が講評してくださいましたがー次のように仰いました。
「あなたは、早口なところがある?(ハイ、そうです)
発表では「外郎売り」を早口で朗読したという事だけど、これに色を付けるとしたらー。
最初の口上の所を、もっとユックリに語って、薬(頂透香=とうちんこう)を飲んで効能があらわれる様子(異様に舌が回る)を述べるところと、メリハリをつけたら良いと思うの」
正直に言いますとーそれまで私は、「外郎売り」を5分以内に完読する事に力を注いできました。でも、発表を終えて先生のお言葉を頂いた時、はじめて自分の考え方が誤っていたことに気づいたのです。
先生は、これまでの6回に渡る講習のなかで、アクセントを始めとした発声の基礎において、細かく教えて下さいました。が、それ以上に「聞き手に伝わる言葉の表現」を重視されておりー読んだその場でハッキリ指摘すると同時に、納得の行くまでやり直しをさせて下さったのです。
発表の「場」というものを何よりも大切にしていて、ご自身でも178回(2025年2月現在)にのぼる「ひとり語り」の講演を続けておられる、先生だからこそのお言葉でした。
最後のトリを務められた方も、「外郎売り」を選ばれましたがー身振りを交えながら、まさしく外郎売りを演じており、この方がいいなと思いました。
先生が「これなら売れそうですね」と、感想を仰ったところーご本人は「外郎売り」を習いたいがために、この講座を受講したのだとか。ただ、肝心の外郎売りをレッスンする回は、お仕事で行けず・・残念な思いをされたそう。
だからこそ、この日の発表には並々ならぬ気合いが、入っていたのですね。
他の皆さんは、谷川俊太郎の詩『生きる』『ありがとう』、沢村貞子の随筆『ミカン売り』、まど・みちおの詩『ああ どこかから』を朗読され、なかでも昨年(2024)亡くなられた詩人・谷川俊太郎の『生きる』を選ぶ方が多かったのが、印象的でした。
先生は受講者ひとりひとりに対し、丁寧な感想を述べておられましたが、しきりと仰っていたのはー。
「詩のなかに、一連ごとに反復する同じ言葉がありますが、これを全部同じように読んでしまっては『もったいない』」
と、いうことでした。
例えば谷川俊太郎の詩『生きる』は、第1連から第5連からなっていますが、各連の冒頭はすべて「生きているということ」に始まっています。
先生は、各連の「生きていること」はそれぞれに内容が違うのだから、当然読み方も変わる筈だと、こう仰いました。
朗読講座の受講を終えて。
今は基礎を学んだところですがー朗読の奥深さを、私なりに痛感した次第です。
ひとつひとつの作品を読み込んで理解し、さらにこれを朗読で表現することは非常に難しいのですがーだからこそ、やりがいもあるのだと。
そして、人から人へ大切な何かを伝えることが出来るのですから。