立ち食い蕎麦屋のバイトから始まってその後インドネシアに住み昨年帰国したサラリーマンの話 その5
前任の置き土産
住居は日本人向けのサービスアパート。7人くらい住んでいた。
朝食、掃除、洗濯、アイロン掛けのサービス込み。夕食は前日に申し込めば準備して貰える。
部屋は駐車場の横、そのサービスアパートの中では一番広い部屋との事だが、如何せん駐車場と守衛が近いのでうるさい。ここに3ヶ月くらいは住む事になりそうである。
朝は4時半に起き、6時まで独学で英語とインドネシア語の勉強。
シャワーを浴びて6時半に食堂で朝食。
7時半にはアパートを出発できる準備を終えて、前任の迎えを待つ。
※インドネシアの日本人駐在員は、ほとんどが運転手付きの社有車である。
8歳ほど年下の、前任との引継ぎ開始。
引き継ぎ書のドラフトを受け取って読んだが、全く理解出来ない。
当たり前だが、日本の通関制度や港湾システムと全く異なり、勿論「単語」も違う。インドネシアでの「単語」に出来る限り「英語」も付けて貰うように依頼する。
前任と取引先へ挨拶回りに行くのだが、この前任が非常に時間にルーズ。
取引先とのアポが10時なので、8時に迎えに行くと言っておきながら、8時を過ぎても8時半を過ぎてもアパートに来ない、遅れるとか何時頃になるとかの連絡も無い。
こちらが時間を間違えたかと思い携帯へ電話すると、謝罪の言葉もなく遅れる理由もなく「9時くらいになりま~す」この「ま~す」と伸ばす口調が非常に腹立たしい。
到着した前任は車内で寝ている、挨拶もない、酒臭い、香水臭い。
当時(現在も)ジャカルタは渋滞が世界有数の酷さで、時間通りに着くことは珍しいというのが駐在員の常識となっていたため、渋滞で遅れますと言えば、ほとんどの場合、理解を得られる事が出来たが、機嫌の悪いご担当者と初対面という事も何度かあった。
(ワタシは渋滞を予測して早く出発すべきだと思う、おそらくその方も同意見だっただろう)
当時の現法社長はこの前任に「引継ぎ期間は2ヶ月、その間土曜日は毎週出勤で引継ぎ」という厳命を与えたが、ワタシが土曜日に会社に出社しても全く出勤して来ない。
月曜日に社長に「土曜日は引継ぎ進んだ?」と聞かれ「彼、出社しませんでしたよ」社長が問いただすと、取引先の方にゴルフに誘われて断れなかったと言う。理由はどうあれ、出社する・しないの連絡すら出来ないオトコ。
この前任、非常に頭は良い、語学も堪能、仕事も出来る、ところがインドネシア駐在は僅か数年で異動になる訳だ。 何故短期間で異動になるのか本人は考えが及ばない模様で、不貞腐れているのが言動共にありありと分かる。
彼の引継ぎだけを悪く言うつもりはない。ワタシの理解度の低さもあり、引継ぎ期間内で引き継げたのはおそらく30%程度だっただろう。仕事は不安で一杯であったが、それでも前任がジャカルタを発った日は、離れられた事が嬉しくて仕方がなかった事を覚えている。彼と一緒の時間は苦痛でしか無かった。ここからが本当の苦しみになる事は想像がつかずに。
最初の地雷は前任の置き土産、ある取引先の未回収債権の処理。
社長が何度も前任に解決するように指示していたが、結局は何もせずに置き土産に。
華僑系のインドネシア会社、女性社長。電話やメールはほぼ無視なので、アポを取って直談判。
初対面で驚く、胸元が大きく開いたドレス、おっぱいがほぼ丸見え。
これが彼女の戦略なのだろう。
社長曰く、請求書を受け取っていない、請求書の金額が見積と違う、請求書に立替金のエビデンスが付いていない、だから支払えない、責任はそっちだと。
一旦会社に持ち帰って、全て調べる。確かに当社側にも不備はある。然しながら何の連絡もなしで、ほったらかしにしているその会社の対応は許せない。
請求書をコンプリートにし、持参する。
その場で全てチェックしてもらい、相違が無い事を確認。早急に支払う様に依頼する。
期限は一か月以内と宣告し、もし支払いが無い場合、取引は即時停止にすると宣告。
女性社長はまくしたてる、おたくのサービスが悪い、手配が遅い、料金が高い、ありとあらゆる不平不満を述べる。
「まずは支払って下さい。」それだけ言って帰ろうとする私を引き留めて、同じ内容のクレームを繰り返す社長。正直なところかなり短気なワタシは、自分で一つだけ自分を律する事を決めている。
「怒る時こそ冷静に」
社長に向かい
「そこまで当社に不満があるなら、他の業者様を使った方がいいですよ。当社は御社にお支払い頂くまで、新しい仕事は受けられませんので、他社様のサービスを試す、いい機会となされて下さい」
そう言って席を立ったワタシを、社長は二度と引き留めなかった。
続きます