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立ち食い蕎麦屋のバイトから始まってその後インドネシアに住み昨年帰国したサラリーマンの話 その21

若い頃からぼんやりと「いつかバイクに乗りたい」と思っていた。就職後は車が趣味となった事もあり、バイクにチャレンジする機会も金銭的余裕も無く、更に40代前半からこの年までほとんど海外生活となってしまった事もあり、半ば叶わぬ夢と諦めていた。

インドネシア駐在中の2012年からブログを書き続けているが、ある日バイクに乗られていらっしゃる方のブログに出逢い、その爽快な内容に惹かれ読者登録し、その方のブログを見るのが日課となった。たまたま取引先に日系のバイクメーカーへ部品を供給している会社があってバイクの話を聞かせて頂いたりし、さらに社員の憧れの的であった人気車種が日本へ輸出され販売されている事を知り、益々興味は募っていった。

日本に帰任、体調を崩して役職を外され、降格されたワタシは、運の悪さを嘆くしかなく、仕事に全くやり甲斐を感じない毎日、更に土日は余計に気分が落ち込み、自宅でゴロゴロしYou Tubeでバイク動画を見るばかり。そんな自分がとても情けなく嫌でたまらなかった。

バイクに乗りたい、思いは募るが家族は当然大反対であった。それでも覇気がないワタシの顔、土日ゴロゴロしている怠惰な姿、休みになると増える酒量、家族も少しずつ態度が軟化。
そんなに乗りたいならどうぞ。但し家計からの出費は出来ないよ、と家内が言う。

幸運にもインドネシア駐在中の2020年~2021年は、コロナ禍で外食や夜遊びがほぼ皆無であったため、この2年間で想定外の金額の「へそくり」が貯まっていた。右手は完全復調とは言えないが、日常生活での支障はない程度にまで回復、決断のタイミングだと思った。

通勤沿線に小さな自動車教習所があった。2022年3月30日(水)、メニエール・高血圧・持病の本態性振戦の治療で通院した帰り道、衝動的にその教習所に飛び込み「普通自動二輪教習」の入校手続きをした。男性職員の案内で駐輪場へ行き、教習車を見せて頂いた。その職員の顔には「おっさん、やめとけ」と書いてあった。無理もない。自分でも驚いていた。

教習所はコロナ感染対策で人数制限を行っていたため、「入校式」はなんと一か月後の5月2日(月)、この入校式の日から教習を受ける事前予約も出来たのだが、「腹部大動脈瘤の定期健診」が5月3日(火)となっていたため、5月4日(水)を教習初日として予約した。

教習期限は「初めてバイクに乗った日から9か月」もし5月2日の入校式に教習を受け、翌5月3日の定期検査で「手術」となった場合、手術と入院期間で教習期限の9か月のうちの数週間を無駄にする可能性があったため、検査日の翌日を初教習日とした訳である。

ヘルメットは教習所の物を借りる事とし、グローブとブーツを購入し、初教習日に備える。

5月4日、教習初日。教習車はHONDA CB400、デカいし重い。初日は引き起こしと取り回し程度と思っていた。一通りバイクの仕組みや取扱いの説明が終わると、教官がいきなり「コースを走ってみて下さい。走ってみて無理だと感じたら小型二輪に変更しましょう」と言う。やはり年齢で中型は無理だと判断している様だ。更に教官が続ける。「今までで自動二輪の最高齢の教習生は70歳でした。教習初日に事故を起こして救急車で病院へ運ばれました。」怪我でもされたら面倒臭いから、いっその事初めから小型二輪に変更させようという魂胆であったのだろう。

自動車免許を取得した21歳頃、友人の50cc MTバイクを借りて乗っていた経験があった。バイクの大きさの違いはあれども、数十年前であっても体は覚えているはずと全く根拠のない自信があった。安全確認し発進。転倒はおろか一度もエンストする事無く、コース外周を3周廻った。教習終了後の教習簿の申し送り欄には「CB400にて外周3周」と追記されていた。ちょっと鼻を膨らめた。

一番のストレスは教習の予約が非常に困難であった事。コロナ禍で教習の人数制限、加えてバイク人気と相まって、なかなか教習の予約が取れない。一回の予約で取れるのは2コマのみ。その教習が終わらないと次の予約が出来ないシステムとなっているため、運が悪いと二週間に一度しか教習を受けられない事もあった。これでは免許取得までどれだけ時間がかかるかわからない。

予約の取れていない土日は朝から教習所に行き、ひたすらキャンセル待ちをした。何時間待っても乗れない日もあったが、だんだんキャンセル待ち成功のコツもわかってきた。降水確率の高い日、既に雨が降っている日、日曜日の最終教習時間がキャンセル待ちの成功率が高かった。(今思えば当たり前だが) また夜中でも早朝でも目が覚めたら携帯で予約サイトを確認する、何度も急なキャンセルで「空き」を獲得して教習を受けた。
補習を一度も受ける事無く、順調に教習を重ねる。当初は教習を終えられるのは8月末頃になるかと思っていたが、かなり早く免許が取れるかも知れない。

ネットでバイクを探す。全く知識のないワタシは、400ccは車検がありきちんと整備されているはずなので中古でも構わない。250ccなら車検が無く状態の悪いバイクに当たる可能性があるので新車、と決めていた。教習車のCB400のパワーで十分さを感じていたので、中型免許取得後の大型免許の取得や、大型バイクという選択は皆無であった。また400ccの重量での取り回しの難しさ、マンションの駐輪場の狭さ、維持費等を考えると、選択肢は
おのずと250ccに決まっていた。(ちなみに本体価格は400cc、250ccで大差は無かった。)はやる気持ちを抑えきれず、バイク屋へ行き候補車を探してみた。行く前から既に目星を付けていた、SUZUKI GSX250R トリトンブルーメタリック。やはりカッコいい。実車を見てこれにすると決める。

もうこれで決定 のつもりであった

はやる気持ちを抑えられず、二週間後にまたそのバイクを見たくなりバイク屋へ行く。ところがそのコは既に売れてしまっていた。別のバイク屋へ行ってみようかと思った時に、真っ赤なバイクが目に映った。

美人 一目惚れ

KAWASAKI NINJA 250
前モデルMade in Indonesiaでのラインナップでは無かったレッドカラーが、Made in Thailandの最新モデルから導入された。カラーの正式名称は「キャンディパーシモンレッド×メタリックグラファイトグレー」これがなんとも美人であった。一目惚れしたワタシはまだ免許取得出来ていないにも関わらず、その場で契約書にサインをしてしまった。

もう止まらない。やる気満々モードに突入。間違いなく自身の人生最初で最後のヘルメットは、何故か家内イチ押しのSHOEI GT-Air2 Lucky Charms。予算大幅にオーバー。

うんうん いいね

さらに上下プロテクター、メッシュジャケットも購入。残るは免許取得のみ、準備万端。(常識では免許が先です、バカですね。)

やはり借り物ではなく自分のヘルメットを被ると気持ちも弾む。順調に教習をこなし、2022年6月25日(土) みきわめ合格。ここまで1度も補習無し、自信満々であった。

いよいよ卒業検定。

2022年7月2日(土) なんと一本橋で落下し検定即時中止。失格。
2022年7月8日(金) 午前半休を取得し補習を受ける。
2022年7月9日(土) 2回目の卒業検定、またもや一本橋で落下し
         検定即時中止、失格。
2022年7月10日(日) 補習を受ける。

焦る・・・こんな筈ではなかった・・・バイクは既に契約済み。急に不安ばかりが募る。このまま卒業検定が通らなかったらどうしよう。一度も乗れないままバイク売却か?気持ちが落ち込む、憂鬱な二週間。卒検失格後の2回の補習も、一本橋の成功率は低い。毎日の通勤時、自転車で歩道の白線の上をそろそろと逸れない様に乗り、練習を続けた。

2022年7月16日(土) 3回目の卒業検定を迎えた。起床、ひたすら祈る、喉が渇く、食欲皆無。教習所に到着、もう吐きそうであった。おそらく自宅を出る時の表情は真っ青であったのだろう。検定を待つ間、ムスメから「三度目の正直だよ♪」と励ましのラインが入った。

検定スタート。前後を見てサイドスタンドを上げ乗車、ミラーの位置を調整、後ろを振り返って安全確認し発進。まずは一周外周し、坂道発進、S字。ここまでは楽勝で通過し、ついに次は一本橋。一本橋の前にバイクをまっすぐに向けて一時停止、スタート。前2回の卒検時は乗り上げる際にバランスを崩してしまい、その後立て直せなかったので、今回は勢いよく一本橋に乗り上げる作戦を取った。一本橋に乗ったら前傾、半クラッチ、前方だけを見て下は見ない、ニーグリップ、ハンドルを左右に少しずつ切る、タイムなんか気にしない。

なんとか無事通過!それ以降は全く危なげなく検定は終了。合格を確信し待合室で判定結果を待つ時間が長い事・・・。

受験番号と名前を呼ばれ「合格」を告げられた。この苦難の2週間を思い、涙が出た。

2022年7月16日(土) 卒業検定合格
2022年7月22日(金) 有給休暇を取り免許センターへ行き免許証に
         「普自二」追記
2022年7月23日(土) 納車(引き取り)

夢を叶えた。