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スウェーデン語学校から眼差す社会資本と移民

 基本的には読書日記として始めたはずのNoteが、スウェーデンでのきのこ狩りをしたときのことを書いたことで見てくれる人が増えたので、読書日記よりもスウェーデン日記の方がみんな興味があるんだなあと個人的に分析をしていました。
 見てくれる人が多いから読書日記はやめた、ということはないようにするつもりです。大多数と権力を忌み嫌って生きているので、「みんながこうだから」という理由での選択は基本的にしたくないし、基本的には性格が曲がっているので、特に読者がいなくても気にせず好きなことを書いていくと思います。

 今日はなんとなく、そのスウェーデン日記の延長として、私のスウェーデンで通っているスウェーデン語学校について話そうと思います。私は独学でスウェーデン語を学びスウェーデンを研究対象として比較政治研究を行っています。ただ、独学の限界とスピーキングが壊滅的なまでに弱いことから、スウェーデンに住んでいることで得られる福祉の一つ、スウェーデン語の学校に通う、すなわち第二外国語としてのスウェーデン語を学ぶことにしました。
 スウェーデン語が全くできない人は、まずはSvenska för invandrare(移民のためのスウェーデン語) 、略してSFIに通うことから始まります。こちらについてはあらゆるスウェーデン在住の日本人の方がブログに書かれていますが、私は独学といえどスウェーデン語を勉強してきた身なのでこちらには行かず、もう一つ上の高校生レベルのスウェーデン語なるようなコースに通っています。将来の生活基盤がどこになるかわからない以上、何かしらの資格をとっておくことは必要だと思い、こうして学校に通いはじめました。
 内容はまずまずといったところで、スピーキングにおける自分の語彙量のなさには辟易しながらも基本的には易しいレベルであるように思います。ただ、スウェーデン語のレベル云々ではなく、自分にとって新しい発見というか経験があります。
 私の住んでいる区域は、スウェーデン人が多く、選挙結果も移民排外主義・保守主義に傾倒する有権者が多いです。ただ、もう少し大きい市町村レベルでみると、かなり移民の多い地域に属します。数駅移動すれば国籍がまるで違う人たちが電車を乗り降りするし、とにかく雰囲気ががらっと変わるのが分かる感覚があります。そういった市町村が無料で提供しているスウェーデン語学校には、もちろん多様な背景を持つ移民・難民の人たちが存在します。しかし、学位を持っている人なんて誰もおらず、言葉を選ばずにいえば、私が今まで出会ってきた人たちとは持っている社会資本の量が大きく違う人たちでした。学校の平均年齢は大体40代くらいで、私が出会った人たちは、パートナーと一緒にスウェーデンに渡り、子供を育てて9年、そろそろスウェーデン語を学ぼうかな、というような方が多くいました。そんなクラスメイトとの授業では、私にとって意外なことに出くわすことが多く、例えばそれはパソコンの使い方だったり、勉強の仕方であったり、様々な形で、高度教育を受ける機会のあった私とは当たり前とする世界に違いがあることがわかりました。Googleプレゼンテーションなんて、学んだつもりもないけれど何となく今まで歩んできた道の中で作れるようになっていた私ですが、クラスメイトはGoogleプレゼンテーションなるものを知らなかったし、文字の色や大きさを変えたり、箇条書きにするよう設定したりということがまるで新しいことであるので、授業がパソコンの授業になることもありました。移民のためのスウェーデン語の授業を無料で提供しているスウェーデンの寛容さはやっぱりすごいなと思いつつ、こうした学生の元々持っている教育知識の差に配慮しようと思えば、有料の学校に通うなどで差別化することになるんだろうなあと感じました。

P.S. 今日は特に関連する写真が思い浮かばなかったので、よくうちに遊びに来る近所の猫の写真を選びました。彼はとにかくうちの中に入ろうとドアを開けた瞬間飛んできたりあらゆる手をつくすのですが、私もパートナーも猫アレルギーのため、猫を家に入れられないのです…。余談ですが、本好きな人って猫が好きなイメージですよね。あとジャズと。私は犬とクラシックが好きです。でも、猫もジャズも好きです。その辺は凝り固まらずに全部好きでいたいところです。

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