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亡命する芸術家:Lotte Laserstain (1898-1993)

Hej. 博士学生のさやんです。日本の大学に籍を置いていますが、研究対象がスウェーデンであることもあり、スウェーデンと日本を行ったり来たりしながら研究活動に励んでいます。研究分野は比較政治・社会学ですが、文学や芸術が大好きで趣味の程度に日本の明治~昭和期の文学を読んだり、シェイクスピアの演目を観劇したり、ジャズを聴いたり、美術館に行ったり、はたまたお笑いが好きなので最近はネットフリックスシリーズの『トーク・サバイバー』なんかも観ました。本当に雑多に色々好きなので、日頃から時間の使い方には悩みます。

さて、そんな私がふと気になったのは、亡命知識人について。第二次世界大戦下、数々のユダヤ系知識人がアメリカに亡命したというストーリーは聞いたことがあるかと思います。しかし、ふと、スウェーデンに亡命した知識人――その知識は必ずしもアカデミックなものとは限らない――に誰がいるんだろうと気になったのです。スウェーデンは第二次世界大戦中、中立を謳ってあまり被害を被らなかったという歴史があります。もちろん、その中立には問題もはらんでいるのですが、今は言及を避けておきます。現代においても、あらゆる理由で祖国を離れなければいけない人が後を絶ちません。彼らには才能もスキルもあるのに、それを開花させる場が亡命先では見つからないうえ、そもそも精神的不安も抱えていることでしょう。なので、スウェーデンに亡命した知識人、芸術家について興味が湧いてきたんです。この「亡命する〇〇」シリーズでは、これからスウェーデンに亡命した人々について紹介していけたらと思います。

Lotte Laserstein (1898-1993)

ロッテ・ラーセルステインは、20世紀の最大の写実主義者と評されているユダヤ系女性画家です。東プロイセン出身で、薬剤師の父を持っていましたが彼女が幼いうちに既に他界、母と祖母と共にベルリン、現在のポーランドの都市、グダンスクで幼少期を過ごしました。1927年からベルリンの芸術学校(Vereinigte Staatsschulen für freie und angewandte Kunst)で」学び、その後彼女の肖像画が瞬く間に有名となり、画家としての地位を築いていきました。また、この時代に女性が芸術学校を卒業することは非常に珍しく、初めての女性卒業生の一人だったそうです。

しかし、1933年にナチス・ドイツが政権を握ってから、彼女はそのユダヤ系であることを理由に、画家としての活動ができなくなってしまいます。具体的には、ドイツの芸術家協会(Verein der Berliner Künstlerinnen)の資格を失ってしまい、ナチス政権成立後に新たに設立された帝国造形芸術院(Reichskammer der bildenden Künste)には入会を拒否されてしまいます。この時代、芸術院の会員のみがドイツ帝国内で展覧会を開催し、芸術家という職業を行うことを許されました。ユダヤ人または共産主義者の背景を持つ芸術家は入場を許可されないか、排除されました。彼らが期間内にドイツを離れることができなかった場合、彼らはホロコーストで殺害または処刑されました。

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