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ある金曜日、ストックホルムのトラムから

 私はストックホルムには住んでいないのだが、ストックホルムには気軽にいける範囲に住んでいる。

 スウェーデンは日本と比べると人口密度がかなり低いため、神戸・京都の街中で暮らしてきた私にとっては、余白のありあまる国だなと感じている。とはいっても、ストックホルムにはかなりの人で賑わっている。通勤ラッシュもあれば、中央駅は観光客でごった返しているし、広場では「神に祈りを――あなた方は愛されている!」と、どの宗派かは分からないが、クリスチャンであろう誰かがマイクを通して叫んでいる。

 ストックホルムに着いた瞬間、人々の服装や髪型、メイクも変わる。感覚的にであるが、スウェーデンではあまりブランドを全面に出したようなファッションは好まれない。なるべく慎ましく、シンプルな恰好をしている人が多い。ただ、慎ましく装っても、やはりストックホルムにいる女性はひと味違う。つやつやの焼けた肌を演出する濃いファンデーションに、強めのアイメイク、眉毛もしっかり描いて、唇は太く仕上げている。だから、ブランドの分かる装いをしていなくとも、ストックホルムにいる女性の雰囲気はまた違うのである(もちろん、全員がそうというわけではない)。男性の場合も同様で、メイクはしなくともワックスで前髪をあげた髪型はよく見かける。スーツに品のいいカバンと靴、大抵私が出会ってきたストックホルム男性は――たまたまであるが――株取引やITに関わる人ばかりである。
 私がウプサラ大学に在籍していたころ、ストックホルムから通っている学生も何人かいたのだが、彼らの雰囲気は一層大人びていて、ストックホルムーウプサラ間(40~50分はかかる)を通うということもあり、基本的には夕方以降の誘いにはのらず、颯爽と帰っていた印象がある。私にとってストックホルムの人たちは、おしゃれさんという感じで特に何の悪い印象もないのであるが、スウェーデン人の間ではストックホルム人(ストックホルマレ:stockholmare)とネガティブな意味合いを込めて呼ばれることがある。特にストックホルム外の人々によると、彼らのIの発音が斜に構えているように聞こえるらしい。確かに、彼らのIの発音は、鼻の奥でなっているような音がある。一度真似をしたくなって、連れに発音指導を頼んだのだが、真似する必要がないからと断られてしまった(連れはストックホルム人ではない)。

 そんな悪名高くもあるストックホルム人を、ストックホルムに用事があったある金曜日、私はトラムから観察していた。何かプレゼントを大事そうに抱えて私と目が合うと気恥ずかしそうに微笑んでくれたマダムが私の前の席に座った。ダルメシアンを連れたしゅっとした身なりの男性は席に浅く腰掛け携帯を触っている。ベージュやグレーといった落ち着いた色味でまとめた、落ち着いている年頃のカップルは、席で隣同士で座りながら手を握り、楽しそうに話している。蜘蛛の巣のタトゥーをひじにいれた坊主頭の男の子とメイクの濃い女の子のカップルが、似たような黒でバギーなスタイルを取り入れて、だるそうに電車のドアに寄りかかっていたりもする。夕方5時頃のトラムには、パーティーに行く前の女の子たちの塊もいて、彼女たちは大抵ZARAで購入したであろうカバンを持っていて、仲いい2人組がお揃いにしているなんてこともよくある。香水がきつい人が自分の近くにいたり、酔った集団が電車内で叫ぶのに鉢合わせたりするのだけは勘弁してほしいが、こうして色んな人を眺めているのは、適当にネットフリックスで映画を選んで観るよりもおもしろい。

 駅に着いた。さっき私の対面に座っていたマダムもこの駅で降りた。かと思ったら落ち着いた身なりの落ち着いたカップルも降りてきた。私が観察していた人たちが私と同じ駅で降りるというのは、なんだか縁を感じたり、まあ、感じなかったりもする。

 トラムの出口とは逆の方面に目的地があるので、トラムが出発するのを待ってから渡ろうと思い、少々立ち止まる。そしたら、男の子の泣き声が聞こえたので、左後ろを見ると、お母さんが5歳くらいの男の子の話を目を見て聞いて、そして微笑みながらハグしていた。そんなに遠くもないうえに、男の子が一生懸命訴えているので、内容が聞こえてきた。

「ラザニアが食べたい!!!!」

 ああ、男の子にとっては非常に重要な夕食の献立だったのだろう。夕方5時、お母さんと手をつないでお家まで歩いて帰る途中、今晩の献立を男の子はお母さんに聞いたのだろう。それとも、お母さんが何気なく持ち出したのだろうか。男の子は今日の晩御飯がラザニアでないことを知って、かなりのショックを受けて、泣きわめくことしかできなかったのだろう。ラザニアがいい!ラザニアが食べたい!と叫んで、どうにか今晩ラザニアにならないかと、一か八かの勝負に出たに違いない。お母さんは困ったような、でも息子に対する可愛いという思いがにじみ出たような緩んだ笑顔で息子を抱き、通りすがる人たちにはにかんでいた――。


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