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孤独な魂に白鳥は寄り添う(ミッドナイトスワン 感想)

少しレビューや感想を読みました。批判的なものも。
概ねLGBTをお涙頂戴のエンタメで消費するなという話かと思います。
こうした批判的はあって然るべきと思っていて、何ならフォレスト・ガンプだって最強のふたりだってワンダー・君は太陽だって挙げればきりないと思うんですけど、社会的にマイノリティとされる人々を描けば、間違いなく正しい批判だと思うんです。現実はそんなもんじゃないだろうという話。
ただ一方で、映画とか創作物がそうして(正しいかはともかく)分かりやすく広げることで、初めて気づくことも出てくるし、初めて批判が出てくるし、テーブルの上に乗ることもある訳です。

一口にマイノリティって言ったって、誰しも額に私は○○ですってラベルが貼ってる訳でないんだし、究極的にはただ一人の人間てなだけなんですから、本来はあんまりラベルは意味のないことなんだろうなって。ただ現状はそうやって団結しないと存在すらなかったことにされるから便宜上みんな私は○○です、って属性つけてるんですよね。早くこんなものなくなればいいですね、女性、男性、同性愛者、トランスジェンダー、既婚、未婚、子供ありなしみたいな大量のラベル。

何が言いたいかって話なんですけど、LGBTの方に「この描き方は正しくない」と批評されていても、それだけで、「あ、正しくないのか……じゃあ見るのやめとこうかな……」とはならないで欲しいなあと思います。
いや分かるよ!私もあなたも時間もお金もない!限られたリソースの中で質のいいものだけ選びたい!
でもそうやって誰かに評価され、正しいとされたものばかり吸収してると、世の中、正しいものと正しくないもの、美しいものと美しくないもの、勝ったもの負けたもの、エンタメと高尚なもの、全部2つしかないように見えてしまう気がするので。
私自身の目で、ちゃんと見て、ちゃんと考えればいいと思うんです。正しいか正しくないか、面白いのか面白くないのか、答えが出なくたって別にいい。答えが出ないことの方が多いんだから。

<あらすじ>
新宿のニューハーフショークラブで働くトランスジェンダーの凪沙は、故郷の広島で育児放棄されている状態にある姪の一果を預かることになる。
当初は一果は何も話さず、凪沙もほとんど相手をしない。しかし、学校で問題を起こした一果を迎えにいったことをきっかけに、二人はお互いに心を開いていく。学校帰りにバレエ教室を見つけた一果は興味を持ち、バレエレッスンに参加。徐々にその類い希なる才能を開花さる。そんな一果を見守る凪沙は、一果の為に生き「母になりたい」と思うようになる。

長い前提失礼しました。
その上で結局あんたの感想なんなのよって話なんですけど、感想でてこねえんだ…(伏線回収)。
理由は多分あまりに自分のすぐ隣にありそうだと思ったから……
さすがに時間逆行装置とかないじゃないですか普通は!だから色々声を大きくして言えるんですが、あまりに近すぎると何も言えなくなるな……。

いやあもう俳優さんたちがみんな、本当にみんなすげえでした。みなさん憑依型だった……。
巷でも絶賛されているのでしつこくは繰り返すまい。
凪沙さんのプリプリ歩きとかほんとすき。
一果のおぼつかないバレエが、水を得た魚のようにどんどん凄くなっていくのもいい。

そして出てくる皆が皆、どこにでもいるけれど、どこの皆もそうであるように孤独を抱えています。その結末は色々あって、夢で乗り越えていく人もいれば、孤独に引っ張られて落ちていく人もいる(というかほとんどが後者か……)。

様々なテーマがあって全部書いてると終わりませんので以下しんどかったやつですが
りんちゃんのはしんどかったですね…
彼女の憧憬と恋慕と嫉妬が混ざったような言動の数々。でもどうしても一果のいる高い場所に行けない、彼女とはどうやってもひとつにはなれないと気づいた時、その壁を軽やかに自ら踏み越えてしまったのだろうなあ……と思います。死のうとか別に思ってたんじゃないんじゃないかな……

そして凪沙さん、お母さんという言葉に素直に喜び、お母さんのように一果の面倒を見始め、我々が安堵した瞬間にあれですよ……「本物の」お母さんですよ……。あんな残酷なことってあるか!?
それをもって性転換手術に踏み切る訳ですが、凪沙は恐らく、女性としての生や性を、納得して前向きに楽しんで生きる為ではなく、ただ母という、子供を生み育てる「資格」が欲しかっただけですよね。
だから、一果が自分の元に戻ってこないと分かった後の失意に加え、手術後の体の痛みや変化に絶望して、結局いらないものだと己を放棄してしまったんだろうなと思います。

でも唯一の救いはちゃんと白鳥は戻ってきたことなんですよね。
りんちゃんのときもそうでしたが、一果はそれでも彼女たちを抱きしめて側にいてあげる。
「何で私がこんな目に遭うのよ」という怒りと絶望は、額に貼り付けたラベルの名前ににかかわらず誰しも思ってるし、叫びたい。みんなぎりぎり吐き戻さないように我慢してるだけ。
夢を叶えて美しくなった白鳥は、そういう孤独な人々の元にちゃんと戻ってきて寄り添ってくれるのです。勿論、それで未来が救済される訳ではないのだけれど、凪沙さんもりんちゃんも、一果が側にいてくれた記憶があるから、決して全てが不幸ということではなかったのではないかな……

真実はともかく、これからも生きていくしかない我々は、そう信じるしかないのですが。


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