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思い出日記

私は日記を小さい頃からつけている。
更には家族新聞というのを父が毎月発行していて全国に郵送されて今となれば
懐かしい思い出になるのかと思うけど
内容としては個人情報ダダ漏れの
すぐ父に新聞の記事化されるという毎日を
送っていた。
小学校で書いて提出する日記とか。
写真も。白黒でホラー。

家族新聞を作るきっかけになったのは
私がなんでいつもお父さんは新聞を読んでいるのに私の家の新聞はないの?と
4歳の頃言ったことにすぐ感動する父が
思い立ったら吉日ではじめた。
結局100号近くまでなり
日に日に巨大化して行って
日本一でかい家族新聞で表彰された。
そして弟の反抗期と共に
廃刊になる。

1人で実家に帰った時に
ゾゾゾと鳥肌立てながら
読んでいるけど
たまに我ながらええこと書いてるじゃんけ!とか思いながら読んだりしている。

小さい頃
私はよく泣く子供で
スーパーで迷子になっても
すぐわかるくらいに泣き叫んで
ぼーっとしていて
自分のペースがある。
そして家が好きだし
ひたすらノート書くとか絵描くとか
新聞の記事書くとかしていた。

そんな時いまだに父と母に
言われ続けているのが
みんなが新しいおもちゃがくると飛びついて
喧嘩になるのに
さやかちゃんはそのブームが去って
みんなが飽きた頃から
楽しく遊び始めるんですね。
園長先生に言われたらしいことは
こんなにずいぶんと大人になっても
言われ続けている。

大人になるにつれてああもうあの時には
私が出来上がっていたんだなと思う。
あの頃巻き舌が得意で
もう届かないけど鼻のてっぺんまで舌が付いた。
ルララララ〜と巻き舌をする大会みたいなのを
保育園の時に対決した記憶が
鉄棒の下でしょっちゅう繰り広げられていて
さやかちゃん強い!と勝ち誇る私は
その20年後に急遽7年間修行に出た時
周りの学生たちが困ってる中
イタリア語のRの発音だけは
余裕だった。

なんだかわからないけど
自分基準の楽しいことのセンスは
きっと標準からズレているので
言い方を変えると結局自分が楽しいへ
変換できる才能と自分でちゃんと褒めたい。
目の下に手鏡をつけて
天井あるいているみたいだ!とか
弟の三輪車逆さまにして
タイヤの隙間からサラサラの砂を入れて
ペダルを回して飛ばすとか。

自分で自分を感激とか感動させて
素朴な暮らしの中で大いに幸せだったのかな
そんなことまで思い出した。

今なぜそんなことを思い出しているかというと
私はそんな素朴なあの頃の私の頃に
戻りたくなっていて
私が元気に自信を取り戻す鍵を握っているのは
あの頃のさやかちゃんなんだと思う。
いい年して昨日新幹線の中で思った。

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