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チャンスの掴み方は自分次第

2020年4月

私は名古屋から横浜へ引っ越し、とりあえず急いで就職活動をして受かった内定先で仕事を始める予定であった。しかし新型コロナウイルス感染拡大の影響で、私の内定は入社数日前に取り消された。今思えばまるで「あなたは自分が信じた道を歩みなさい」と神様に言われているかのようなタイミングであった。そして私は内定が取り消された後、そのイレギュラーな状況を「チャンス」としてみなして本当に良かったと、今となってしみじみ思う。

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2019年8月

私はタイでの一年間の留学後、日本へ帰国した。その頃友達の大多数は就職活動の終盤にかかっており、内定をもらっている子も多くいた。帰国後、しばらくはタイ気分に浸っていた私の頭の中であったが、友達と話しているうちに「就職活動をしなければ」と、焦りモードに入った。周りと比べたら随分と遅れた就活だった。しかし、当時は楽しかった留学からの帰国後で、日本の現実社会と向き合うことが難しかった上、どこに就職したいかもわからなかった。しっかりと覚えているのが「タイに住めればそれば良い」としか、当時は考えていなかった。留学をしている間に日本へ帰国した後の就活について考えてこなかった自分が悪いが...帰国後すぐにタイと日本の社会のギャップを感じ、精神的に結構きつかったのを覚えている。ある意味逆カルチャーショックをばんばんに感じていたのである。

しかし、私は特に就職したい会社がないとはいいつつも、とりあえずセミナーへ通ったり、説明会に行きまくったりした....しかし「ただ就活している自分に満足をしている」感は否めなかった。頭の中は「タイに帰りたい」しかなかったのだから(笑)

当時就職をしたいと強く願望する会社は私にはなかったが、将来のビジョンは持っていた。もちろん大好きな場所であるタイには戻りたいと考えていたが、「国際協力・開発」系の仕事をいつかはしてみたいと思っていたし、大学時代もそういう勉強をしてきた。しかし、ファーストキャリアをNGO・NPO団体にする勇気もなかったし(今思えばただのチキン)、興味のあった国際協力・開発に携わる会社は採用を随分前に締め切っていた。まぁいわゆる私の準備不足だ。よって、私は「国際協力・開発」の分野での就職は半分諦めていた。

しかし、就活をしていく上で良い発見や出会いもあった。ここで私は「就活って辛いことだけではないんだ」と思った。今まで知ることもなかった魅力的な会社を見つけたり、自分の興味のある事業内容を知れたり。そこでいいなと思った会社はとことん受けた。しかし、最終面接で落ちる場合が多く、就活の大変さをしみじみとその時噛み締めた。友達には「タイに駐在できる会社にしなよ」と言われてきたが、仮にそのような会社に就職して、私は何年後にタイに行けるのだろうか....というか、駐在員に別になりたくないし...ということでしっくりこなかった。このように私は良い会社を見つけてはそこを受ける、というだらだらとした就職活動を繰り返してた。

そのような日々を過ごしていると、たまたま外資系就活サイトでまた良いなと思った会社を見つけ、そこを受けたら最後まで選考がすんなりと通り、内定をもらうことができた。就活で身も心も疲れ切っていた私は「もうそこでいいや」と思い、そこで働くことを決めた。もちろん一年後に辞める気まんまんで。(最低ですよね笑)そこの会社は多国籍企業であり、東南アジア諸国中心に多く存在している会社だ。しかも私服で勤務がOK。横浜勤務になるし、横浜住んでみたかったからちょうどいい。私はそれだけの理由でそこで働くと決めたのである。

「一年働いて社会人としての常識を身につけたら、タイへ移住しよう」と思いながら。

今思えばこの「社会人としての常識を身につけたら」なんて、ただの気休めにしか過ぎない。一年で辞めるなら、最初からそこで働く意味はあるのか?と当時の自分に言いたい。しかし当時の自分の気持ちも理解ができる。周りが皆就職活動をし、内定もどんどんもらっていき(しかも優秀な人が多いのか大手企業ばかり)、そういう会話であり溢れている環境で、私は就活をせざるを得なかった。就活をしないという他の道は考えられなかったし、周りの流れに反した道を歩む勇気はなかった。私はとにかく勇気がなかったのだ。「とりあえず、企業にまずは勤めよう、そこが嫌だろうが期待通りじゃないだろうが関係ない」そう思い、私の必死かつ適当な就活が終わったのである。当時はちゃんと就活すれば良かったかなとか思ったが、今は一切後悔してない。

そしてそこから目まぐるしく月日は流れていった。自分のペースでゆっくりやりたいことだけをして生きていたタイ留学から日本へ帰国して、時間は光の速さで過ぎた。帰国後すぐに就活、就活のあとは卒論、卒論のあとは卒業旅行のための資金稼ぎ、そして今しかないと旅行をし、遊ぶ日々。私は自分と向き合う時間もなく、ただ必死に目の前にある課題をこなして、その時その時を当時生きていた。それはそれで楽しかったし、忙しかったし、私は輝いていた。しかし、心のどこかで「このまま私は横浜であの会社で働くのかな」と就職先への不安、そして将来への不安をい抱いていた。

2020年4月

そして例の内定先の会社入社四日前。横浜へ引っ越す二日前に内定先の会社から、私の内定は取り消されるという連絡を頂いた。頭が真っ白になったし、とってもショックであった。親も悲しんでいたし、私もたくさん泣いた。

でも、どうしてだろう....何か違和感を感じる。そこまで悲しくないし、ショックであった気持ちもすぐに消えていった。きっとこのショックは「この企業で働きたかったのに!」という悔しさから来るショックではなく、「皆とは同じ道に歩まない自分」に対する不安からくるショックなのではないかと思った。皆社会人なっていく時期なのに、私だけ今日からニートじゃん...という今までにない虚無感。確かに私は今まで中学校から大学まで、エスカレーター方式で進学をしていき、ごく一般な生活をしてきた。アルバイトもきちんとし、留学も経験をした。「もっと違う人生」を送りたいなと思いながらも、この大多数の日本人が送る「一般的」な人生を送っているほうが安心感があり心地よかったのだ。だからなのだろうか....一気に少数派タイプに置かれたことで、私には猛烈な不安と虚無感が襲ってきた。

しかし、私はその時「運命」という感覚を覚えた。なぜならばさっきも書いたように、私は心のどこかで「皆とは違う人生を送りたい」「私は他とは違う」「自分の好きなことをやりながら生きたい」という想いを常に持っていたからだ。また、タイでの一年間の留学を得て、私は絶対自分の生きる拠点は東南アジア諸国エリアにしたいと決めていた。だからきっとこの出来事は運命...神さまが私を横浜に行かせなかったんだ、きっとタイに行けと私の背中を押しているんだ...と側から考えてみたらただの自己中的な思い込みにしか過ぎないが、私は真剣にそう感じた。

「きっとこういう状況になったのも運命」

まるで神さまが「あなたは自分が信じた道を歩みなさい」と言っているような感じがした。自分でも若干わかりきっていたことだけれど、私は「普通」がきっと似合わない。そして「普通」でいたくないのだ。この出来事をきっかけに私は今まで歩んできた「安定で平凡」な真っ直ぐ道から、ぐいっと道を変えて、自分の道を進むことを決めた。プライドも捨てた。ニートだっていいじゃない、この内定が無くなったきっかけを最大限に活かしてとことん好きなことやってやろうじゃないか。

もし、内定が取り消されることがなければ適当に就職活動をして、たまたま受かった会社で今頃働いている。「一年間だけ働いて辞める」と思いながら。しかし、このような思いで入社してたらきっと楽しくない新入社員生活を送っていただろうし、私はやりたくないことだけをこなして時間を無駄にしていただろう。

2020年、好きなことをとことん、やっていこう。

とはいえ、コロナの影響もありすぐにタイへは移住できない。かつ移住したところで私は貯金もなければ、仕事もないため生きていけない。さすがに好きなこととはいえ、自分の首をしめるような無計画なことをするほど私もバカではない。だからタイへ行ける時まで、好きなことをやりつつ、タイへ移住する準備をしようと決めた。

突然起きたピンチによって降ってきたチャンス。私はそのチャンスは絶対に逃したくなかったし、掴むことに必死になった。そしてそのチャンスとは私の中で二つある。一つ目は、

○仕事もアルバイトもなければ、学校もない。私はフリーだ!だから有り余った時間で自分を見つめ直そう。→自分を見つめ直すチャンス

ーたくさん時間が与えられたというチャンスを掴んで、私は自分を見つめ直すことをした。今まで忙しく、自分が本当にやりたいことや、自分の未来について考える暇がなかった。(暇はなかったというか、現実逃避をしていました、ごめんなさい)また、就活中は周りの人の意見にもかなり左右されていたため、自分の将来が濁りかけていたのである。しかし、いきなりたくさん自分に時間ができたということで、自分の事をよく考えられる機会ができた。また、自粛で他人に会うこともないため、SNSさえ見なければ、他人の意見に直接的左右をされることもない。

ーそして私は自分を見つめ直した結果、諦めていた「大学院への進学」をチャレンジしてみることに決意した。しかもタイの大学院へ。私は大好きな国に戻りたいのと、興味のある国際協力・開発分野の研究を続けたいのと、様々な願望が重なり、タイの大学院へ進学することをを決めたのだ。大学院へ進学することにはずっと興味はあったが、大学在学中に大学院に関する情報集めや試験準備にかける時間がなく、諦めてしまっていたのだ。(就職をし、少し働いた後に大学院へ入学するのも良いと思ったが、きっと忙しくて不可能であっただろう)しかし、今の状況になり、来年の入学まで死ぬほど時間がある!この時間を活用して、大学院入学への準備をしよう、そう決めたのだ。

この考え方はきっと、普通に就職をしていたら絶対にたどり着かなかった考え方、そして行動であると思った。この時私はピンチをチャンスに変え、自分でチャンスを掴んだんだなと、感じた。なぜならば、一応この決断を下すのに多くの時間を費やして考え悩んだものだから。

「タイの大学院へ進学すること」これは内定が取り消された後の私の目標となり、夢となった。それが目標となる前は自分が将来どうするのか不安で、先が読めない未来に不安を感じていた自分だったけれど、やっと目標ができたのである。そしてその目標に向かって、私は今日までたくさんの努力をしてきている。

二つ目は

○興味のあることにとことんチャレンジしよう!→経験値を豊かにするチャンス

ー私は自分に対して有り余るほどの自由時間ができたというチャンスが与えられたことで、そのチャンスを有効に活かし、とことん興味のあったことをチャレンジしてみることにした。例えば今までずっと興味のあったNGO団体でのインターンである。ブログの序盤の方でも述べたように私は国際協力・開発に興味があり、将来もその分野に関係する職に就けたらいいなとも考えていた。しかし、大学時代は忙しく、なかなかタイミングが掴めずインターンすらできずじまいであった。そんなNGO団体でのインターンを現在経験することができているのだ。自分の興味のあることをやるってこんなにも面白いのだと日々感じるし、確実に将来の自分に繋がることをしていると思う。有意義な時間である。

また、私はこうやって文章を書くことが好きなように、フリーライターになることにも興味があった。(文章書くの下手なくせにね)よって、私はコンテンツライター求人を見つけ、そこにすぐ応募をし、現在ずっと興味のあったプラットフォームでコンテンツライターをしながらお金を稼いでいる。

NGO団体で働くことも、フリーライターを経験することも、どちらも今までずっと興味のあったこと。これを全て出来ていることは嬉しい限りだし、好きなことをしている時って本当に楽しい。私の「好き」をぎゅーっと詰めた2020年であると思う。まさかこうなるとは思わなかったけど、振り返ると内定が無くなって本当に良かったと思う。

今思うと私は今まで「〜に興味がある」「〜をやってみたい」と口では言いながらも、自分のやりたいことを実際行動にうつすことはなかった。大学院への進学を決断することや、NGO団体で働くことだってそう。大学時代にどちらもできることなのに、自分は「忙しい」と決めつけて、私は避けてきたのである。また、就職活動を優先しなければならないという考え方しか当時はできなかったため、好きなことをやる意味もないと思っていたし、やる勇気もなかった。しかし、自分が今まで歩んできた平凡な道を歩むことをやめ、自分らしく生きていこうと決めてから、私は好きなことにチャレンジする余裕もできたし、勇気もある。好きなことをして生きるって、こんなに楽しいんだ。

そこで私は本当にチャンスの掴み方は自分次第なのだなと感じた。内定が取り消されて、ひたすらうじうじして何もアクションを起こしていなかったら、今の自分は無かった。かつ、このチャンスに気づかず、また再度同じような就活をしていたとしても、今の自分はなかった。私はプライドや平凡な道を歩むことは捨てた、しかし、逆に苦境の中に降ってきたそのチャンスをつかみ、それを今うまく活用したおかげで、今の私と未来ができた。

他人と違う道を歩むことに不安を感じることは当たり前だし、私も実際勇気がなく、不安であるがために、自分の意思とは反した就職活動をした。今でも企業で社会人として活躍している友人とかの話を聞いてると「自分はこのままでいいのか」ととんでもない嫌悪感に陥ることだってある。人間なのだから、たまにはネガティブにはなる。しかし、運命というのは存在するもので、私は結局、大多数の人とは違う道を歩むことになった。(コロナで内定がなくなった人なんて私の大学で私一人だけだしね)そこに不安はもちろんあるが、せっかく与えられたチャンス、逃してはいけないと思ったから、私は自分の意思を貫くことにした。

内定が取り消された後、私は一応大学に一言連絡をいれた。すると大学のキャリアセンターからいくつか社員を募集している会社を早急に紹介してもらった。「ここの会社なら求人の空きがありますよ!今すぐ応募してみてはいかがですか?」と電話の声からも職員さんの焦りを感じた。内定が取り消された直後である4月中旬、キャリアセンターからどんどんくる求人案内メールや電話で、私は「やはり就活し直して、5月から働けるようにするべきか?!」と、何度も思った。しかし、しなくて本当に良かった。今そのおかげで心からやりたいと思えることをやり、満足のいく将来の決断をすることができたのだから。そのチャンスを見逃さなくて、何度もいうが本当によかった。

「Sayakaさん今何してらっしゃるんですか?」

今までの自分であったらプライドが邪魔して絶対言いたくなかったけど、今は誇りを持って

「好きなことして生きてますよ〜」

と言える。全然恥ずかしくないし、むしろ、こんな人生、最高じゃない?

Everything happens for a reason. yes, it does.

BUT

You are the only one who can change YOU!


はぁ、すっきり。こんなごったごたのブログを読んでくれた皆さまありがとうございました。

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