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”遺す”ということ

人生も折り返しに差し掛かってきて、よくも悪くも、諦めがよくなってきていると感じるさやかさんです、こんばんは。

皆さん、意識的か無意識的かはさておき、親や周囲の人からの”教え”ってあると思うんです。しかも、長い年月をかけて刷り込まれるので、なかなか抗えなかったりするのではないでしょうか。

私も長い間、それに悩み苦しんできました。いや、というより、実現するための手段を限定的にしていたために苦しくなっていた、という表現の方が適切かもしれません。

親ではなく、次の世代に還元する

我が家は裕福、とまでは言いませんが、お金に一切困らずに大学院まで出ることができたのは、紛れもなく育ててくれた家族のおかげです。

社会人になってからは、仕送りをしたり、記念日にプレゼントなどをする…という方が多いと思いますが、実は私は、一切お金を渡したことがありません。

使わなくなった服や家電なんかをお下がり(お上がり)することはあっても、お金は全然受け取ってくれないのです。

理由は、「次の世代に還元すべき」という考えを持っているから。聞くところによると、そうやって代々、親から子へ、子から孫へと与えてきたのだ、と。

そして同時に、若い世代の方が自分より長く生きるのだから、大切にしないといけない、ということも言っていたかもしれません。

子がいない=悪?

要は、若いうちはちゃんと貯めておいて、自分の子どもに使いなさい、という意味だと思うのですが、私には肝心の子どもがいないのです。(これから持つ可能性も100%ないとは言い切れませんが…。)

そうすると、親にも子にも使うことなく、資産も気持ちもぷかぷかと宙に浮いているような気持ちになってしまい、何かとても悪いことをしているような気さえしてくるのです。

ただ、小中学生くらいの子どもたちを見ていると、「この子たちに何ができるだろう?」と考えずにはいられないので、しっかりと”教え”は私の中に引き継いでいるな、と思います。

手段は違ったとしても

とはいえ、無作為にお金をバラまくほどの資産は持っておらず、結局は何もできずにいるのです。

そういった漠然とした虚無感があったのですが、先日ふと、職場の若い後輩に丁寧に仕事を教えたときに、「これも一種の、次の世代への貢献なのでは」と、妙に腹落ちしました。

心や記憶に残るものだって、その人にとって大切なギフトとなり得るのですから。

…自己満、ですかね?笑


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