彼方のポラリス
わるいことは楽しい。
アラサーにもなってはじめて友達と夜通し遊んだ。学生のときでさえやらなかったカラオケに閉店まで居座り、明け方始発で帰る。そんなわるいこと経験値を一つ積み上げた。
とにかく家にいたい私は学生時代の飲み会は途中退席してでも頑なに終電で帰宅したし、東京に行ったとき金銭が心許無くとも新幹線でその日のうちに帰れるなら帰るはずなのに。
今回だって帰ろうと思えば帰れたはずだ。学生時代のサークルの同窓会のような集まり、一次会の食事会は8時半には終了した。終電までには余裕すらある。明日だって仕事はあるのに、なぜ私は今日帰らなかったのだろう。
回帰願望?現実逃避?
学生時代の友人たちと久しぶりに会って、話したいことはたくさんあって、学生の時に戻りたくて。理由らしいものはたくさん浮かぶけれど、これだ!と思う理由には至らない。
ただ、とにかくわるいことは愉しい。
例えば夜通し遊ぶとか、例えば家族の寝静まった深夜にこっそり家を抜け出すとか、例えば深夜にマクドナルドに行くとか。
夜にはわるいことがたくさん潜んでいる。夜の暗がりはわるくて、愉しい。
明け方、まだ日の昇らぬ暗い道を歩きながら、空を見上げて星がきれいだね。と話したことを私はいつまでも覚えているのだろうか。
駅までの寄り道で買ったコンビニの肉まんが存外熱かったこととか、静寂の中近づいては遠のいていく新聞配達のバイクの音、鼻腔に届いた朝食の用意をするにおい。
ちかちかと明滅する信号に立ち、法定速度無視で駆け抜けていく車の巻き起こした風に煽られて舞い上がる髪の毛の先を見つめて息を飲む。
東京からの帰り、地元までの夜行バスが取れなかった時あるいは単純に良い夜行バスを使いたいときは、仙台で一度地元までの電車に乗り換える。始発の電車に乗るのにもなんとなく慣れた。始発の電車で終着駅の地元までのうたた寝は心地がいい。
最寄に近づくにつれ増える学生たちの話し声を、イヤホンから流れる音楽越しに耳に通しながらふと唇の端が持ち上がるような心地になる。
大人になってロクでもないことをするのは正しい。私がかつて身に着けていたものと同じ制服を纏った少女たちを見ると、背徳感のようなものが顔を覗かせる。
必死に勉強して、順風満帆な学生生活をつつがなく終えたはずの私は、今や大卒という経歴を捨て去り非正規アルバイト。ロクな先輩ではない。東京帰りの時はぼろぼろの様相で、変なTシャツやらパーカーを着たそんな女と空間を共にしているのだ、彼ら彼女らは。
そんな気持ちで乗車している朝帰りの始発列車は妙に心が浮き足立つ。
夜行バスから降りたって、ゆっくり入浴しこころゆくまでぐっすり眠るときの充足感を思い出しながら、終着駅で伸びをする。今日はそんな贅沢はできないから、仕事はほどほどにこなして、せめて早く帰ってたっぷり眠ろう。
そういえば、どうして私は今日こんなことをしたのか。結局のところ「わるいこと」がしたかっただけだ。
もっともっと、遊びたい。歳なんて言い訳にして羽目を外すのをしり込みしているのがなんだかもったいなかったのだ。人間、今この瞬間が一番若いのだ。もう若くないからと出る弱音に、そんな屁理屈をぶつける。やりたいと思ったら吉日、どうせならやりきって死にたくなった。
オリオンやカシオペアの瞬きを、瞼の裏に貼りつけて生きる今日は、ほんの少しだけ眩い。体の怠さは相当だけれど、なぜだか不思議と後悔はなかった。