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【TOKYO Diraries vol.5】Be original〜唯一無二であること〜

セレブやお金持ちになれば「幸せ」
労働から解放されたら「幸せ」

現代は、そんなニュアンスの本が本屋さんに多く並んでいる印象がある。

でもそれって本当?


目指す方向を少しだって間違えたくない。
我を見失いたくない。

だからハートで感じるときめきだけでなく「違和感」も大切にする。

するとあらゆることを経験しなくとも、
とても大切なことに早くに気付けるの。









私よりもずっと稼ぎのいい人たちが多く住んでいる
この街に引っ越してきて
ちょうど1年ほどが経つ。

この街に移り住んだ理由は
シンプルに街の景観や雰囲気がとても好みだったからだ。








その情緒やどこか守られているような雰囲気、
そして時々漂う下町風情は、
東京の街は他にもみてきたつもりだけど、他にはないバランス。

物件が見つかる前から
街の名前や雰囲気からなぜか「この街だ」と直感でビビッときた。


そしてある時まるで早送りをしたように
あれよあれよというまに物件の契約が決まったのだ。








街を歩いたりラグジュアリーホテルのカフェに行くと
ベンツやBMW、ベントレーのオープンカー に乗るおじさんや若者
プラダ ヴィトン に身を包んだ品の良い女性たち
事業や投資、政界の話

会社員時代には目や耳にしてこなかった「セレブ」な人たちが
汗を流さずしなやかに生活をしているのが当たり前の光景として見える。



そこにはある種の
余裕や自信、自由、豊かな感覚が見えて、
本屋さんの自己啓発本コーナーにある
「お金持ちになる方法」だとか「FIRE」だとか
そんな本の目指す「理想」は、すでに叶えているか元々持っていた人たちだということが分かる。




それは少なくとも私には
通勤の満員電車で見かけたどの人よりも
(もしその人が、「僕には、家族ややりがいがある!」と言ったって)
残酷だけれども、幸福感に満たされているように見えてしまう。

つまりは、お金や自由というのは
「かなり」人を幸せに、豊かな余裕ある気持ちにしてくれるものではあるのだと思う。





だけどこの記事を書こうと思ったのは
「まずはお金持ちになって、そこからいろんな事を考えた方がいいようだ」
というセレブ優勢思考について書くため、ではないのだ。

むしろその思考は遠回りをすることになるという
警鈴を鳴らすためのものなのだ。
だけど「お金があっても必ずしも幸せじゃないよね」というよくある論を長くロマンチックに書こうともしていないので、安心してほしい。





その警鈴は
私がラグジュアリー・ホテルのカフェでふと得たインスピレーションに基づく。

ある日私は仕事のために
街の近くのよく行くラグジュアリー・ホテルのカフェに居た。

平日の昼下がり。
ここに来ると、誰もが幸せに満ちた余裕があって不足感や切迫感がない、
とても豊かで全てのことがスムーズに進む気持ちになるから
あらゆる仕事も捗るのだ。
お手洗いまで綺麗で、豊かで安心して過ごせる居場所なのだ。

そう、私は私よりずっとリッチで仕事もできそうな人達の
バイブスにチューニングするように、
その場に意識を持ってきていた。

その瞬間、本来の自分自身ではなく、
外側のセレブにチューニングしていたのだ。







インスピレーションというのは、
本当にただお茶を飲んでいる時などに急に
それはある時突然雷が落ちるように、
ふと頭に降りてくるものだと、ここ数年知った。

もちろんこの時のことを取り立てて記事にしてみたけれど、
いい気分を大切にしているとよくインスピレーション(それは「貴重な気づき」と呼んでもいいかもしれないけど)は降ってくる。





この時に降ってきたのは、


「結局、群が変わっただけで、
この人たちが身体の奥底からの幸福感を得ているかと言われると
そうじゃないのではないか」

という事だ。



確かに
他の街のカフェに行くと、
イライラしている人、焦っている人、不幸そうな顔で話をしている人
「不足感」のバイブスをたくさん感じる。

ここにおいてそれはある程度「充足感」に置き換わっている。





だけどその時ふと思ったのだ。

「みんなが同じに見える」。

まるでプラダやヴィトンのピンク色のワンピースを着た
のっぺらぼうのように、
みんなが「この街のどこかでみた事のある人」に見えたのだ。

全く区別がつかない。
違いが分からないのだ。

それが興味深いのは全く、
満員電車に乗って通勤していた時にみていたものと同じだという事。

すずめの群れか白鳥の群れかの違いだけで、
結局「群れ」であるという事。

つまりはみんな
「すでに外側にあるイメージ」にチューニングしている。

そしてラグジュアリーホテルのカフェにいるときの私も、それに近いことをしていたのだ。




セレブのそれは、
どこかインスタントコーヒーのような、
とても手軽で美味しくどこでも手に入り微笑ましいけど

「ホンモノ」の至福のバイブレーションを感じないような気がしたのだ。

結局、
どこかのコーヒー、
つまりはかつて生きた誰かの人生をなぞっているようなのだ。

それはきっとマンネリするもの。
「エクスタシー」が存在しないもの。






それはつまりは
引き寄せっぽい気づきの話にするとこんな感じだ。

これは個人的にはなかなか、
マニアックで面白いインスピレーションのように思う。


豊かさ、自由のバイブスの中に
「本来の自分自身を解放していい」というバイブスがないと

「極上の幸福感」のバイブスにはならないのではないか。


という仮説だ。


いや違う、今までの知識と照らし合わせると

本来の自分自身のバイブスの中に
豊かさ、自由のバイブスは包括されている

そう表現した方が、適切なのかもしれない。


結局つまりは、


いい気分=本来の自分自身のバイブス
が自分史上最高ルートにつながっている

といういつもの話になるのだけど、

それが体感的な気づきとして目の前に現れたような感覚だったのだ。






とてもマニアックな話になるけど、

どうして自分のハートや自分の腹の底の声が大切なのか?

それが具体的なエピソードとして表現できた気がしたのだ。

例えば豊かであるイメージをたくさんして
もしかするとそれを引き寄せるかもしれないけど、
それはとても部分的な幸せで、極上の至福感はない。

だけど本来の自分自身でいる事に
極上の至福感は存在し
その中に自由や豊かさは勝手についてくる。

そういう話なのだ。




ここ数年
「自分に自信を持った変わりもの」
がたくさん出てきた。




そしてその人たちから感じる
「熱狂・エクスタシー」
「極上の至福感」

のっぺらぼうのマンネリ感を感じさせない。
VIPなのだ。





きっと自由や豊かさを追い求めて手に入れる過程で
多くの人がそれに気づいていく。
その先に求めていた極上の至福感の手に入れ方にフォーカスが向くようになる。

つまりはあと何十年後かにはもしかすると、

「FIRE」を目指す時代から


Be original 、唯一無二である事。

「本来の自分自身であるためにはどうすればいいか」


そういう本がたくさん書店に並ぶようなそんな時代が来るように思うの。


これはセレブを例にとって書いたけど、
きっとこれは自由や豊かさだけの話じゃない。

全てにおいて
「外側の群れ」に自分をチューニングすることは、
極上の至福感とは少しずれてしまうんじゃないだろうか。

「内側の本来の自分自身」に耳を澄ませ、チューニングしていくことがホンモノの幸せを追求する上で重要なポイントなんじゃないかと思うの。







どうして、人生のすべてをかけてまで、あなたでない誰かになろうとするの?
本当の自分でいることって何倍も楽しいわよ。

(レディー・ガガ)
あなたは、唯一無二で、人と違って、あなたの進む道で輝いていなければいけません。

(レディー・ガガ)




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