LAWSON「ウインナー弁当」、買いましたー。
新発売のLAWSON「ウインナー弁当」🌭、買いました。
ネットでも度々話題になっていた「ローソンストア100」のウインナー弁当🌭は買ったことなかったのですが、夜中にLAWSONでの新発売を見つけました。
なぜ夜中かというのは、しつこくてすみませんが、動けなかったのです(泣)
数種類の処方薬のおかげで、以前からの短時間睡眠を取り戻すかの如く、日中はほぼ眠ってしまいます。
ちょうどズボンのウエスト位の位置から足先まで、形容し難い症状です。
古傷が〜、と言っているお腹の瘡痕は縦線ではなく、横一線の開腹なので横線で、特別に長過ぎる程の痕ではないのに、また開くんじゃないかと思う程に痛いですが、いいえ、開かないから大丈夫です、、
そして内部から坐骨にかけて、うごめくような違和感異物感と、しくしく泣くような何とも形容し難いです。
連日、弱音ばかりすみません。
一昨日もほとんど眠り続けた後の夜中に、そういえば何も食べてないと空腹をおぼえ、LAWSONの「ウインナー弁当」で嬉しくなりました。
そして、そういえばウインナー🌭の形の「箸置き」があるからと、出したら止まらなくなりました。止まらないのは、箸置きを並べ始めたい気持ちでした。
食べ物系の形の箸置きは何となくかわいいシリーズです。
もともとは何となくシブい雰囲気の陶器が好きですが、たまにはかわいいシリーズも、と少しずつ集めていました。
そしてスマホで写真を撮り(冒頭の写真です🌭)、私にしては珍しくツイートしてみました。
すると気づけば、次から次へと箸置きを出してきては撮り、スレッドにしてしまいましたが、丁寧に並べなかったので物凄く乱雑です。あれは再度きれいに並べ直してまたツイートするしかありません…が、需要は無いのは重々わかりながら私の気が済まないという、でもそれも中々出来ない程に、昨日も今朝からも一体全体何なのでしょう、、
朝は一度目覚め、今まで眠ってしまっていました。
念のためですが、もちろん手術その他のせいではありません。
緊急手術のために救急搬送された病院は、急性期医療に特化したすごい(何か色々すごいのです。)総合病院でした。
医療ドラマのシーンに自分が突然出演しているような、何かすごい展開でした。
建物自体も新しく、たくさんの先生方や看護師の方や麻酔専門医の先生などに囲まれ、もうすべてをおまかせです。
術後の私の状態が中々回復せず、当初より退院まで延びましたが、抗生剤や点滴の針を刺しながらもガラガラと、あれです、あの点滴のパックをセットしてあるキャリー棒?!みたいな、あれをガラガラと片手に持ち歩きながら、大きな院内を時々散策していました。
院内には、大手カフェやコンビニ、広いイートインスペースみたいなフロアやレストラン的なものもあり、飲食は病院で出して下さる食事以外は禁止だったので、コンビニで雑誌や漫画を買ったりしました。
4人部屋でしたが、私の手術事情が特殊だった為か、途中からお一人、入られただけです。元から部屋自体がとても広々とキレイで、嬉しかったのは入院着です。
各部屋の入口前にクローゼットのようなものが設置され、中には、半袖、長袖、羽織り、裾の長いワンピース型、ズボン…、など各デザインがそれぞれ10枚以上ずつ!位が入っており(クリーニング仕立て)、寒い暑い発汗など、自分の着替えたいタイミングに合わせて何度も着替えが自由というシステムでした。
むしろ体調に合わせどんどん着替えて調整して下さいとすすめられました。
そしてその病院着がすべて「ポロ・ラルフローレン」オリジナル病院着でした。
何か気分、嬉しくなりました。
生地も柄色合いも入院着という趣ではなく、服、っぽいです。
コンビニで買った漫画は、こち亀「こちら葛飾区亀有公園前派出所」傑作集などでした。
ベッドで読む「こち亀」は、より面白くてたまりません。
もともと大好きな「こち亀」ですが、シチュエーションすらその面白さに拍車がかかるのか、雑誌的なものは"都市伝説"特集などを買い、発熱しながらもゾクゾクしながら読んでいました。
術後の反応からか40℃近い高熱が1週間以上は続き抗生剤を打ち続けながらも、「こち亀」は楽しいです。
こち亀の凄さです。
もちろん、退院後の先のことやその時点での現実に絶望感や恐怖を拭えず、寝つけぬ夜が続きました。
そういう時は「ここは病院だから、身体に何か起きても大丈夫だ」という安心へ切り替えようと必死でした。
そして私が緊急手術からの入院生活を過ごしましたその総合病院では、術後の心理ケアの一貫なのか、その手術の種類による違いの有無はわかりませんが、入院患者である私に「臨床心理士」の方が一人、担当して下さり毎日毎日お声がけに来て、色々とお話を聞いてくださいました。
それは病室内に限らず、広い院内の他フロアで偶然会っても、どうですか?と近くにあるイスに促し話をして下さり、退院後の通院時も、ずっとお世話になりました。
今思うのは、あれほどまでにたくさんのお声がけをし続けて下さっていたのは、もしかしたら私の状態が、心理士の先生方からは「この患者は放っておけない心理状態だ」という所見が存在していたのでは、、と、ハタと気づきます。
実際に、途中から私と同じ病室に入られた患者さまには、そのような心理士の方は担当されていません。
あれれ、、私は頑張って気を張って平気な振りをして人前では笑っていたつもりだったのですが、さすが専門のプロフェッショナルの方には見抜かれていたのかと、やっと今さら気がつきました。
そして通常ならば普通ならば、面会に来るはずであろう立場の者は、私には面会にも一切来ません。
しかも私も、全然全く来てほしくない…と強く願い、その願いは叶っていたので、それが起点ではありません。
やはり、その手術内容とその経過、退院した翌日から始まるであろう「闘い」の日々を思い不安と心配との葛藤、既に緊急手術数日前からその闘いは始まっていました。
退院後からその後数年間、道を歩いていても「これが行き倒れというのか…」と、一歩もすすめずしゃがみ込む事は数え切れず、友人に電話して来てもらったこともありました。
何度も病院で調べましたが、特に異常は無く可能性として残ったのが、術後の内部の癒着などからの何らかの影響ということで、開けてみないとわからないわけです。
もちろんまた開腹するわけでは無く(絶対イヤ…)、鎮痛剤との数年間も、時と共に治まっていき、あんなに痛かった数年間をすっかり忘れていた程です。
それが10月16日からゆるやかに始まり、17日からどんどんひどくなり今に至ります。
それでももう受け入れるしかなく、今できることは治まるまでなんとか、しのいでいくのみです。
あの頃の自分と明らかに違う考え方は、生きていられているからそれだけで大丈夫だと根本の考えです。
LAWSONの「ウインナー弁当」🌭、おいしかったです。
再び味を感じなくなっていたはずですが、ウインナーの味を感じることが出来ました。
あの日の夜中のあのタイミングだからこそ味覚が戻ったとの知らせだったのかも、とか、近年は箸置きの存在すらどんどん忘れていく生活を送ってきたんだな、とか、、
今はこうして休んでいるしかないけれど、休んだ後には新しく動いていけるはずだから、むしろ今は必要な養生期間なのかもと考えます。
焦りが決して消えたわけではなく、考え方を変えていこうと日々、考え方の癖を変えていこうと試行中です。
誰のせいでもなく何のせいでもなく、でも何らかの必要や理由がある故の今なのだと、巡らせています。
頑張るために頑張るのではなく、その先を向き続けるために頑張ろうと、少しずつ思えるようになってきた、つもり…です、、という、まだまだ自信無さげですが、今は前を向き、今に向き合い、過去からの思いも体験も後から追ってきますがそれはそれで私を形づくる地層です。
この前から、ウユニ塩湖やカッパドキアが出てきてまして、今日は「地層」なので、もうすぐ貝塚とか壁画が登場するかもと、少し楽しみです。
読んで下さりありがとうございます。
どういう状態状況でも想像や目標は自由だと思いたいなという最近です。
これからもよろしくお願い申し上げます。さやか