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エスニック・ショップ。

いつもスキ♡やフォローありがとうございます❗

来て下さりありがとうございます❗

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さて❗

「レゲエ・バー」のドアを開けた私❗
私の色んなドアも開きましたー!

噂には聞いていたんです。

今から25年近く前、地元繁華街全域の中心部ではなく、お店の灯りや街灯が段々少なくなっていった先の、裏道の角の2階に「「レゲエ・バー」(Reggae Bar (お店の名前は伏せますが…))が出来たから行きたいね!」と言う、同僚。

「エスニック」のショップに就職していた私。

「エスニック」とは、今一度調べたら、"風俗・習慣などが民族特有な"、"民族的"。

様々な民族特有の文化が詰まりまくって、はみ出す程あふれ出て、インドネシアのウブドに支店を出してしまう程の会社でした。

老舗エスニック・ショップ。

数店舗展開し、インドネシアにも支店有り(当時)、「エスニック・ファッション」の流行真っ盛りの頃でしょうか。

それ以前には歌手「中森明菜」さん、プライベートでも「エスニック・ファッション」とってもお似合いでしたね。

私も中森明菜さんデビュー時から大好きでした(今も好き)
工藤静香さんも好きでしたー。

インド、インドネシア、アフリカ、ボリビア、ペルー、グアテマラ、メキシコ、中国、タイ、ベトナム、中東…等の国々の、ありとあらゆる物を扱うショップでした。

役員や店長は買い付けやオリジナル商品開発の為、インドネシアやインドへよく出張していました。

現在は展開に変化あれど、あの規模の「エスニック・ショップ」は中々珍しく又、当時人気のあった他エスニック・ショップの閉店を近年見聞きすると時と文化の流れは留まらないと実感します。

永遠に続く有形無形のものって何だろう。
どこかを漂っているその存在に気付かず、掴めないだけなのかな。

さてエスニック・ショップ。
エスニック全般の衣類・雑貨を扱う、という短文では済まぬ多彩と量。

色々なエスニック・ショップがありますが、一度でも入店されたならお分かりかと想像しますが、商品を探す作業は、ほぼ「掘削作業」「採掘作業」ですよね!

お香(インド香)の匂い、各商品から立ち昇る各国の生地や雑貨等の独特の匂い、様々な匂い立ち込め目眩を覚える程の商品量と情報量、わけわかんない音楽がかなりの大音量で流れ、店員さんたちもわけわかんない出で立ちで、わけわかんないまま店内巡ってそのまま出ます、みたいな事、ありがちかも?しれません?!かも?(人それぞれですから何とも言えませぬが…)

私が勤務していたショップも尋常ではない商品量と情報量と匂いと音楽!(たまらなく最高!)

数百円のお香から数十万単位の家具やキリム、アクセサリー、バッグ、巻き物類、小物、各国の様々なアンティーク雑貨や、ネイティブ・アメリカン各部族の伝統的アクセサリーや雑貨、絵画、布地…
書き切れないです。

メイン中のメインはやはり、服。

いやー、着たわ買ったわ、もう楽しくて好き過ぎて。

ジャラジャラさせてましたジャラジャラ。
ピアス、ネックレス、ブレスレット、バングル、ストールやターバン…
全身The エスニックファッション。

一緒に勤務する皆さんも競うように毎日毎日様々な組み合わせで全身The エスニックファッション。

ショップでいわゆる"ショップ店員"として常時お店に出ている男女比率は、全店舗合わせて4:6くらいだったでしょうか。

毎日楽しくてたまらなく、お客さまも"指名"して下さる方か増えると嬉しくて、毎日来て下さるお客さまもいらして。

今、また突如として、私的すごいお客さまを思い出しました。

"「レゲエ」のカセットテープ!"

後に、数万枚レコードを集めているというより集まってしまったDJやってる新聞記者(肩書長い)の人に聴いてもらったら「俺も初めて聴いた音源、なにコレ、超レア」的な感想をいただきましたが(ちなみにこちらの新聞記者の方はボブ・マーリー来日コンサートに行ってるんです(驚き!)(エリス・レジーナのコンサートも行ってます(驚き!)))、「レゲエ」の曲をA面B面、たっぷりダビングして入れてくれたレゲエだけの「カセットテープ」を、毎日のように私に会いにお店に来て下さっていた通称「フリーダム」さんが、私に「あなたならわかってくれると思う。」と言いながら、よく「レゲエ・オンリー・カセットテープ」を私にくださったのです。

あーーーーーーーー!!

今、どこに置いてあるかわからないです。

実家かな…
わーーーーーーーー!!

「フリーダム」さんの「フリーダム」さんたる所以は、エスニックファッションに身を包み…という以上に、「どちらのコミューンからいらっしゃいましたか?」「1969年のウッドストックを観に行かれましたよね?」とお聞きしたくなるような「ヒッピー」感がラブ&ピース過ぎる男性で、必ず肩に持つ布製の「リュック」に、「フリーダム」「☮(ピースマーク)」と、フリーダムさんの直筆ペイントで記入されていたから。

だから「フリーダムさん」だった(私たちだけでの呼称で、ついに最後までお名前や何処からいらしてるのかも存じ上げる機会は無かった)のですが、そのフリーダムさんが「カセットテープ」の紙の部分、あの、書き込める部分にも、毎回様々なイラストや文字をフリーダムさん独特のタッチで描いて下さって。

あの「フリーダムさん編集ダビング特製カセットテープ」たち!!

叫びたいほど、あのカセットテープたちを聴きたいです、今!!

フリーダムさんにこの場をお借りし御礼を申し上げたいです。

数年間に渡って、毎日のように来て下さり、店内ご滞在時間は数分間だけ、私と少しお話しして時々カセットテープをくださり、私が休憩中やシフトでいないと店内見渡しサッとお帰りになったと他の同僚からよく聞きましたが、「あなたならわかってくれると思う。」と真剣に言って下さった、フリーダムさんの全身全霊「レゲエ愛」に、私は全身全霊で反応出来ていなかった事、今さら本当に申し訳無く思います。

今、入力しながら本気で心苦しくなってきました。

フリーダムさん、ありがとうございます。
フリーダムさん、♡ & ☮!!
ありがとうございます!!

フリーダムさんへの思いを馳せながら…またショップの話に戻ってみます…

勤務先のショップは数店舗ある中のどこか1店舗固定か各店舗を回る人、1店舗固定でも他店舗ヘルプに行ったりな勤務形態、私は1店舗固定でたまにヘルプ。

私の人生で計三回、こちらの会社にお世話になり就職しています。
人生の節目節目で退職しても、また新しい機会を設け働かせて下さり本当にお世話になりました。

今でも時々、睡眠時の"夢"に出てきます。

「いらっしゃいませ」と夢で言っています。

アクセサリーからストール、小物、バッグ、履き物、服は多数枚、全身分のコーディネートを試着しながらお買い上げ下さり、気に入って下さり、また次のご来店へと繋がるご縁、本当にたくさんのお客さまに出会え恵まれ、ありがたい日々でした。

お客さまが次にご来店の時、前回の私のおすすめさせて頂いたコーディネートそのまま着用し、「ストールが自分だと上手く結べなくてー、また結び方教えて下さるー?」と着て来られたり、その瞬間、お客さまの"喜び"みたいな気持ちが伝わり本当に嬉しかったです。

着るものは生活に必須です。
無くてはならないけど、そこに楽しさや特別感をプラスしたい時「今度、〇〇に旅行に行くから、旅行に行く用のと、ディナー用の、あなたに全部任せる」というご来店など本当に嬉しい機会と出会いでした。

旅行用の場合はThe エスニック!では無く、ヴァカンス!的なイメージをおすすめします。

お似合いになるというのは基本中の基本ですが、「こういうの着たことないけど、試着したらすごく気に入った」というところまでもっていきたいんです。

だから瞬間瞬時に次々「あ、あそこのあれだ」「あ、この前並べたあの中のあれだ」と広い(結構広いんです階層店舗にもいましたし)店内の膨大な商品量と種類からお持ちします。

ショップ勤務の人が接客時以外の時に店内をウロウロしていますが、あれ、単にウロウロしてるわけではなく様々な商品の情報をインプットしまくってるんですが、楽しくてたまらないから延々とウロウロして触ったりレイアウトし直したり畳んだり(ひとによりますが)

お店への愛情、商品への愛情、お客さまへの目一杯の愛の気持ちとありがたみです。

作業が細ければ細かい程、作業の量が多ければ多い程、燃えました。
「エスニック」に関する物・事、好きで好きでたまりませんでした。

デザインする人はスゴい、それを製作する人もスゴい、店舗経営者もスゴいです。

そしてその商品を販売する係の私たちは「末端」ではなく、「現場」の人です。

「これ絶対イイ」「これ絶対似合う」「これを身にまとうと魅力が更にアップする」等を、常に楽しく考えた結果がお客さまの喜びに繋がるのは、多大なしあわせです。

衣類は生活の必須であり、その上で何かを楽しむ為のプラス部分に「あの人(私)のおすすめを買いに行こう」と思い出して頂けるなど、喜びとありがたさしか存在しません。

それにしても店長や同僚たちと勤務後、頻繁に頻回に、よく呑みに行っていました!!

男女関係なく、集団の時や数人の時や色々です。

それはそれは内面の個性際立つ人ばかりでした(私の個性は私には残念ながらわかりません…)

三回入退社の内、第一回目は21歳夏の頃でしたか…

短大卒業後、一部上場企業に入社して1年半、結局「もたなかった」私でした。

その「エスニック・ショップ」の各店舗、会社帰りにショップに時々立ち寄り、時々購入していました。

でも会社には着ていけないわけです。
通勤時の私服など個人の自由ですが、私はそれを超えられなかったのです。

会社には「OLファッション」です。
OLってオフィス・レイディです。

それはそれで良かったのですが段々だんだん…どうしても気持ちが窮屈になってしまいました。

同期女子は社内で良さげな方を見つけ恋愛からの25歳までに結婚し"寿退社"の道のりを突き進む様子で、それは存分に素敵な事です。

出来ない事、やらない事、やりたくない事、やりたくても出来ない事、それらを混同してしまうと何かを見失います。

私にとっては、やりたくない事、だったのかと思います。

あっさり退社した矢先、その「エスニック・ショップ」の求人を求人誌で見て応募し、採用して頂けました。

実は、両親は非常にガッカリ&怒り、でした。
その気持ちも今はわかります。

えーっと、早く「レゲエ・バー」に、行きましょう…

ある日、同僚(女性)の知人男性がエスニック・ショップに来店し、たまたま私も店内にいて、3人でその夜、のみに行くというか、その知人男性は私たちより結構年上で某代表取締役で、つまりどこか連れてって何かご馳走してくれるとおっしゃるから、21歳の私たち(たまたま同年齢)は無邪気に?!喜んで連れて行って頂きました。

思い返せば合計かなりの回数でした。
何年にも渡り通算、どれほどでしょうか…

私は先日の投稿で"あの時のあのような私にあのようにして下さり感謝をします"という内容を記入しましたが、既に何か…恐れ多くなっています、今。

一体、どれ程の方々にどれ程にお世話になりながらも、その時はあまり「感謝」「ありがとう」の気持ちを持っていなかった事実に気づかされます。

今、ご登場した男性の方にも、どれだけ色々なお店に連れて行って頂いたことでしょう。

私は都度、お礼を申し上げたのか、又、そこに私の"してもらえて当然"感は、無かったと言い切れるのか、内省しています。

書き出す行為によりこんなにも「作用」されるとは、今、その気づきに動揺しつつその辺りの日々が蘇ります。

先ほどから申し上げている、その男性(Bさん)は、毎晩、数軒のお店で食事やアルコールを楽しみ、1番最後に、その「レゲエ・バー」に立ち寄り数杯アルコールを嗜んでから帰宅する、という流れが日常生活に組み込まれていました。

Bさんがその「レゲエ・バー」に連れて行ってくれました。

「レゲエ・バー」についてこの先、多分長いです…

こちらの「レゲエ・バー」、OPENから25年位、今もなお続く、本当にスペシャルな場所です。

必ず、いつの時かまた行く!という"目標"が出来ました!!

楽しみです!!!

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読んで下さりありがとうございます❗
















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