ロンドン・ナショナル・ギャラリー展に行ったら、天才にちょっと親しみを感じた話。
ロンドン・ナショナル・ギャラリー展に行ってきた。会期中2回目。例の事情のせいで、あらかじめ日時指定券を用意しないといけない。
ふらっと行けないのは悲しいけれど、名作を人の頭の間から覗きこまなくていいのはありがたい。フェルメールを、日本で立ち止まって見られるのは相当久しぶりの事態ではないだろうか。
さて、2回目の訪問で、印象が大きく変わった絵があった。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン「34歳の自画像」
リンク先は、今回の展覧会のホームページ。作品画像、作者名、作品名。そしてたったひとこと、
「光と影の画家」が絶頂期に描いた自信に溢れる自画像
とある。
34歳。同世代。
おそらくこの時代の「34歳」と今の「34歳」はそもそも意味合いが全く違うのだろうけれど、いまだに足元がおぼつかない私から見ればまぶしい作品である。
この作品には、彼が巨匠として生きるべき自負というか、イメージ戦略のようなものが大量につまっているという。
着ているのは彼の普段着でも一張羅でもなく、ルネサンス期に流行した服。彼が生きた時代から見れば100年近く前だ。
構図も、ルネサンス期の肖像画でよくとられたポーズ。
名乗りも、当時は苗字を呼ぶことが多くなっていたのに、彼はあくまでファーストネームの「レンブラント」にこだわった。ルネサンス期の画家、ミケランジェロやラファエロのように。
執念にも近いこだわりを重ねて、自信満々に作られた作品。
そのように紹介されることが多いし、私も一度目はそういった視点で鑑賞した。同じ時代を生きていたら同世代のはずということもあり、まぶしいな、とも思った。
だが、二度目の対峙。
自画像の中の彼の目の奥に、なぜか小さな揺らぎを感じた。
もちろん静止画のはずなので、動くはずのない瞳が、揺れているように見えたのだ。
100年近く前の、芸術の時代ど真ん中の服を着て、自信満々のポーズをとって。
それなのに、眉も目も口も、あまりにも表情がわからない。隠しているようにも見える。
急に親しみを感じた。もちろん、一方はすでに巨匠になることが約束された才能あふれる画家で、一方は何者でもないただの会社員だ。
でも、心のうちは、ひょっとすると近いものがあったりして。
わずかに力が入っているように見える眉間。少し揺らいでいるように見える瞳。力がすっと抜けている口。
天才と呼ばれ、天才として生きることを自ら選んだ彼と、普段着でしゃべってみたい気分になったのだった。
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