お産はつらいよ
娘大きくなったなぁと、隣り合って食事をしているときにまじまじと横顔を眺めてしまうこの頃。産まれたては51センチほどだった背も112センチになり、倍以上の大きさになった。
「ママ、赤ちゃんてお股じゃなくてお腹から産まれてくることもあるんだって」
どこで仕入れてきた情報なのか、急にそんなことを言い出した。そろそろ身体のことや性についても話さないといけないけれど、お股から赤ちゃんが出てくるって幼児にはけっこうシビアな話ではないだろうか。しかしそれを前提として帝王切開のことを語りはじめたので、びっくりした。子は親の知らないところで成長をするものだなぁと改めて感じつつ、それがありがたいことでもありながら、母としてはヒヤリとする場面でもあった。
私はお産にかなり苦労したほうで、結局のところ娘は帝王切開で産まれた。
41週を迎えても自然に陣痛がくることなく(本来40週までに来ることが多い)、入院して計画出産をすることになった。破水してぎゃー!とか、外出先でイタタタ!より遥かに予想外の事態である。
入院してすぐにバルーン処置(子宮口を風船で広げる)が施された。しかしそれを丸一日入れっぱなしにしても子宮口はガチガチでびくともしなかった。出産にメンタルや体力の強さはあって然るべきだけれど、子宮口に関しては別の話。
おまけに陣痛促進剤が効きはじめるまでもわりとかかって、もしや薬が効かないタイプではと焦り始めたころに、一気に陣痛が押し寄せた。
一般的によく聞く陣痛のエピソードはお腹をブルドーザーが往復するとか生理痛の100倍だとか、主に下腹部や腰にくる鈍痛を語られることが多いけれど、私の体感では大きく違った。
全身の筋肉を足元から引っこ抜かれる感覚とでもいうのか、なにか強引に下に下に降ろされる力を感じた。赤ちゃんを送り出す収縮なのか。ともあれ、それが子宮だけでなく負荷が全身にかかるのだ。その引力がほんとうに猛烈で、もう全身が地中に埋まっていきそうなくらいなのである。
ズキンとくる感じでもなく、お腹を壊したようなキューッとするのでもなく、ジャーーーーーンだ。パイプオルガンで演奏するベートーヴェンの『運命』のように、ジャジャジャジャーーーンだ。「鈍痛」ではなくて「引痛」といった方のが私にはしっくりくる。
自分が痛みに強いかどうかは比べようがないのだけれど、これはもう耐えられないなという種類の痛さなのだ。ベッドのパイプにしがみついて、ビーズクッションに悲鳴を吸い込ませながら数時間がたち、意識が朦朧しているところに、助産師が「まだまだ本陣痛ではないですよ」と言い放った。
私はうっすら死を想像した。これは大袈裟ではなくて、痛みで気が狂って死ぬかもしれないと、そしてこの痛みから逃れられるのなら死んだほうがマシだと思うほどに辛かった。これを耐え抜いている先輩方はすごすぎる。
さらに「頑張って下から産もう、絶対にその方がいいよ。そうすると赤ちゃんとの絆がすごく深まるからね」というようなことも言われた。
痛みを乗り越えたから絆が生まれるなど、意味不明である。いまだに痛み信仰がこうやって受け継がれているのかと思うと寒気がした。助産師の立場上そうやって勇気づけることしかできないのかもしれないけれども、どんな出産方法でも、ましてや授かり方でもそこはフェアに捉えておいていただきたいと思ったのだった。
次の日の朝、医師は緊急帝王切開を提案してくれた。これ以上痛みを我慢すると母体にも胎児にもよくないということであった。やっぱりそうですよね、尋常じゃないです、ホントに…硬膜外麻酔をプスリと背中に刺すと陣痛はすっかり治まった。麻酔のすごさ、ありがたさに震えた。
ちなみにわたしが無痛分娩にしなかったのは、初産で無痛分娩を予定していても計画通りにならないこと、麻酔したところで結局痛いという話を聞いたりしたことから、いろいろ考えると面倒になって、いっそのこと陣痛を経験してみるかという軽はずみなノリからこうなった。もし無痛分娩にしていても、きっと帝王切開になっただろうけど、こんなんじゃなかったはず。陣痛なめてたー…これから出産する方はできる限り陣痛を軽減する方法を最優先にしてほしいと思う。
しかし結果的に出産フルコースを味わうことになったのは、それはそれで得るものはあったと思うことにする。陣痛よりはまし、と構えることでこの先なんでもできそうだからね。
それから何年か後に「痛みのレベル比較」という表を目にしたのだけれど、そこには初産陣痛の痛みは”手指の切断”の少し下とあった。
「しゅしのせつだん!」とつい声に出してしまうほど驚いた。しかしこれ案外近いのかもしれない。というのも、今から15年くらい前に重たいスチール製のドアに左手の中指を一本挟んでしまったことがあって、あまりの痛さに全身がぶるぶる震えて、意識が錯乱し、貧血を起こしたように気が遠くなってソファに倒れ込んでしまったのだった。折れてもいない、ただ挟んだだけでこの有り様、ということは切断となるとこれ相当の痛さと想像できる。
しかしながら「落とし前」と「出産」がほぼ同レベルの痛さとは、ちょっと皮肉なものである。
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