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どんなに身近な存在でも価値観の全く違う人間なのだ
母との沖縄旅行最終日。
太陽が出ている間は沖縄の観光地を一緒に巡った。1人だとあまり外出しない私にとってありがたい時間だった。夜にミーティングがあったので夕方には帰宅。
ミーティングを近くのカフェでして帰宅すると、母が晩ご飯を用意してくれていた。久しぶりの母と囲む食事、かつ翌日には関西に帰る母と共にする最後の食事。楽しい食事になるはずだった。
なのにご飯を食べ終わる頃には、部屋に重苦しい雰囲気が漂っていた。
何がきっかけでそうなったかはあまり覚えていないけれど、徐々に会話がヒートアップしてしまった。
多分仕事に対する価値観の違いが原因なのだと思う。
母から言わせると私の考えは「甘い」のだそう。たしかにどちらかというと理想主義の私。現実主義の母からしたら、あり得ない考えなんだろう。
生きてきた時代が違うのだから考えが相容れないのは頭ではわかっている。けれど身近な存在の母だからこそ、理解して欲しくて思いの丈をぶちまけてしまった。
それがいけなかったのかな。
母からポツリと出た。「来なければよかったね」
言葉をぶつけすぎたことを後悔した。母にとって初めての沖縄旅行。楽しい思い出で終わらせたかったのに。母の前だとつい子どもみたいに感情をぶつけてしまう。
どんなに身近な存在でも価値観が全く違う人間なのだ。身近だからこそ理解してほしいと思うのは、自己中心的な考えなのかもしれない。もっと言葉を選ぶべきだった。
翌朝。昨日の空気がなんとなくただよっている部屋。「おはよう」以外の言葉を発しないまま仕事に行く時間になった。
玄関を開けて「行ってきます」というために振り返ると、唐突に母に抱きしめられた。
驚きで口からは言葉が出なかったけれど、目頭が熱くなるのを感じた。母からもらった言葉は心の中にしまっている。やっぱりどこまでも私のことを理解しているのは、他ならない母なのかもしれない。
身近な存在でも価値観が全く違うのだから、言葉の使い方は考えるべきだ。相手と相入れることは並大抵のことじゃない。自分も相手も傷つけることになる。
けれどやっぱり身近な存在だからこそ、時には抱えているものをぶつけてもいいのかもしれない。お互いが傷ついたとしても、ぶつけた先に得るものもある。そんなふうに感じた日だった。
誰かに伝わることを願って🌕
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