見出し画像

【未公開原稿】空中庭園

 いつのことでしたか、だんなさまがこんなふうにおっしゃっていたことがありました。
「わたしは、木を見ながら木を描くのは、嫌いだよ」
 そう、あの独特の、ちょっともったいぶった野太い声で。そんな時、だんなさまの大っぷりの口の片方のわきには、決まって彫り込んだようなしわが寄るのでした。それを見ながらわたくしは、骸骨の上に筋肉と皮を張っただけの人間の顔というのは、その単純さゆえに、なんと変化に富むのだろうと、妙な感心の仕方をしたのをおぼえております。
「目の前のものを描くだけなら、自然そのものがすでに最高の絵画だ。それなら見ているだけで充分ではないか。そうじゃない、わたしの描くのは、もう二度と見られん木、もう存在しない木だ。記憶の中だけにしかない木を蘇らせる――これこそ、わたしの描こうとするものだよ」
 ひとこと、ひとこと、きっぱりと区切り、いちいち指のふりをまじえながらしゃべるだんなさまは、もしも絵描きでなかったら、必ずや役者のオーディションを受けるという暴挙に出られていたのではないかと確信しております。
 ともかく、このだんなさまの言葉は、ある大衆雑誌に載せられた折には、こんな表現になっておりました。
『私は現場を離れて描くほうを好みます。描かれる光景にとって、もっとも重要な要素である広がり、空間、色彩や光といった変化しやすい要素は、あとで思い出した方が、的確にとらえられるからです』
 わたくしはだんなさまのお宅に、住み込みの家政婦として何十年も暮らしていたのですけれども、絵のことはついぞよくわかりませんでした。この言葉も、わかったような、わからないようなで、その時はただ、なんとまあ世の雑誌や新聞の記者さまは、見事に人の言葉を、そして時には気持ちまでもを加工できるものだと、あきれたものでした。
 だけどこのごろになって、わたくしはあの時のだんなさまの言葉に、ああなるほど、と思いいたるのでした。と言いますのも、わたくしが年がいもなく、華やかな刺しゅうやらスパンコールやらを散りばめた花嫁衣裳に身を包んだ時でございました。わたくしは、鏡の中に映っているのが、わたくしではないことに気づきました。いえ、そこに映っていたのは、まぎれもないわたくし、七十一歳にして初めて花嫁衣裳を着た老婆の姿。それでいて、わたくしではない姿。それは昔、もうずっと遠い昔に、だんなさまの絵の中に描かれていた老婆の姿でした。まだ若かったわたくしがモデルをいたしました、あの絵です。
 そうしてわたくしは、ああそうか、と思いました。だんなさまがおっしゃっていたのは、たぶんだんなさまのことですから、さして深い意味でおっしゃったのでもないでしょうけど、たぶん、絵のことだけではないのかもしれないと。こうして目の前の鏡に映るわたくしの姿よりも、もう過ぎ去ってしまった過去のわたくしの姿の方が鮮明に見える。それは、もうどこにも存在しない、過ぎ去った時間だからこそ、妙に強烈に、妙に鮮やかに、記憶に灼きついているのでしょう。
 あのころの若かったわたくしは、まさか自分が、今モデルをしているような老婆になる日が来るのだとは、本当にはわかっていなかったのでした。


 わたくしがプレインフィールドにあるだんなさまのお宅にあがりましたのは、十五の秋の終わりごろでございました。そのころまだほんの少女だったわたくしは、それなりの緊張感と気負いをもってこの家の扉をたたいたわけですけれども、そのうちすぐに、そんな微妙な気持ちのキビどころではないと気づきました。
 だんなさまは、なんと言いますか、いくぶん風変わりというか、ありていに言えば、すっとんきょうな方でございました。夜通し絵筆を握っていたかと思えば、突然わあいとかなんとか叫んでどこかへ飛び出していく。何時間もたってから、両腕いっぱいの粗ごみをかかえて戻ってきたと思いきや、どう見てもがらくたとしか思えないその数々とひとしきり取り組んだあと、部屋じゅうのあるべき(らしい)場所にそれらを配置し、ひとつ満足そうにふむ、とうなずくと、いきなりこちらを振り向いてこうおっしゃる。
「右手を掲げて女神になってくれ」
 わたくしがわけもわからず、言われたとおりばかみたいに右手を上げて突っ立っておりますと、ものすごい勢いでカンヴァスに向かって絵筆を動かされます。あとになって、雑誌の表紙なんかに載っただんなさまの絵を拝見しますと、そこでは泉のほとりであふるる花にかこまれた女神フローラが、しゃあしゃあと世界じゅうに祝福を与えているではありませんか。そんな時はあきれるやら、なんだか感動してしまうやら。
 そのうちに、だんなさまはわたくしに、モデル用の衣裳を縫うようにとおっしゃるようになりました。おかげでわたくしは、古代ギリシアのたっぷりしたキトン、砂漠のオアシスでつまびく吟遊詩人のトーガ、スコットランド兵の軍服から、長靴をはいた猫の赤いマントまで、古今東西、世界じゅうの物語に登場する服を縫わせていただくはめになりました。いつしかわたくしは、この家で「家政婦さん」ではなく「お針子さん」とあだ名されるようになっておりました。
 しかし、さすがにあの日は、だんなさまの奇行にすっかり慣れきっていたわたくしも、あぜんとしたのでございます。いつものごとく、突然叫んで飛び出していっただんなさまは、きっかり一時間ほどして、頭の上に木のドアを二枚かかえ、その上に色とりどりの布、鍵束やら果物かご、アンティーク調のコーヒーカップのセットに金めっきのランプなどなど、たっぷり収穫して帰ってこられたのでした。
「いやあ、あの七十六番街のごみ捨て場は、掘り出しものが多いなあ。次の絵のモチーフになりそうなものを集めてきたぞ」
「あらまあ、そんなもの、捨ててあるんですか。こんなきれいなコーヒーカップやまだ使えそうなランプまで。あらあら、まだ一度も針を通していないような真新しい布も。こんなに色とりどりそろっているのに捨ててしまう人がいるなんて」
「なに寝ぼけたこと言ってるのだ。こいつらはマーケットで仕入れたものだ。イメージどおりの色の布なんかは、そうそうこっちの思い通りのものが落ちているわけがないだろうが」
「え? じゃあ、拾ってきたのは」
「ドアだよ、ドア。いやあ、ものが余っているとはいえ、ドア捨てる人間がいるとは思わなかった」
 それを言うなら、ドア拾う人間がいるとは思わなかった。
「なにか言ったか?」
「いいえ、なにも。次の新作に取りかかられるんですの?」
 だんなさまはさっそく、拾ってきたドア二枚を蝶の羽のように合わせて立てかけ、満足そうにふむ、とうなずきました。
「そろそろ来年のエディソン・マツダ・ランプのカレンダー用のイラストをね。またモデルをお願いするよ。まったく、おまえはわたしの最高のモデルだよ」
「え、そうですか」
 そう言われたら悪い気はいたしません。
「そうだ、おまえほどのモデルに、かつてわたしは出会ったことがない。おまえを見ていると、どんどん構想が湧くのだよ。わたしの絵のテーマはほら、神話や伝説から中世の物語まで幅広くモチーフを求めた、実に壮大で幻想的でロマンあふれる絵だろう。おまえはどんなイメージにも、すぐにぴたりと当てはまるのだ。ある時は暁の女神アフロディテ、ある時は窓辺にたたずむ物憂げなヴェネチア女――」
 だんなさまは、ひとりでパントマイムのように、いちいち大仰なふりをつけながら、熱弁をふるっていらっしゃいます。さらに続けて、
「ある時は祭り提灯を灯す無邪気な子ども、またある時はエジプトの吟遊詩人の竪琴に耳傾ける妖艶な美女。これだけどんな役でも演じきれるおまえは、言うなれば――」
「言うなれば?」
「言うなれば、個性がないのだ」
「はい、なんですって?」
「うむうむ、そうだ。おまえ自身が無色透明で、どんな味ももっていないからこそ、これだけいろんな役が演じきれるのだ」
 だんなさまはひとり陶酔したように、ドアの前にずむと立ちはだかり、劇的に両腕を振り上げながら、見えぬ聴衆に向かって訴えていらっしゃいます。
「はあ、おほめにあずかりまして、どうも」
「いやいや、礼にはおよばん」
「でも、だんなさまこそ素晴らしい方でございます」
「ふむ」
「『今や筆をとらせたらゴッホ、セザンヌとも並ぶ当世の人気画家』とタイム誌に書かれていましたし。アメリカの四軒に一軒の家には、だんなさまの絵が描かれたカレンダーがかかってるのですもの。クレーン・キャンディ・カンパニーのチョコレートのパッケージデザインに使われてからは、何万人もの芸術愛好家が虫歯になったとか」
「ふむふむ」
「本当に、ええ、だんなさまは素晴らしい方でございます。雑誌の表紙であろうと、大量印刷用のパッケージであろうと、その原画づくりへのとりくみは、歴代の画家たちをもしのぐ情熱を傾けておいでです。確かなデッサン力、壮大でドラマチックな想像力、抒情に流されない精密な描写、建築法や黄金律までふまえた画面構成――」
「ふむふむふむ」
「こうして日々、街角のごみ置き場をあさっているのも、ひとえに素材の質感まで追求へのこだわりの現れ。時にはわたくしにモデルをさせるだけでは飽きたらず、ご自身みずからもモデルをなさるほどの徹底ぶり。それがまた、ご自身がそこそこ男前でいらっしゃるから、どんな時代錯誤な格好も妙にお似合いですし。布をまとってポーズをとれば、たちまちバグダードのランプ売り。白いターバンをぐるぐる巻けば、四十人の盗賊を率いるアリ・ババ。くたびれた赤いマントをはおれば、太陽王の時代の老いぼれた枢機卿猊下。そうしてご自身をあらゆる角度から何十枚もの写真におさめて、ご満悦のご様子。ご自身はデッサンのためだなんておっしゃってますけどね、本当はどうだかあやしいところ。実はふだんと違う自分に酔いしれていらっしゃるんじゃないかと。気取り屋で、自惚れ屋で、鼻もちならない色男だなんて、いえ、わたくしがそう思っているっていうわけじゃありませんけど」
と申し上げているうちに、なんのはずみか、立てかけていたドアが倒れてきて、見るとだんなさまはどこへやら。なんだか叫び声が聞こえたような気もいたしますが、気のせいかもしれません。
「あら、だんなさま? どこへ行かれました? おやまあ、もうこんな時間! わたくし、奥様と夕食の準備をしなくっちゃ」
 そそくさと部屋を出ようとすると、倒れたドアの下からもぞもぞおっしゃる声が聞こえてきました。
「やれやれ。あいつも家へ来たばかりのころは、はにかんだ可愛い娘だったのに。今じゃすっかり口が立つようになって。誰のせいだろう、まったく」
 ほんとうに、誰のせいなのでしょうね、まったく。


 ある日、水玉模様の衣裳をたっぷりとしたスモックふうに仕立てるように言われました。それをわたくしが着て、椅子の上に腰かけて本を読んでいる、という設定でございます。背景には例のドアが二枚、立てかけてあります。
 いつもは、そこまで舞台づくりをしてしまうと、あとはとり憑かれたようにカンヴァスに向かうだんなさまでしたが、その日はどうしたことか、絵筆を握りしめたまま、部屋の中をただうろうろと、熊のように歩き回っていらっしゃいます。
「あの、こんなふうでよろしいんですの?」
とお聞きしてみました。
「うむ、いい、いいんだけど違うなあ、なにが違うんだろう……」
「なんでしょうね、なにをどうすれば……」
「あ、そうだ。そこだ、そこが違う!」
「どこです」
「手だ」
「手ですね、はい、手をどうすれば」
「もっと、老婆みたいな手をしてくれ」
「はい?」
「それに肩だ。もっと人生七十一年も生きてきたような感じを出してくれ」
「……あのう、だんなさま。念のために申し上げますけど、いくらわたしに個性がないからって、手や肩の形まで自由に変えられるわけじゃないんですのよ」
「そんなはずはない」
「そんなはずはない?」
「おまえならできる。今までだって、そのささやかな胸で、妖艶なエジプトの姫のたわわな胸のふくらみを出してくれたではないか」
「ささやかな……」
「そのぱさぱさのまつげで、眠れる森の美女が目覚める時の、うっとりするような長いまつげをしてくれたではないか」
「それはですね、わたくしが胸をふくらませたり、まつげをのばしたりしたわけではなくて、だんなさまのイマジネーションがわたくしの上に幻想をご覧になっただけで」
「そうだ、それこそが、おまえのおまえたるゆえんだ。なにせおまえには個性がないから、いくらでもわたしの奔放な想像力を羽ばたかせてくれていた。だが、今のおまえは、そんなもの、かけらもないぞ。それではいかん」
「え、と。そんなものって?」
「個性がないことだ」
「なんだかわたくし、こんぐらがってきましたけど、個性がないことがかけらもないってことは、つまり、個性があるってことなのかしら」
「そのとおり。今のおまえは、ひとりのおまえという女になってしまっている。おまえだけの表情だ。おまえだけのしぐさだ。おまえが今まで生きてきた人生すら、全身からにじみださんばかりに。それじゃまるで、ひとりの人生を生きている、ありふれた女にすぎんよ。せっかくのおまえの持ち味が、すっかり失われてしまっておる」
「つまり、個性がないっていう持ち味がなくなってるってことですか? それってわたくし、今までの言われようより、ずっとうれしいはずなんですけれど。でも、なんだかだんなさまのそのお口ぶりだと、悪いことでもしているような……」
「悪い、じゅうぶん悪い! 今までわたしが、何十という物語に題材をとった絵を描くことができたのも、なんの個性もないおまえという最高のモデルがいたおかげだ。どうか、普通の女なんかのふりをしないでくれ」
 こうなるともう、だんなさまは手がつけられず、一人舞台のような大仰な世界に入り込んでしまって、両腕で頭をかかえて身もだえしたかと思うと、次にはぶんっと両腕を開いて走り回ったりなさっています。そのはずみで、立てかけていたドアがぐらぐら倒れてきて、またしてもわざわざ下敷きにおなりあそばしたのも、劇的効果を高めるための演出だったのかもしれません。
「だんなさま、わたくしだって、恋もすれば泣きもする、ひとりの女なんですのよ」
 だんなさまは、ドアの下からはいずって出てこようともがいておられました。
「なにか、言ったかね?」
「いいえ、なにも。わかりました。仰せのとおりにやってみますから」
 わたくしは、ひとつすっと息を吸い込みました。一瞬、なにもない空中を見つめ、表情を消して、肩をすとんと落とす。それからちょっと背中に丸みを出して、本をもつ腕にはぎこちない力なども加えてみたりいたしましょう。いつの間に、こんなわざを身につけてしまったのでしょうか。
「おお、それだ」
 だんなさまは、ドアの下から抜け出てきた所が、さんざめく朝やけの街だったかのような声をあげられました。
「それだ、まさにそれだよ。素晴らしい。それを望んでいたのだ、わたしは。まさに、古色蒼然たる老婆だ。どこにでもいそうな老婆の皮膚の内側に、この世のなんの役にも立たないがらくたな英知がずっしりと沈殿しているのだ。それだ、わたしが描きたかったのは。老婆が生きてきた長い長い年月がもたらした、その重みと軽さだよ」
 わたくしは、表情ひとつ、指いっぽん動かさないまま聞きました。
「で、今度の絵のタイトルは?」
「『本が好きな人』または……」
「または」
「『無知』だよ」

  
 先ごろ、ソヴィエトの人工衛星スプートニクが宇宙へと飛び立つというニュースが世界を駆け巡りました。それは、科学の英知がもたらした、きたるべき未来の幕開けでした。が、わたくしにはそのニュースが、懐かしい神話の時代の子守唄のように聞こえました。ええ、たぶんだんなさまなら、無味乾燥なロケットを、北欧のヴァイキングの帆船のように描かれるに違いない。空気もない無重力の空間では、どうしてだかハンプティ・ダンプティが赤い燕尾服に山高帽をかぶって、ぷわぷわと浮きながらお茶を飲んでいたに違いありません。
 ですが、だんなさまは、ある時からふっつりと、物語や神話に題材をとった絵を描くのをやめて、風景画を手がけられるようになりました。いくつかの雑誌がインタビューに来て、記事にもなったようでしたが、わたくしには絵のことはよくわかりませんでした。ただ、アトリエの隅に山のようにうずもれた、神話や物語の登場人物たちの服を見て、もうこのような服を縫うことは二度とないのだろう、とだけ思っておりました。
 
 
 あの日、わたくしがだんなさまを呼びにいった時、だんなさまはいつもと変わらずに、ただ少し疲れているだけだというように、のんびり窓の外をごらんになっていました。窓から吹く風がさやさやとカーテンをゆらしていました。そういえば、だんなさまが晩年描かれた風景画の一枚には、こんなタイトルがついていました。『申し分のない日』と。
「だんなさま、奥さまに最後のお別れを」
 わたくしの声にふりむいただんなさまは、微笑みともまどろみともつかない、おだやかな表情をされていました。
「ん? ああ、別れなら、とっくにすませたよ」
「でも、あれからきれいにお化粧しましたから」
「ぬけがらを塗りたくって、一体なんになる? きれいな顔を見たけりゃ、わたしはいつだって見ることができる。紅をさし、一番似合うドレスを着せて、長い髪を編んで地中海の風に吹きさらすことさえ、わたしにはできるのだよ。そうでなくて、なにが絵描きだ」
「はい、だんなさまは素晴らしい方でございます」
「素晴らしい、か」
 そうしてだんなさまは、また窓の外をご覧になりました。庭の樫の木が、風に吹かれていっせいに木の葉をゆらして波のようにさざめいておりました。
「なるほど、人はみな、口々にわたしの絵をほめちぎる。とくにブルーだ。私の描く空や、海や、湖や、森に満ちるあのブルーを」
「ええ。今やあのブルーは、だんなさまの名前をつけて呼ばれています。だんなさまは、世の中に新しい絵の具のチューブを作られたのです」
「だが、いいかね。あんな色は、自然界のどこにも存在しない色だ。空も、海も、森も、神が創ったものだ。その色を、なんで人間ごときが再現できるものか。だけど、人はたやすく言う。ああ、このブルー、知ってる。あの日見た海の青だ、遠い日の空の青だ、子どものころ遊んだ森の青だ――と。だが、そうではないのだ。あれは、人の記憶の中だけにある、残像に過ぎんのだよ。にもかかわらず、人々はわたしの絵を見て、まるで確かに見てきたかのように言うのだ」
「はい、だんなさまは素晴らしい方でございます」
「だから、あれが死のうと、わたしは別に悲しみはせんよ。わたしの筆がある限り、いつでも蘇らせることができるのだからね」
「だんなさま、ひとつおうかがいしてもよろしいでしょうか?」
「なんだね」
「だんなさまは、わたくしをモデルにして、たくさんの絵をお描きになりましたわね。時にはご自分でモデルをなさったり。でも、奥さまを描かれたことは一度もありませんでした。なぜですの?」
 それを聞いた時のだんなさまは、なんともおかしな表情をなさいました。たとえて言えば、公園でなかなか懐かなかった猫が、はじめてエサを食べてくれた時のような顔です。なんだ、食べてくれるなら、もっとパンくずを持ってきたのに。いつも知らんぷりしてるから、今日もいらないと思ったじゃないか、とでも言いたげな。
その時、下の部屋からわたくしを呼ぶ声が聞こえました。
「なんでもございません。わたくしは弔問の方々のお相手がございますので、失礼いたします」
 きっと、だんなさまのお答を聞かない方が良かったのだ、となぜかそのとき、わたくしは思いました。

 
 それからまた何年か過ぎて、わたくしはだんなさまにお暇乞いをいたしました。少し耳の遠くなっただんなさまは、ゆっくりと聞き返しました。
「なんだって、この家を出ていく?」
「はい」
「どうして突然に」
「突然でしょうか。だんなさま、わたくしはもう、何十年もお世話になりましたわ」
「おまえはいくつになったんだ?」
「だんなさまがわたくしの歳をお聞きになるのは初めてですわね。今年で七十になるんですのよ」
 そのとき、わたくしは小さな賭けに出ようとしていたのでしょうか。小さな、そしておそらくは、生涯でただ一度きりの賭けに。
「そうか。わたしの中では、おまえはこの家に来た十五の時のそのままで、少しも変わってはおらんのだがな」
「いいえ、わたくしはもう、老いぼれた婆さんですわ」
「いや、おまえはわたしの前では、今すぐにだって、王子のキスを待っている眠りの森の美女になれる――あれは、ハースツ誌の表紙を飾った絵だ。幕間にリュートを片手にくつろぐ、ギリシアの吟遊詩人にだってなれる――これは、イーストマン劇場の壁画だ。アラーの楽園で散歩する神秘のアラビア美女にも――これはクレーン・キャンディ・カンパニーのチョコレートの包み紙だ。あのチョコレートは、史上最高の売り上げをあげたんだ。それから――」
「いいえ、だんなさま。だんなさまはもう、とっくにそんな絵をお描きではありません。さあ、わたくしをよくごらんになってくださいまし。しわくちゃの、しみだらけのこの顔を。人なみに年齢を重ねてきた、この顔をです。何十年も、神話や物語の登場人物として生きてきたモデルの、なれの果ての姿を」
「おまえは、わたしの最高のモデルだった」
「ありがとうございます」
「今となれば、妻と過ごした時間よりも長い時間を、おまえと一緒に生きているのだ。わたしの人生の最後までともに過ごせると思っていたのだがな」
「ありがとうございます」
「わたしは、おまえを愛していた」
「ありがとうございます。ええ、だんなさまは、ニューハンプシャーの丘や、壊れかけた水車小屋や、ハートのジャックや、まだら馬や、月や、星や、雪や、そんなものを愛するように、わたくしを愛してくださっていたのですわ」
「なにを言っているのだ?」
「ええ、だんなさまには、おわかりにならないでしょう。それでよろしいのです。だんなさま、笑わないで聞いてくださいまし。わたくしは、この年になってはじめて、結婚しようと思います」
「結婚だと?」
「はい。幼なじみの男の子でしてね。あら、わたしったら、男の子だなんて。確かに人って、一番最初に出会った時の年齢でとまってしまいますわね。昔、プロポーズされた時はお断りしたんですけど、今ごろになって向こうもまた独り身になったようで。わたくしもようやく決心がつきました」
「断っただと? どうしてもっと早く応えてやらなかったのだ?」
「わたくしは、未熟な小娘だったのですわ。そういう意味では、わたくしが少しも変わらないとおっしゃるだんなさまのお言葉も、当たってなくもないですわね。わたくしには、チョコレートへの愛と、人間への愛が、まるっきり別のものだとは思えなかったのですわ。でも、この頃になってようやくわかりました。チョコレートへの愛は、とても神聖なものですけれど、わたくしも女でございます。この歳になって今さらですが、今まで手にできなかったものを手に入れたいと思うようになりました」
「手にできなかったもの?」
「ええ。たとえば憎しみとか、嫉妬とか、恨みとか、女が生きていればあたりまえに感じるような、そんな気持ちも全部ひっくるめた、あたりまえの愛を」
 だんなさまは、しばらく黙っていらっしゃいました。やがて開いた口から出た言葉は、こんなありふれた言葉でした。
「わたしは、妻に先立たれて、おまえまでなくすわけだな」
「いいえ、だんなさま。だんなさまは何もなくしたりはされません。奥さまは今でも地中海の風に吹かれていらっしゃいますし、わたくしは、はじめからだんなさまの前にはいなかったのですもの。だんなさまの前にいたのは、何十人もの、絵の登場人物たちだけです」
 だんなさまは、なにか言おうとして、またしばらく黙っていらっしゃいました。やがてぽつりと一言、おっしゃいました。
「幸せに、なるんだね?」
「はい。長い間、お世話になりました。だんなさまもいつまでもお健やかにお過ごしくださいますよう。だんなさまのお父様は九十二まで生きられましたからね、だんなさまはきっとそれをゆうに超えるでしょう」
「なんだ、それは。森の精霊の託宣か?」
「はい。最後のお告げだから、当たりますよ。では、これにて失礼いたします」  


 だんなさまがお描きになった中で、わたくしが一番好きだった絵は、一九三〇年のエジソン・マツダ・ランプのカレンダーに載った、ある一枚でした。まだ物語の世界を描かれていた頃のです。その絵は今でもポストカードやブックマークなどに使われていて、ひょんな所で目にいたします。
 絵の中では、ひとりの娘があざやかに長い髪をかきあげ、眼下に広がる湖に飛び込もうとするように、身体を開いています。小さな壁掛けカレンダー用の絵でしたが、原画は背の丈ほどもあり、ずっと見ていると空に落ちてしまいそうでした。
 もともと大量印刷用に描かれたものなので、たいした保存もしておらず、今ではボードから油彩がはがれ、小さなひび割れが全体にびっしりと起こって、蜘蛛の巣を張りめぐらせたようになっていました。
 その中で、やはり空はあのブルーでした。この世のどこにも存在しない色。記憶の中にしか存在しない色。あれほどまでに鮮明で、あれほどまでに神聖な青さは、どんな印刷でも表現することはできませんでした。けれど、見る人は誰でもその絵から、自分だけの記憶の青を鮮やかに思い出したに違いありません。
 あの空は、わたくしがはじめてだんなさまにお会いした日の、良く晴れた昼下がりの空でした。あの空は、七十六番地のごみ捨て場から、ドアをかかえて帰ってきただんなさまとやり合った日の空でした。そして、奥さまがお亡くなりになった日の、それから、わたくしがほんの小さな賭けに出ようとした日の――。だんなさまと過ごした日々のすべての記憶に、あの空の青さが確かに存在したのです。

  
 ささやかな結婚式の日。だんなさまはついに顔をお見せになりませんでした。わたくしも、とくにお呼びいたしませんでした。今日のこの姿を、だんなさまには見ていただきたくないような気がいたしました。
 わたくしは生涯ではじめて、無数の神話や物語の登場人物たちの服ではなく、自分自身を飾るための服を縫いました。そうして真っ白な花嫁衣装に身を包み、鏡の前に立った瞬間、あの空の青さはかき消すようになくなっていったのです。
 

*本作は架空の物語ですが、アメリカの画家マックスフィールド・パリッシュ(1870-1966)と、その家政婦 兼 絵のモデルを務めたスーザン・ルーウィン(1904年15歳からパリッシュ家に住み1960年に71歳で結婚)の実話を基にしています。
*本作は文化活動と創作文芸を推進する地方文学賞の受賞作です。
ⓒSaya Nakamura2025


いいなと思ったら応援しよう!