お義母さんの"日常"に救われた私。
夜中まで仕事をしていた20代の頃、専業主婦であるお義母さん出会い、価値観が広がりました。衝撃を受けました。そして、救われました。
仕事で活躍すれば豊かな人生になる!と思っていた私は、視野を広げ視座を高めるためには
・ビジネスに関する本を読む
・会社で尊敬する人のことを観察する
・全く違った職種や業種の人と話す
・視座が高い人と話す
・自分の能力以上の仕事をする
ということだと思い、実践していました。
27歳の時、毎日夜中まで仕事して、全部1人で仕事している、自分が一番優秀だ!と思っていた頃に結婚しました。
(本当はもちろん周りのひとに沢山助けられていたし、自分が優秀だなんてことはないのですが、その頃はそう思っていたので結構やな奴だったのかもしれません...笑)
結婚して、義理の両親や親戚と会う機会が増えて価値観が広がりました。
仕事は楽しくて充実していたけれど、
いつも気を張っていて、頭はいつもグルグル回転していて、脳を休めている時間はほぼ無かったと思います。
休みの日も店舗を回って自社や競合品の商品や販促品のチェック、雑誌を片っ端から読む、日曜日の夜も会社にいって仕事をしていました。
当たり前にみんなしていたことですけど。とにかく頭はグルグル高速回転でした。
旦那さんの実家に行くと、とても穏やかな気持ちになり、当時の自分にとって”非日常”な空間でもありました。
2歳の甥っ子に、さやちゃ〜ん遊ぼ〜と甘えられ、お義母さんの豪華で美味しい手料理をいただき、家族揃ってのんびりと3時間かけて話しながら晩御飯を食べる。
ゆっくりと時間が過ぎていて、平和で穏やかな空間。
甥っ子ってこんなに可愛いんだ!癒される。可愛い。ひたすら可愛い。私もいつかこんな可愛い子を授かりたい。ああ、いいな。この平和な感じ。
こんなにゆっくりご飯食べるの久しぶり。
ゆっくりしていいんだ。甘えていいんだ、と。
実家にいるときは脳みそフル回転状態が一時停止して、ふんわーりしてました。
そして、実家にはよく人が訪ねてきます。電話もよくかかってきます。友達が多く、地域の人たちとも密接。
お友達の書道の展示会や、友人の孫の発表会や、お稽古ごとや、小学生に昔遊び・工作を教えるボランティアや、毎日忙しく色んな人達と関わっています。
お義母さんはいつも笑顔で朗らか、周りにひとがたくさん集まってくる、皆んなに愛されている、皆んなに尽くしている、そんな人です。
自分が60歳を越えたとき、こんなに友達がいるだろうか。
毎日こんな笑顔で楽しめているだろうか。
仕事はしてきたけど、人間力ついてなかったかも。
「仕事」以外での信頼や関係って、得てないかも。
「株式会社◯◯の私」としては関係性成り立ち、信頼も得て、会社に貢献出来ているけど、
「1人の人間としての私」は、、、?
お義母さんをみて、唐突に湧き上がってきた感情でした。
私は会社辞めた瞬間、何も残らないかもしれない。
仕事のスキルや実績はあるけど、
1人の人間としての信頼とか、関係性とか、
今後も続くような、人生の糧となるようなもの。
それが今の私には、ないかもしれない。
おかあさんは、いつも相手を助けているけど、相手に気を遣わせない。
普通にさらっとできる人。
相手をよく見て、よく知り、その時に必要なこと、「声がけ」を知り尽くしているかのよう。
私は物理的にも精神的にもかなり救われました。
その朗らかさと笑顔と、慈悲深さに、家族や周りの人は救われている。
仕事のことしか頭になかった私にとっては衝撃でした。
専業主婦と働いている人、どちらがどう、という話ではなく、お義母さんはすごい。
そして、世の中のおかあさんはすごい。
こうやって家族や周りの人を支えているんだ。と思いました。
コミュニケーションスキルとか、相手を思う気持ちとか、卓越している。
(そう思うと井戸端会議も、なんだか崇高なものに見えてくるから不思議。)
妊娠して不安になった時も、私の母が入院した時も、仕事が忙しいけどもっと仕事をしたい時も、物理的にも精神的にもおかあさんが助けてくれました。
PRイベントで早朝から夜まで一日中立ちっぱなしでクタクタで帰宅した時、
子どもたちがおかえりー!と玄関まで駆け寄ってくれて、
おかあさんの手作りの晩御飯の匂いが漂ってきて、
キッチンから笑顔で、さやちゃん、おかえりー、お疲れ様ー!と言ってくれた時は泣きそうでした。いや多分、手を洗いながら少し泣いてた。ありがたいなと。
人生が豊かになるとは、どういうことだろう?
人生を豊かに過ごすとは、自分が、周りが、どうなっている状態を言うのだろう。
この問いは何度も自分に問いかけるし、家族とも話すし、
その時によって答えが変わったりもするのですが、
問いかけること自体にも意味があるかな、と思います。
何が言いたいかわからなくなってきたけれど、
おかあさんはすごい、という話と
自分の日常が無意識に相手を救っていることがある、ということ
身近にいる人の見方を変えると、今まで気づかなかっただけで、みんなすごい
ということです。
今まで意識してなかったけど、よく考えて振り返ってみると、私の兄もだいぶ凄いです。お兄ちゃん今までいつもネタにしてきてごめんね。今度お兄ちゃんのすごい話も書くわ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!