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さやの読書記録 3冊目『口の立つやつが勝つってことでいいのか』

こんにちは、さやです。
自問自答ファッションを通じて、今まで読んでこなかったような本を読んでいるので、読書記録をつけよう!の3冊目。


今回は頭木弘樹さんの『口の立つやつが勝つってことでいいのか』です。
少し前(4月)に読んだ本なのですが、せっかくなのでまた読み返しながら記録を書いていきます。


バズり散らかしていたあの一節が読みたくて

この一節、バズり散らかしてましたよね……!
何度も何度も、色んな人の投稿でこの一節を見るたびに、読みたい……!と思って、本を手に取りました。

ぜひ読んでいただきたいので、頭木さんのnoteを引用

『口の立つやつが勝つってことでいいのか』は、noteに発表されたエッセイを中心に構成された本で、現在でもそのnote記事は公開されています。
ということで、『なじめない魚』の該当の記事を引用しました。ぜひ読んでいただきたい……!

『なじめない魚』の自覚がある

この一節が深く私に刺さるのは、私に『なじめない魚』の自覚があるからです。

大袈裟にいえば、私は人や社会になじめないなと思っています。なじめないので、人や社会について考え続けて、大学院まで来てしまいました。

卒業後は専門職にはならずに、他の仕事に就くことになりましたが、きっと人や社会について考え続けます。いつまで経っても『なじめない魚』なので🐟

『無敵の心理学』について

一番深く刺さったのは『なじめない魚』で、2番目に刺さった箇所を挙げるならここですね。こちらもnoteに発表されたエッセイですので、引用します。

私、自分の本音が「本当に」本音なのかを、疑っています。

引用した記事内では、フロイトの「無意識」という発想に触れられています。
フロイトの理論に従うと、人間が意識できるのは「意識」と「前意識」で、「無意識」は意識できない、ということになると思いますが、自分の中に意識できない領域があるって、怖くないですか?
私は怖いです。

人間には意識できない領域があるらしいということを知ってから、私は自分の本音というものをずっと疑っています。
本音として口に出せるのは意識できる領域内のことで、領域外(「無意識」)ではもしかしたら違うことを思っているかもしれない。

そうやって、自分自身を勝手に疑っているだけなので、別にそれはいいと思いますが、『無敵の心理学』を誰かへ振り回したくはないなと、この章を読んで思いました。

言語化を信じすぎていたかも?

この本の帯には『思いをうまく言葉にできないほうが、当然なのだ。本当なのだ。』とあります。

もちろん、「思いを言葉にすること」で、思いが明確になることもあるし、考えが整理されることもあると思います。
言葉からファッションに取り組む自問自答ファッション。自問自答ガールズは、言語化の力に気づいている方が多いと思います。 

しかし一方で、「思いを言葉にすること」で、「思い」に含まれていた曖昧なものや多義的なものが、取りこぼされることもあるなと、私は感じます。

もっと曖昧なものを、曖昧なままで抱えていてもいいかもしれない。すべてのことを言語化して、明らかにしなくてもいいかもしれない。
そういうことを考えさせられる本でした。

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