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ファンであること。

好きなバンドのライブに行ったり、七海さんのファンミーティングの配信を見て色々と心動くというか掻き乱されることがありまして。
この気持ちは残しておきたいなと思ったので、久しぶりにnoteを書くことにしました。

ファンって、応援って、何なんだろう。私はちゃんと好きな人達を応援出来ているのだろうか、と思うことがあります。
もちろん応援の仕方は人それぞれ、状況も人それぞれ、好きという気持ちがあればそれだけでファン、という大前提はあるとしての話です。

先日20年以上追い掛けているバンドのライブに、約3年半ぶりに参加してきました。このライブに参加するにあたり思うことは(マスク・声出し問題とか数年前の不祥事だとか)本当に多々あったのですが、今回の記事では割愛します。
間の悪いことに、その日は七海さんのファンミーティングの日でもありました。ファンミの日程発表はライブのチケットが取れた後で、他にも外せない用事があり、泣く泣く参加を諦めました。
とは言えライブが楽しみな気持ちも本音で、これまた20年以上の付き合いである友人と楽しく参加してきたのですけども。

さて、ライブの内容が良かったのは言うまでもないのですが、ライブ終盤のMC、ボーカルの言葉で思わず涙してしまった瞬間がありました。

僕は君の昨日を知ることは出来ないし、君の明日に寄り添うことも出来ない。それは物理的に不可能です。僕はそれがすごくもどかしいと思うんだ。だけど、僕らの音楽にはそれが出来る。君が聴いてくれる限り、君がそれを望んでくれる限り(意訳)。

これは今回初めて聞いた言葉ではなく、今までのライブMCだったり、リリースされた楽曲でも、何度も伝えてくれている言葉です。彼の音楽や言葉は一人ひとりのファンの心にそっと寄り添ってくれていて、それが私がずっと彼のファンでいる理由です。

とは言え私はライブに全通するわけでもなく、他の人の応援を掛け持ちしたりもしています。
このバンドも聴き始めの数年間は彼らの年齢もビジュアルも、どんな人柄なのかも知らず、何ならメンバーの名前すらも知らず、ただCDを買って彼らの音楽だけを毎日何時間も聴いていただけの時期がありました。
けれどそれだって応援で、紛れもなく私はその頃から彼らのファンだった、と思っています。
今も毎週放送している彼らのラジオを聴くわけでもなく、出演した番組を全て見るわけでもなく、苦手なメンバーだっているし、納得出来ていないことも許せないことだってある。けれど、彼らの音楽を愛していることだけは間違いなくて、胸を張って私は彼らのファンだと言えます。

彼らの音楽を聴く時、私はいつも私の大切な人のことを思い出します。それは普段言葉を交わす人だったり、なかなかお目にかかれない遠い存在の人だったり、一方的に慕っているだけの会ったこともない人だったり。
そんな大切な人達が無性に愛おしくて、これから先ずっと健康で、幸せで、笑顔でいて欲しいなとライブの間もずっと考えていました。
普段交流のある人はともかく、後者の方々に勝手にそんな思いを抱くのは少し変なのかもしれませんが、それでも不思議とそう思ってしまう。
それはいつだって、彼らの音楽からは一方通行ではない思いを受け取っているような気がするからです。例え直接言葉を交わしたことが一度もなくたって、直接人生が交わることがなくたって、心を交わすことは出来ると教えてもらったからです。

そして私は数年前、同じような気持ちを抱かせてくれる人に出会いました。
それが七海さんです。
(七海さんについてはもう何度も語っているので、記事のリンクだけ貼っておきます)

ライブから帰宅した深夜、どうしても我慢出来ずファンミの配信を見ました。
内容に関してはレポート禁止なので伏せますが、七海さんの愛と温かい気持ちで溢れていて、とんでもない宝物をもらったような気持になりました。

先日Twitterでとある方の“応援とは、見返りを求めるものではない”という趣旨のツイートを拝見しました。その通りだと思います。
(そもそも音楽や舞台から感動や何かを受け取っているからこそファンになるわけですしね)
けれど、不意に、こうしてお返しをもらえることがある。言葉を交わさなくても気持ちが届くことがある。
それがなくても応援する気持ちに変わりはないけれど、やっぱり感情のある人間なのでそれがとても嬉しくて、私はこれからもずっとこういう人達を、この人を、応援していきたいと強く思いました。

私の好きな人には共通点があります。
それは応援の方法を、日々の生き方を、決して否定しないこと。
七海さん風に言えば「トコトコで良いよ」。
バンド風に言えば「君の好きなように聴いてほしい」。
長い人生の中で、自分なりの楽しみ方で、ずっと楽しんで欲しいと言ってくれる優しい人達です。

さて、そんな風に彼らに温かい気持ちをいただく度に、冒頭で言った“私はちゃんと好きな人達を応援出来ているのだろうか”という思いを抱くのです。こんなに沢山の物を受け取って、私はそれに対して何かを返すことが出来ているのだろうか、と。
それは直接聞くことも出来なければ、はっきりとした正解のあるものでもないのですけども。
きっとこのもどかしさや焦燥感は、彼らのファンでいる限り一生付いてくるものだろうなと思います。気持ちをもらえばもらうほど、相手を好きだと思えば思うほど。

そんな思いを抱えながら好きな音楽を聴いて、大切な人への手紙の文面を考えた雨の一日でした。

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