手紙に込めた思いは「私の存在」
私の亡き祖父は三人兄弟の長男である。その祖父の三番目の妹は、私の祖父と15歳離れていて、今年でちょうど古希を迎える。
その大叔母のことを私は「東京のおばちゃん」と呼んでいる。東京のおばちゃんは、これまでずっと独身で、今もなお現役の看護師として現場で活躍している。仕事が楽しいんだそうだ。
そんな東京のおばちゃんのことを、私は心から尊敬している。
東京のおばちゃんの手紙
東京のおばちゃんは、私のことを幼い頃からとてもよく可愛がってくれた。誕生日のたびに、色々な贈り物をしてくれた。
そして、その中には必ず「お手紙」が同封されていた。
プレゼントを開けながらおばちゃんのお手紙を読む。
私にとっては、毎年の恒例行事となっていた。
でも、幼い頃の私にはなぜいつも電話で話していることを、わざわざ手紙にまとめて送ってくるのかな?と疑問で仕方なかった。
手紙でお返事を書き始める
私が大学生となり、一人暮らしを始めるや否や、東京のおばちゃんの手紙は、もっとたくさん届くようになった。
それまで、手紙はプレゼントに添えられているのみだったのだが、大学生になると、手紙だけ届く回数が増えていった。
私がお返事を書かずとも、送られてくる何通もの手紙。
それに対して私は、「お手紙届いたよ。ありがとう」の気持ちを電話で伝えていた。
その当時の私は、こんなことを思っていた。
電話という便利な手段があるのに・・・
そして、私はいつも電話で手紙が届いたよ〜と伝えるのに
それでも、なぜ東京のおばちゃんは手紙にこだわるんだろう?
昔人だからなのかな?
それでも、何かあれば届き続ける手紙。
その手紙の山を見て、ある時、私は、東京のおばちゃんにお手紙のお返事を書いてみようと思った。
そしたら、東京のおばちゃんから、早速、お手紙でお返事が届いた。
そこには、「うれしい。ありがとう。Sayaちゃんの思いはね〜・・・」と、私の手紙への感謝の気持ちと、私が書いた自分自身の話への感想がたくさん綴られていた。
手紙はその人の「存在」を伝達する
現代には、電話やメールと、相手に思いを伝える手段はたくさんある。だからこそ、手紙を書くという行為は、なんだか照れくさかったり、古くさかったりする行為に感じてしまう人もいるかもしれない。
しかし、手紙には不思議なパワーがあるような気がするのだ。
東京のおばちゃんの字は、正直綺麗とは言えない。いつも読むのに一苦労する。しかし、メールのように誰が書いても同じ形の字になるのではなく、あの、読むのに一苦労する字こそが、東京のおばちゃんなのだ。
そう、私はいつも、あの字体から、東京のおばちゃんの存在を感じている。
時には、手紙はその人の「香り」も伝達する。お気に入りの香水をつけている人が書く手紙は、きっと、手紙からもふわっと同じような匂いがしてくるだろう。その香りに包まれれば、きっと、その人が、今もまだ隣に座っているのではないかという錯覚に陥ることだってできる。
そんな、誰かが時間をかけて丁寧に書いた手紙は、形として相手の手元で残るものである。その人の存在が、この世から消えてしまっても、目の前から消えてしまっても、その人が書いた手紙は、送った相手の元に残り続ける。
つまり、手紙は、手紙そのものに書いた「内容」以上に、自分自身の存在を届ける手段であるとも言えるのだ。
だからこそ、手紙にはメールや電話と異なった味がある。遠く離れた大切な人と、手紙という紙が、目では見えないその人の存在をしっかりと感じさせてくれるものだから。
東京のおばちゃんの存在
きっと、東京のおばちゃんは、私のように、手紙の意義など考えずに私に手紙を送っていると思う。
しかし、東京のおばちゃんは、感覚的に手紙の大切さを知っているのかもしれない。
今もなお、たくさん送られてくる東京のおばちゃんの手紙。
年々、おばちゃんの字の解読は難易度を増している。
でも、それでいい。
私は、離れて暮らす東京のおばちゃんの存在が感じられるだけで幸せだと思う。だからこそ、私も東京のおばちゃんへ、私の存在を届けようって思って、私は世界中どこへ行っても、必ずレターセットを持参している。
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