おくやみ
母の実家の隣の家のおっちゃんが死んだ。もう顔も覚えていなくて、最初は名前を聞いても、しょーじき誰?って感じだった。
毎年お年玉をくれたおっちゃんで、早くにおばちゃんが、なくなってからも毎年欠かさずお年玉を、ことづけてくれとったんよ。とは母の言。
おぼえてない。
でも、母の実家の近所のひとが、いつもお年玉をくれていた記憶は、それだけは確かにあった。足長おじさんみたいだ。待って。今の若い子って足長おじさん分かるのかしら。ちょっとぞっとした。
まーだからとにかく電報打っときなさい、てことだったから、おっちゃんのこと、どんな人やったか、聞いた。
奄美大島の出身でね、黒砂糖もらうのが楽しみやった。
(何それ初耳なんですけど。てかそのエピソードけっこういいやん!母さんが書いたほうがいい電報できそうやん!私、黒砂糖もろたかどうか覚えてないし!なんなら小さいころ黒砂糖あんま好きと違うかったし!)
いつも穏やかな人でね。隣が喧嘩しているのなんて聞いたことがない。
そっかーーーーって、なった。ちょっと照れやだったんかな。ちゃんと、毎年、顔を覚えるくらい、お礼に行くべきだったな。隣の家の、嫁に出ていった娘の子どもっていう、まるっきり他人に、どうして毎年お年玉くれたんだろう。電報打つときに、いつも、後悔する。今ごろ故人の人生に思いをはせるなんて。
なんとか電報を打ったけど。
なんだか、すごく、ドラマがあったかもしれなくて、だって、奄美大島から愛媛の超すみっこの片田舎に来るなんて、絶対なんかあったはずで、しかも、ずっと、お年玉くれてて、でもなんか、お年玉あげたったでーみたいな顔をするわけでもなくて、なんなら顔も覚えてないくらいで。でも多分、本人はそれでいいって思っちゃうような、そういう、人やったんかな、もっとお話ししとけば良かったな。まぁ話せたところで、人の過去を根掘り葉掘り聞くのもどうかと思うけども、それでも。
それでも。
覚えてないのはもうどうしようもないから、おっちゃんのその優しさを、忘れんとく。
だいたいそういう内容の電報を打った。
だめだめかもしれないけど、でも、それが、おっちゃんにできる最後のおかえしだったから、ちゃんと向き合って書いた。
ちゃんと向き合わなかったら、雑にざっくりいい話風にまとめることができちゃう、そういう小賢しい自分がいたので、しっかり封印した。
いつか私が死ぬときは、え、この人誰?どういう関係?って人から電報がたくさん届くように生きよう。1通も電報が、こなくても、それはそれでいいやって、その人が気づかないような優しさを蒔いて生きよう。
それは私にはとても難しいけれど。
すぐズケズケ言うし。穏やかでいられないし。でもそういう葬式は楽しそうだから、ぜひ、目指そう。
と、
そんなことを思う私のそばで、未来がはちきれんばかりにパンパンにつまった頭のデカい、プレーリードッグみたいな赤ん坊がぎゅーぎゅーおっぱいを吸っていた。
おっちゃん、サヤ子ども産まれたよ。