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朝井リョウ「何者」
ここ半年ほどの悩みに、頭を揺さぶられるような本や、映画と出会えてない、ということがあった。
映画や、本を読んで、手放しで「これはすごい!」と言えるものがなかったのだ。何を見ても、何を読んでも、それなりに面白いけど、刺激を受けることは少なかった。
しかし、同時に、どんなにつまらないものだったとしても、この人は書き上げたんだ。この人は撮りきったんだ。という意識があった。
私はずーっと、モノ書きとして身を立てたい、と願いながら、心のどこかで挑戦できない自分を感じていた。そして、恥じていた。
だから、何かを作りきった人たちに対して、私は負けてる、とか、「どれだけあんたがつまらないと思っても、作りきれないあんたより、作りきったこの人達の方が上なんだよ」と思っていた。
そんな私も何がきっかけか分からないが、このごろやっと、一歩踏み出すことができた。「何者か」になるために、できるだけのことをやってみよう、と腹をくくることができたのだ。
このタイミングの私が読む本として、朝井リョウ「何者」はぴったりだった。
まず、頭を殴られたように比喩が上手い。一文たりとも、「誰々は、歩いた」のような直接的なだけの文がないのだ。1番感動したのは次の一節だ。
"スーパーに入り、チャーハンの素と、豚肉のバラと、納豆と、牛乳を買う。それぞれの品物が置かれている場所はもうわかっている。俺は星と星をつないでいくように、スーパーの中を慌ただしく動く。俺が歩いたところを線で繋いでいけば、「ひとり暮らし」という星座ができそうだ。"
うまーーーーーーーーーーー!
ただ単にスーパーで買い物するだけの描写やで、それやのに、星座!星座を絡めるなんて!!!なんじゃそりゃ!天才か!
と、読みながら興奮した。
こういった秀逸な比喩ばかりで、話が構成されている。まるで比喩のシャワーを浴びるようだ。比喩の気持ちよさと美しさに魅せられていると、登場人物が何をしたか後から戻って読みなおすこともあった。優れた比喩は、一種の快感であることを一冊読み通して実感できた。
そして、もう一つ、感心したのが主人公が苦しみ抜くところだ。あかんてーもうやめたってーーと読んでいてこちらが言いたくなるほどに、主人公は報いをうける。主人公がうけた報いは、第三者のもののはずなのに、いつの間にか読み手自身にも降りかかっている。
おまえはどうなんだ。
おまえは。
と語りかけてくる。
私はこの本を読んで、意地汚く、カッコ悪く歩む自分を肯定してもらった。しかし、読む人にとっては、自分を否定されたように感じて不快になるのかもしれない。この本を読んで自分に矛先が向く人と、向かない人と、向けたくない人で評価が分かれるだろう。
読み手の人生の試金石となる作品だ。ぜひ、朝井リョウを敬遠する人にこそ読んでいただきたい。