Janne Da Arcについて

書くまでに何年かかったんだろうか。
何度も書こうとしても書けなかった。
だから今年こそ、と思ってみたら解散した年はいつだったか分からなかったので調べたら2019年の4月1日。

5年目にしてやっと書こうと思えた。
今色々とプライベートなことがしんどいから余計に思うのかもしれない。
あまりにもJanne Da Arcからもらったものが多すぎて、気付かないうちに思い出に助けられてるかもしれないなと思ったから。

2024年04月16日、ガゼットのメンバーとが亡くなったという発表があった。
驚いた。
順調にメンバーも変わらず20年以上活動してるバンドだと思っていたら、亡くなったそうだ。
その発表を見て、ファンの人の反応を実際に目の当たりにして、Janne Da Arc、そして私が好きなyasuのことをしっかり書きたくなった。
今でないとダメな気がするから、思うままに書く。
誤字、脱字あると思います。ごめんなさい。

解散してくれて安堵した

Janne Da Arcは長らく宙ぶらりん状態だった。
はっきりと活動休止を発表したわけでもなく、メンバーがソロ活動をしながらJanne Da Arcも並行してやるというのが当初のスタンスだったと思う。
それが、一切Janne Da Arcでの活動がない。
私が覚えている限りだと、yasuがAcid Black CherryをはじめてからJanne Da Arcの5人が揃ったのは東日本大震災の時にコメントを出した時だけ。
音楽活動じゃない。コメントのみ。
あの映像を見て、寂しかった。
内容はよく覚えていない。私の知っている5人の空気感が無かったことだけ、はっきりと覚えている。
集められてやりましたというような仕事の一環で義務のような印象が強かった。

それでも、5人揃った姿が見れたのでJanne Da Arcはまだいると思えたのも事実だ。
後から思えば、あの時からメンバー同士の関係は破綻していて解散していたようなものだったのかもしれない。動画を確かめていないし見る気もしないし見たくないから分からないけれど、寂しく思ったことは間違ってなかったのかなと今となっては少し嬉しくも思う。

正しくJanne Da Arcを見れていたと思うから。
破綻していてライヴなんてすることもなく解散する日がいつか来ることを分かっていたのかなと思えば、私はきちんと見ていられたのかなと思う。そう思いたい。

解散発表前から、メンバーの不穏な話題を目にしていた。さすがにこれはもう無理かなと覚悟もしていた。
それからしばらくして、メンバーひとり脱退と共に解散の発表があった。
解散ライヴは無し。公式サイトやSNSでの発表のみだった。
泣いた。
悲しかった。
でも、やっと解散してくれたと思った。

ずっとずっと、もしかしたら、待っていたらいつか、活動再開ライヴは大阪城ホールで、ファンの友達みんなで集まって、今度は特攻服で行くとか数え切れないほど話して、夢見て、想像しては寂しかった。
はじめのうちはそのうちあるだろうぐらいに思って冗談で言っていたのに、いつしか願望に変わっていって、薄々分かっていた。
そんな日は来ないんだろうと。

ヴァンパイアの歌詞を引用するなら「忘れられなくて離れられなくて、あなたの嘘をまだどこかで信じてる」状態だった。
こんなにつらいならいっそのこと嫌いになりたかった。嫌いになったり興味を無くせたらどれだけ楽だったかとも何度も何度も考えた。ソロ活動が憎らしかった。サポートメンバーが気に食わなかった。

私がJanne Da Arcを本気で許せなくなる前に、解散してくれた。

救いだった。
Janne Da Arcはあの5人でないとJanne Da Arcじゃない。メンバーが脱退するなら解散ライヴは4人になる。4人のJanne Da Arcは私が好きなJanne Da Arcじゃない。それを見なくて済んだ。最後まで、5人のままを貫いてくれた。嬉しかった。あの5人だからJanne Da Arcだという私の理想を最後まで守ってくれたことが、嬉しくて優しくて寂しくて悲しくて散々泣いたけど、ありがとうと心の底から思った。

私のこの考えは、何度もJanne Da Arcのライヴを見に行っていたからだ。
Acid Black Cherryから好きになった人も多いし、ジャンヌよりABCのほうが動員もあったし実際有名で人気だったのはyasuのソロプロジェクトのAcid Black Cherryだった。
そこからのファンの人ならJanne Da Arcが見たいと思う気持ちも充分わかる。yasuはJanne Da Arcのことを大事にしていることがよく分かったし、当時まだ生まれてなくてリアルタイムで見れていない若い人だっていただろうし。
未だに復活を望む人がいることも分かっている。
でもさ、ベース脱退して4人なんだよ、Janne Da Arcって。だから再加入しないと「Janne Da Arc」じゃないんだ。
そこだけは一生譲れない。
5人でやらないなら一生、2度と見れないほうがいいと断言する。

Janne Da Arcは5人だ。


嫌ってごめんなさい

私は Janne Da Arcを好きになった小学6年生の頃からボーカルのyasuが1番好きで、今も好きで一生yasuが好きだと思う。他にも好きなバンドマンはいるけど、やっぱりちょっと違う。
yasuは初めて本気で熱量を持って全力で好きで愛した本命バンドマン。
昭和生まれの古臭いバンギャはさ、人生の本命バンドマンはひとりしか選べなくて、そうなったら私はyasuを選ぶ。
そう思えたのは、Janne Da Arcが解散してくれたからでもある。
極論で言うなら、私はyasuが幸せに心穏やかに暮らしていけるのならその為に死んでもいいと本気で今でも思ってる。まあ、私が死んだって他人の幸せなんて確約されないんだけど、それでも真剣にそう思うぐらい、yasuにもらったものがありすぎる。yasuがいたJanne Da Arcとの思い出が、自分の中で大きすぎて、幸せで楽しくて期間にすれば短いのに未だに1番長く感じる。
10代のいわゆる青春時代に好きだったからなんだろうけど、解散までの空白の期間も長かったから良くも悪くも青春が長すぎた。

Acid Black Cherryが嫌いだと何度も思った。
最初は好きでライヴにも行ってたけど、大阪城ホールでのライヴが決まった時になんで?なんでジャンヌのメンバー以外とあの会場でやるの?とめちゃくちゃ嫌だった。嫌だけど見れば変わるかもと思って、見に行った。

Acid Black Cherryの初の大阪城ホールでのライヴでのyasuは楽しそうで笑っていて、Janne Da Arcのことなんて忘れてるように見えた。
ジャンヌの時に涙声で1列目だけで良かったのにねって言ってたのに。城ホは特別ってずっと言ってきたくせに。なんでそんなに普通にライヴしてるのってムカついて悲しくて、ライヴ後の帰り道、ずっと泣いていた。

こんなyasuきらい。Acid Black Cherryなんてさっさとやめてジャンヌやれよ、とそのライヴを見て心の底から思った。

でもまあ、これもヴァンパイアの歌詞を引用すれば「こんなにつらいなら愛なんて信じない」ように、yasuなんて信じなければいいのに「あなたの嘘をまだどこかで信じてる」自分がいた。
嫌いだけど好き。好きだけど嫌い。素直に応援できない。楽しめない。人気が出て好きな人が増えるのも嫌だけどyasuが世間に認められて認知度が上がるのは嬉しかった。

これがJanne Da Arcなら素直に喜べたのに、と何回言ったか分からない。思った回数なんて呪術廻戦の世界だと呪いになっててもおかしくないぐらい、Janne Da Arcが良かった。
Acid Black Cherryで認められて人気が出ることに素直に喜べない。ジャンヌだったら、と思ってしまう。曲だってジャンヌの頃と変わらないんだしなんであの5人でやらないのかとずっと不満で嫌で、でも曲は良いし好きだし年々見た目もカッコよくなって曲のセンスも良くなる一方。
私が好きなJanne Da Arcのyasuより、Acid Black Cherryのyasuのほうがカッコよくて嫌だった。だから嫌いになりたかった。聞かないようにした。CDも買わなかった。ライヴにも行かなかった。
でも情報はチェックして、見てはABCじゃなくてジャンヌでやれよと思うばかり。

解散発表の後からずっと思ってるし言ってるけど、yasu、本当にごめんなさい。あなたがどんな気持ちでAcid Black Cherryをやってるのか考えたこともなかった。嫌いだとか言ってごめんなさい。本当に、ごめんなさい。

解散発表後のyasuのコメント

衝撃だった。
ある意味、解散発表よりも泣いたし本当に申し訳なくなったしごめんなさいと今でも思い出すたびに絶対に心の中で謝ってる。これを書いてる今も本当にごめんなさいと思っている。
yasuはJanne Da Arcが聞けなかった、とコメントしていた。その理由は明言されていないけれどなんとなく想像がつく。というか、そうであってほしいのかな。
Janne Da Arcのことを誰よりも好きで守りたかったのはyasuだったんだと、そのコメントを読んで気が付いた。Acid Black CherryをしながらまたJanne Da Arcをやる日を誰よりも夢見ていたのかなとも思った。
あなたがJanne Da Arcのyasu本人なのにね。できない理由があったんだろうな、だからAcid Black Cherryやってたんだなと思ったら、yasuを否定するようなことを思って言ってしまっていた自分が本当に愚かで何も分かってなくて本当に後悔しかない。未だに悔いだらけで、私は逆にジャンヌが解散してくれたからABCを素直に聞けるようになった。

yasu、本当にごめん。
素直に好きだと思えなくてごめんなさい。


全部好きは好きの放棄

別のバンドのファンの友達に言われた言葉がこれ。
全部好きって言えるのって思考放棄してるからじゃない?この時の衣装はダサいから好きじゃないとかあるのと同じで、同一人物がやってる音楽でも別のバンドになれば好きじゃなくてもおかしくないし、好きじゃないと思うことに悩むこと自体が、好きな証拠だよ、みたいなニュアンスのことを言われたことがあった。
Acid Black Cherryのことを常に考えて素直に好きだと思えないのは、Janne Da Arcが好きだからこそ起こる感情なんだと思えたし、実際その通りだった。
全肯定できなかったのは、私がJanne Da Arcの yasuが好きだからだという裏付けになる気がして、この言葉には本当に救われている。

話は少しずれるけれど、この発言をした友人は、過去にいわゆる本命のバンドマンが亡くなっている。死のうと思ったけど死ねなかったから今も好きだしずっと好きなままでいれる、と言っていたのがすごく印象的だ。
なんて綺麗で優しい愛なんだろうと思った。
死んだことを悲しいと思わなくなることのほうが寂しいよ、とも言っていたのを後に私は親しい友達が急死してから実感した。

寂しい、悲しいは薄れていく

寂しいことに、本当に薄れていく。
事実、ジャンヌの解散後しばらくは聞けなかったし同じ熱量で好きな人以外とは話したくなかったけど、今となってはジャンヌ好きでライヴ行ってたよ、とか普通に言ってる。Acid Black Cherryもライヴ何回か行ったとか、普通に話してる。好きだった、と過去形で言うようになっていた。

今でもJanne Da Arcのことは好きなのに、過去形で好きだったと言うことが当たり前になっていることにこの半年内に気付いた。
ああ、解散の後の喪中期間(と勝手にそう呼んでた)は気付かないうちに終わってたんだ、と気付いた。喪中期間という言葉もそういえば言ってなかったことも思い出して、ようやく私はJanne Da Arcの解散を理解して、自分の中でうまく噛み砕いて受け入れられたんだと思った。

だから今これを書いている。

5年目にして書けたのは、たったこれだけの経緯だった。
他に思うことは、相変わらず解散ライヴしなくてありがとう、長すぎた青春を終わらせてくれて、区切りつけてくれてありがとう、yasuのことはもう2度と見れなくてもいいから幸せに、健康で少しでも楽しいことがありますように、誰にも知られず、昔話してたように学生時代みたいにスタジオで音出してバンドごっこみたいなのを5人でできる日が来てくれたらいいな、それがJanne Da Arcだと思う、ぐらい。

解散発表後に思ったこととほとんど変わらない。

私の中では、Janne Da Arcのライヴに行ってた期間は10年あるかないか。人生で見れば案外短い。行かなくなった(というか活動休止してライヴがなかったから)後も好きだったけど、新曲も出ないままだったからソロ活動をはじめたと同時にJanne Da Arcは更新されないまま終わった。
でも、これはRainyの歌詞がぴったりで「短すぎた季節の中でまだ君が笑ってる」から。
期間としては短いし、待ってる期間と同じぐらいになってたと思うけど、それでも今でも私の中でJanne Da Arcのyasuの姿はいくらでも思い出せる。全てが見てきたライヴの姿。中には美化されて妄想めいたものになってるものもあると思うけど、浮かぶのが全てステージに立ってライヴしてる時っていうのが、「まだ君が笑ってる」なと思う。

君との思い出だけはひとつも雨に流れない
短すぎた季節の中でまだ君が笑ってる

Janne Da ArcのRainyの歌詞が、私のJanne Da Arcへの思いで、それ以上のことは浮かばない。

実際、昔この曲をライヴで聞いた時にこの歌詞って私がyasuやジャンヌに対して思ってることまんまだなと思って泣いたことがあった。
本当、それそのまんま実現しやがって。なんて才能、素晴らしい。これ以上ない美しい思い出でいつまでも輝いてる。

どれだけ時間が過ぎても、こんなに忘れられないぐらい愛したのはJanne Da Arcだけです。
ありがとう。
これからも私は聴きたくなった時にジャンヌ聞くよ。楽しい思い出、経験、色んなことをいっぱい教えてくれてありがとう。大好きだ。今でも大好き。明日も明後日も来年も死ぬまで好き。こんなに好きになれるバンド、他にいないわ、やっぱ。

いつか5人で、何のしがらみもなく笑って過ごせるような時間があるなら、それが私の願いで希望で、夢で、妄想でもいいからそれが幸せでありますように。
私が生きる意味はJanne Da Arcに出会えたことにあるのかも、と今ふと思った。
ありがとう。

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