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問うアーティスト思考、宵の口。

かようび!連休明け!

なんで今日出社なんだろなーと思いながら、朝起きて支度。

いやぁ、もう、「35度以上になったら家に引きこもります」って宣言してきました。数百円のエアコン代と、灼熱地獄を天秤にかけたら、圧倒的に命をとります。はい。

月に数日ほど記憶力が低下しまくる期間が来るんですが、それが今です。ダメだ〜〜もう今日はダメダメだ〜〜

そんなことを思いながら帰宅したら、プライムデーで散財してしまい。こんなん思う壺やん。悔しい。節約しないとって思う気持ちが本末転倒やねん。

ぼろぼろですよ、ボロボロ。とりあえずご飯食べて、泣きながら布団に寝そべっている。

弱い。何も約束を果たせず、何も約束を果たされず、生きている錯覚をして、慌てて成果を見繕う。ぼーっと過ごしてたら自分が何を達成出来たのか、どれだけ素敵なことが出来たのかを見過ごしてしまう。「これもあれも目標に届かない」と嘆いてうずくまって、べそをかく。そんなことないのに。こうして過ごせることそのものが奇跡的なのに。分かっているのに。

そう、分かっているのに出来ないんだよなぁ。裏腹とはこういうことを言うのでしょう。食べるのをほどほどにして運動してちゃんと寝れば痩せる。お金を毎月貯金して使わなければ貯まる。アイデアを生み出して、手を動かし続ければ作品は出来上がる。当たり前、当たり前体操。なのになのになのに。

こういう時、たまに思い出すのが、ポケスペのエピソード。

主人公(天然)が特訓を受けるんですが、師匠(エリートタイプ)の想定外のことばっかりしていて。幼い頃はその意味をしっかり理解できてなかった。面白いんだよなぁ、この頃のポケスペ。。。

自分の思い通り、想定通り、分かってた通り、狙ってた通りに進むのは、とても爽快だし快感だし「やったぜ!」って感じだし自己肯定感も満足度もあがる。わかる。でも、そんなことばかりじゃない。むしろそんな展開、滅多にないのがこの現実世界。それは、どの立場に立とうと、それぞれの立場にとっての「なんでそうなんの?!おかしいだろ!!もっとうまくやれただろ!!」がある。

でも、それすら楽しめたなら。余裕をもって、「想定外なことがあるから面白いんじゃねぇか」って、笑って嵐の中を突破できるなら。それが、ストーリーテラーの思う壺でも、燃えてしまうのが人という虚構を愛する生き物のサガってやつで。

「多分1年後にはこのことも忘れてアイスでも食べてるから、今を楽しめば良いだけだよ、ははっ」って、思う気持ちと「何をーーーー!!絶対目標達成したい!!!!」って思う気持ちがあるなら、どちらかというと気持ちのバランスとりながら習慣化を目指すのが今のトレンドだし。そう思うと、最初の「習慣化出来ない、グスグス」と泣く自分に、戻っていく。何かが違う気がする。もっとうまくいく答えが、ある気がするんだ。そこに辿り着きたい。上手く言えないんだけれど。

言語化出来ない、でも感覚としては備えている「何か」を、もやもやを、眺めて観察しては、呆然とする日々です。

わからない。けど、面白い。何かの問いをぶつけた時には、「結果的にはこうなれる」というのが、既に決まってるんだとしたら、その過程にあるものを知りたい。ChatGPTが結果を導きだすまでに検索してくるネットの海があるように、人が問いを立てて結末にたどり着くまでの過程は、何か、何かあるんじゃないのか。上手く導きだせる答えへの叡智が。それとも問いが全てを決めるのか??

問題提起の問題提起。人は何をこの世に問うんでしょうね。自分のテスト問題を、誰かに解いてもらった時、変わる何かがあるのだろうか。

久々のアーティスト思考でした。
今日はこのあたりで。

遠藤さやえんどうでした。
お読みいただき、ありがとうございました!!

それでは。

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