世界に追いかけられる経験とは。
子どもの考えとか聞いてると「きみのスピードに世界がついてくのは何年後なんだろうねぇ」と思ったりするのですが、
それを子ども側で良しとするかどうかは性格によるなぁと感じます。
例えば、「こういうことをしてほしい」「こんなものが手に入れたいもの」というイメージや明確な物質が、子どもの中にあったとして。
おもちゃだったり愛情だったり、誰かの持ってるものだったり、世界にはまだ存在しないものだとして。
それを手に入れるためには、追いかける必要があるのか、それとも世界から追いかけられる必要があるのか。
仮にそれが叶うとして、本当に子ども側は納得して安心して受け入れるのか?
人からの愛情が欲しくても、不特定多数のストーカー被害に遭ったら大変ですし。。
逆にファンからならなんでもありな子もいるかもしれないし。
とある子は、追いかけられる夢まで見て泣いて飛び起きたり、
別の子は、欲しいものがすぐ手に入らなくて癇癪を起こしたり、
またとある子は、求めた先のきらびやかなステージに立って脚光を浴びたり。
どちらも良し悪しがあって、その良し悪しで互いの違いを攻撃することはあってはならないと思うのですが、
多分、この世界の誰しもが、何かしらに追いかけられてるのではないかなと思います。
ファンもそうですが、
太陽とか
月とか
締め切り
取り立て
パパラッチ
ゾンビ
ストーカー
夢
などなど、、、
逆に追いかけてる側かもしれないし。
どっちが幸せかは、その人なりの答えによって変わるんだろうなと感じます。
そして、普段はどちらかどうかって、TPOにもよるし。
遠藤はどちらかというと追いかけてる側にいることが多いかも。
そして、それなのにのんびり茶しばいて進んでる、マイペース人間です。笑
仕事の締め切りは、「やってくる」感覚だし、
どちらかというとポジティブなイメージ。
おしりが決まってないと動かないタイプだからかな。
トラブルとか事件は、「なんかきた!」みたいな。
noteや友だちとの話題になるので、面白い失敗談はバッチコイです!
普段のほほんと過ごしているので、なんか変わったことがたまにあるとワクワクします。
アトラクションに乗ってる感じ。
困ったら話せばいいし。
ネットの海に解決法を探しに行くとか。
相談するとか。
大抵は何とかなります。
自分の中にモヤモヤを溜め込むと、気持ちがどんよりするので、
溜め込むくらいなら吐き出した方がスッキリするんだろなぁと思う方です。
言い方、伝え方は大事だけど。
それを間違えなければ、相手は話を聞いてくれるという安心感があります。
それは、とてもとても幸せなことで、
それが出来ると言うことで、安心感が手に入っています。
欲しかったものを手に入れても、また次の欲しいものが道の向こうに見えて、結構険しい道のりだったとして。
よっしゃ!ヨイショ!ってワクワクしながら進んでいける心持ちは、安心感から来ている気がします。
個人的には、追いかけられるより、成果や仕事を追いかける側の方が落ち着くというか。
そこにあるものを、いかに解像度あげて手に入れるか、みたいな。
補助線を引いたり。画質を上げる拡張子を使ったり。予算をとってきて活用したり。
ちょっとした弾みによって、気づいたら何かに忙しなく追いかけられることもある一方、他のところでは何かを追いかける方がバランス取れるのかなぁ。という持論です。
なんでこんなことを話したかって??
日ごろの仕事してたら思いついてしまったことなので、noteで供養したくて。笑
華金、土日の予定や仕事を頭の片隅で考えながら、
ご飯作ってぼーっとパソコンをカタカタしていると、いろんなことを思い浮かべるのです。
今描いてる「ディア デム」にも通じる考えかもなぁ。
なんて。ね。
憂いなのか妄想なのか構想なのか、よくわからない、もんやりとしていて口の中とか目とか耳とかに残っている思いを、
手が勝手に書き留めるんです。もはや仕方ない、任せるしかない。
近くに飲み物を準備して。
雨の日の車の音が、窓からこぼれて聞こえるのを感じながら。
ただただ、自分の中にあるけど形のないものを具現化する作業。
空気を「空気」と書く作業。
ゼロを「ゼロ」と記す作業。
そんな感じで活動してきました。
文字にすれば形に残って、ネットの海を揺蕩うことが出来るから。
絵にすれば形に残って、存在を観測することが出来るから。
そういう意味では、私の場合は、文字や絵に追いかけられているのかもしれません。
吐き出せ、生み出せ、言え、作れ、と。
誰でもいいけどあなたがやるんだよ、と。
それでどう思うかとかどう思われるか、とかはまた別の話だけど。。
くだらない、と言われたらふふって笑ってしまいそうになるけど。
それを言っちゃあおしまいよ、って思ってしまうけど。
しょうもない、どうしようもない、傷つけるつもりはないのに言ってしまったら誰かに傷がつく、でも責任取れと言われても、ほんとどうしようもない。
そんな、武器にも重荷にもなる言葉を、使い方考えたりとか、文字の一つ一つを並べたり口にしたりすることで飯を食っていこうってんだから正気の沙汰じゃない。
タイムスリップして昔の自分に聞いてもわからない。
当時から追いかけられていたものの正体はわかっても。
補助線ができて、ちょっと軽くなっても、やることは変わらない。
子どもの、追いかけられてた頃も。
大人の、ちょっと追いかけることが増えた頃も。
ただひたすら綴るだけ。
生きてる間はそれでいっかぁ。
今日も楽しく、創作活動!
それでは。