ひたすら人を傷つけたくないんです。
そう思い至ったのは、お金の使い方について考えた時でした。
スタバのラテに500円払うのは惜しくないと感じるけど
Wikipediaの募金500円を「お願いします」と何度も来られるのはうざいと感じてしまった。
絵本に出す2,000円は高いと感じても惜しみなく出すけど
アデクションの2,000円アイシャドウはずっと欲しいのに買ってない。
ネイルサロンの自爪手入れ3,000円は高いと感じて行ってない。
これは価値観の違いなのか?と。
細かいラテマネーを、しっかり貯めれば大きいお金になる。
私の部屋の本の総額を全部貯金に回してたら。。。と考えるのはもう客観的に考えても精神崩壊しそうなので辞めた。笑
今の時代、SNSに自分の生活を載せる人は多いと思う。
魅せるための支出とかね、それにはお金を惜しまない。
自分というコンテンツをよりブラッシュアップするための、稼ぎ。
そんな人がキラキラしている生活を送っている様を、夜の暗がりで布団に潜り込みながらずっとタイムラインを追いかけて、ちょっと心を病んで眠る。
そんな生活を数年前までは送っていた。
低所得者には手の届かない道だなぁと。
そんなことを思ってメンタルが死んでた、
低所得者が高所得者のインスタやTwitterを見て
体調を崩して眠る。
結局、低所得者は高所得者になりたい、と仮定しました。
というか、きらきらする向こう側に行きたい、と。
私はそうだった。
でも批判されるのが怖い
そう思っていたんですけど、、、
実は、低所得者が高所得者を批判をしているのではなく
誰かの体調を崩すのが怖いのではないか、と仮定しました。
自分が生活をアップしているのが、人のメンタルを崩す加害者になっているようで
誰かをいじめたら批判を受ける時代
「いじめられました!」と大声をあげられるかもしれない時代
いかに加害者にならないようにするか
それが難しい時代
それが、自分がSNSをあげることで簡単に傷つけるのではないかと
画面の向こう側の誰かを傷つけるのではないか、と。
そうなると究極は「SNSをしない」です。
恋愛界隈でも「SNSしてない人が好き」なんで人もいます。
ひたすら人を傷つけたくないんです
そんな優しい人に
私は、なれないけど。
傷つけることを是とするのではなく
使い方を間違えないで、用法容量を守ってSNSを使っていきたい。
いつかの私を、画面の向こう側の人を傷つけないために。
私のリアルは、そんな人をフィクションの世界に登場させて
「僕が言ってやる でっかい声で言ってやる
あなたの世界はこんなに頑張っている、素敵な世界だ」
と、声を張り上げることです。
だから、作家をする。
あなたの世界を描かせてほしい。
あなたの世界はこんなにたくさん大変なことがあるけど、
あなたは「私なんて全然・・・」と言ってしまう
たくさん頑張っていることを伝えたいんだ
もっと頑張らないでいて欲しいんだ
楽しいことをどんどんしてほしい
好きなことを出来る世界を描かせて欲しい。
楽しいよ。