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四二喪市の奇妙な一日
はじめに
この本を手に取ってくださり、ありがとうございます。今回のテーマは「数字」です。
何か奇妙なことが起こる四二喪(よにも)市。あちらこちらで起こる事件に、解決の方法はあるのか。一つ一つの物語の背景には、読者のあなたもいつの間にか感情移入してしまう何かが隠されています。四二喪市で一体何があったのか、事件はどう解決していくのか。そして各話に現れる謎の男の子…。想像力を働かせて、摩訶不思議な体験をしてください。
本作品のテーマ「数字」がどんなところに散りばめられているのか、よく探してみてください。それぞれどんな関りが、作用しあっているのでしょう。登場人物の視点に立って、没入してください。それでは、お時間です。
八時:主婦の時間
朝、早起きする。やることが沢山ある。
お弁当、朝ごはん、作るのも盛るのも並べるのも、全て私。作れば片付けなくちゃならない。愛する夫と娘、知ってか知らずか食卓の上のお皿はみんなそのまま。
娘の学校の準備、忘れ物の管理は私の役目。
もちろん夫は関与しない、何かあれば火種の元だからって。それもそうねと思うけれど。
私が洗った服、私が磨いた靴、私が用意した鞄、私が入れた教科書、私が作ったお弁当。家族は当たり前のように生活している。なに不自由ないって顔で、玄関の扉を開けて出て行く。食器を片付けて、テーブルを拭いて、掃除と洗濯が待っている。「いってらっしゃい」を笑顔で言った後の“私の時間”を二人は気にすることがあるのだろうか。
私の家事を手伝ってくれる人は居ない。
私のお昼ご飯を作ってくれる人は居ない。
私の買い物についてきてくれる人は居ない。
「おかしいな…
いつもこんなこと考えないのに…」
たまに、こんな風に考えてしまう。自分のしていることが無価値に思えてしまう。そんな筈もないと分かっている。二人は家族で、私は母親。家事は見返りを求めるようなものでもないし、二人に貰っているものもある。夫は稼ぎで家庭を支えてくれているし、娘はその成長で夫婦に生き甲斐を与えてくれる。
分かっていても、人間、不思議と気分が落ち込んでしまう日があるというものだ。
「少し、テレビでも観ようかな…」
少し、少しだけ、家事から離れよう。掃除も洗濯も、いつもならテレビを観ながらする。もしくは夕飯の献立(こんだて)を考えながら、それか夫や娘の今月の用事を整理しながらだ。
そんな“ながら”の時間ばかりだと気が滅入(めい)ってしまう。そんな時は家事や育児から解放されて、ほっと息をつく時間が必要だ。テレビではニュースや注目の新作映画、スポーツなどの話題に合わせて、芸人やタレントが合いの手を入れている。いつもの繰り返し、聞いたことのあるようなモノばかり。それでもいくらか、気分を落ち着かせることが出来た気がした。
「あ、まずい、時間を無駄にしちゃった。」
顔を上げれば、時計は八時十五分を指している。私は首を傾げ、電池を取りにゆく。
「あれ、おかしいな?だって…」
八時十五分、夫と娘がいつも家を出る時間。
時計が、その時間で止まっていた。あぁそうか、電池が切れたのだろう。このままでは皆が困るので、直しておかなくては。そう電池を取り、戻ってくると、時計は八時十六分。動いていた。
「あれ、さっきは止まっていたのに…」
私は時計の横に電池を置くと、なんだか不思議な体験をしているように思えて、テレビを確認してみる。画面には、先ほど見たニュースが、一言一句違わずに再放送されている。
「え、なにこれ…」
生放送の朝のニュース番組。繰り返し放送し伝えることはあっても、こうも同じテンポ、同じ表情で流すことが出来るだろうか。
怖くなり立ち尽くした私が、ハッとし時計を見ると、八時十六分。時計は止まっていた。
「なにこれ、どういうこと…?」
私は怖くなり、気分を落ち着かせようと台所へ。食器を洗い始める。モヤモヤするが、疲れているのだろう。むしろテレビで過ぎてしまった時間が返ってきたと思えば、ありがたい。そう思い込み、無心で手を動かす。終わったら掃除に洗濯だ。あぁそうか、食器が乾いたら、後でしまわなくちゃ。食器を洗い終えて、恐る恐る時計を確認すれば、八時半。時計は動いていた。
「よかった…やっぱり疲れてるんだ。」
ホッと気の抜けた私は、食卓の椅子へ腰掛ける。なんだか今日は駄目な日かもしれない。朝からそんな気分になり、机に突っ伏す。
・・・
「ハッ、、寝ちゃった?」
うっかり、うたた寝してしまっていた。
あぁもう、まったく私は何をやっているんだろう。そう髪をわしゃわしゃとしてみる私は、あることに気づき固まる。
「時計が、動いてない…?」
八時半。時計が指す時間は、変わっていなかった。いや、おかしい。絶対に寝てしまっていたし、焦るほど時間は経っているはずだ。
そう思いすぐに時計を裏返しカバーを外す、横の電池をつまんで、すぐに入れ替えた。
時計は、うんともすんとも言わない。壊れているのは時計自体か。まるで時を刻むのをサボるかのように、動かなくなってしまった。
「・・・サボる…?」
私は不意に思いたち、掃除機を出してくる。時計を見ながら徐に、掃除機のスイッチを入れた。カチ、カチ、と時計は動き出す。掃除機の音で掻(か)き消されつつも、針は時を刻み始めた。そうか、私は掃除機を手放す。カシャンと床へ転がる掃除機を、私は拾わない。
「神さまが、休めと言っているんだわ。」
こんな時ばかり都合よく神などのせいにして、私は思いきりサボり始めた。ポテチやどら焼き、家のお菓子をかき集め、袋を無造作に開ける。飛び散ろうと構わない、今だけは家族が困るなどというのは考えない。お気に入りのワインを用意して、自分だけのパーティ開催の準備を整えれば、気分は最高潮だ。時計を確かめれば、八時半。変わらず。そしてテレビをつければ先ほどより進んだものの、一度見た内容の再放送をしている。
「やっぱり…これってすごい。」
つい笑みがこぼれる。私は気づいた。家事をサボる間だけ、時間が止まっている。
実際にはテレビが観られるので、ループ?しているのかもしれないが詳しいことは分からない。夢かもしれないがとにかく、やりたい放題だ。
「録り溜めしてたドラマ観ちゃおう。」
朝と打って変わって、私は浮かれた表情でこの不思議な現象を謳歌する。久しぶりの自由な時間だ。残った録画を全て観て、お菓子を食べて、ワインを飲み、昼寝をして、起きたらアイスを片手に本を読み、ソファーでダラダラする。何度確かめても、時計は八時半のまま。夢は覚めない。
「あー、楽しい。次は何しようかなー?」
すっかり羽を伸ばし、遊び疲れてきたころ。
ピンポーン
呼び鈴が鳴った。誰だろう、時間は止まっている?ハズなのに。私は少し警戒しながら、インターフォンの画面を覗く。
「ありがとう、お母さん。」
突然、思いもよらない言葉が飛び込んだ。
画面越しに立っているのは、知らない子供。
娘の友達かな、知らない男の子だ。男の子が私に、お礼を言っている。
「あなた、誰?家を間違えているわよ。」
隣の家の子かもしれない。きっと家を間違えたのだわ。
「お母さんって、すごいです。」
戸惑う私をよそに、男の子は話し始めた。
今日は不思議なこと続きだ、私はつい惹き込まれるように聞き入ってしまう。
「ご飯を作ってくれて、服を洗濯してくれて、帰ってきた時にドロドロの靴も、次(つぎ)外に行くときはピカピカだし。僕より学校の行事に詳しいし、なくした物はすぐ見つけてくれるし、宿題やらないと怒るけど、頑張れば褒めてくれる。優しくて強いんだ。」
私は、持っていたポテチを、床に落とす。
「もっと、お母さんを褒めてあげればよかった。大好きだよって伝えればよかった。お父さんと三人で、たくさん遊べばよかった。」
何故だろう、知らない子の言葉が、キュッと胸に突き刺さる。私の目から涙が、ポロポロとこぼれた。
「あなたも、よく頑張ってるお母さん、ですよね。少し休みたくなるの、分かります。」
うん、うん、と頷くことしかできない私。
どうしても、言葉が詰まる。
「でも、やっぱり家族のために、頑張るお母さんが僕は好きです。」
「ちょっとだけ、息抜きしていただけですよね。それも必要なんですよね、でもいつかはまた、いつものすごいお母さんに戻らなくちゃならない。それを伝えに、これだけ伝えに来たんです。」
そうか、自分の時間が無いのが嫌だったんじゃない、家族を忘れたかったんじゃない。私はただ、私のしていることに気づいて、こう言って欲しかっただけなんだ。それで時間が止まってしまっただけなんだ。
「いつもありがとう、お母さん。」
その言葉を残して、画面は途切れた。
電車の遅延のニュースが流れて、
私の時間が動き出す。
九時:出勤の時間
『人身事故の影響で、遅延しております。』
くそっ、今日に限って、こんなことに巻き込まれるなんて。今日は朝から大事な会議があって、絶対に遅刻なんてできないのに。
俺は、しがない会社勤めのサラリーマン。
同期じゃそこそこ仕事が出来て、上司にそこそこ期待され、部下とそこそこ良い関係を築けている。そこらにいる、そこそこの男だ。
だからこそこんな日に限って運悪く、遅延にハマって大遅刻だ。電車に飛び込んだ迷惑な奴のせいで評価も下げられ、今日のための資料もパァだ。まったく、嫌になっちまうね。
『ただいま人身事故が発生しました。』
ん?また事故か?どうしてこんな日に限って、また遅延が伸びるじゃないか。こりゃ、確実に会議には間に合わないな…。
『電車とホームの人間に接触があったため、ただいま詳しくお調べしております。運行の状況は、電光掲示板か近くの駅員までお尋ねください。』
電車と接触?あぁ、そうか。そういえば人身事故って言っても、飛び込み自殺と決まったわけじゃないか。服が引っ掛かったり、酔っ払いがよろけたり、死んだとも決まってないな。俺はさっきの考えを諫(いさ)めて、心の中で被害者へ謝ってみる。勘違いで悪態をついたままでは、寝覚めが悪いからな。
『ただいま人身事故が発生しました。』
「はぁ?」
立て続けのアナウンスに、声が出てしまう。
おかしいだろ。こうも続けざまに事故?それもどれも同じ人身事故だなんて。
あぁ、そうか、早とちりだ。先ほどのアナウンスを聞き逃した人へ向けて、繰り返し流しているだけだ。
『ただいま人身事故が発生しました。』
ほら、また流れた。これは言い方が悪いな、“ただいま”というのは“たった今”の意味なわけで、こう繰り返し使うのは不適切だ。
ほら、周りを見ても違和感を持ってざわつく人たちが増えているぞ。
『ただいま人身事故が発生しました。』
うーん、聞き慣れない言い回しだな。それにこうも立て続けに繰り返す必要も無いと思うのだが…。
『ただいま人身事故が発生しました。』
おや、駅員が走ってきた。随分慌てた様子でこちらへ走ってくる。アナウンス用のマイクで事情を説明するらしい。もしかしたら、機械の故障で繰り返し不適切な文言が流れてしまっているだけかもしれない。俺はそうおもったのだが。
『ただいま人身事故が発生しました。』
ホームが大きくざわめいた。駅員のアナウンスに被さるようにして、機械のアナウンスが響いた。俺も正直、少しドキリとした。
駅員も驚いた顔をしていたが、マイクを握り直してアナウンスを始めた。
「えー、本日、人身事故が非常に多く発生しております。事前のアナウンスは全て個別の人身事故となっておりまして、現在、個々の関連性については確認できておりません。ご利用の皆さまには大変ご迷惑を…」
『ただいま人身事故が発生しました。』
駅員の声を遮って、アナウンスが響く。
俺はゾッとする。今この瞬間、どこかで誰かが電車に撥(は)ねられたのだ。ただの接触かもしれない?いや、ここにいる誰もが、同じ想像をしたに違いない。ホームの上に流れる、なんとも嫌な一体感。不気味な予感が、当たってしまっていると肌で感じるのだ。
『ただいま人身事故が発生しました。』
『ただいま人身事故が発生しました。』
『ただいま人身事故が発生しました。』
何度も流れる、同じ調子のアナウンス。
『ただいま人身事故が発生しました。』
『ただいま人身事故が発生しました。』
『ただいま人身事故が発生しました。』
『ただいま人身事故が発生しました。』
『ただいま人身事故が発生しました。』
止まる気配の無い放送が無機質に、どこかの誰かが死んだタイミングを伝え続ける。ざわつくことすら出来ず、俺たちはただ無言でアナウンスを聞(き)き呆(ほう)けるしかなかった。
その時、
『電車が参ります。
白線の内側までお下がりください。』
駅に電車が到着する、アナウンス。
息を吞む駅員も、ごった返したホームの上で固まっていた俺たちも、みなハッとした。
電車が動き出す。そうか、とりあえず乗車しなくては、もしかすると会社に遅れずに済むかもしれないしな。引きつった笑いで、現実逃避のような希望を抱き、電車を待とうとした俺の後ろから、一人が飛び出した。
そいつは真顔で、一目散に線路へ飛び降りる。そして何を思ったか、一人、また一人と飛び出せば、線路へ飛び降りてゆく。
『電車が参ります。
白線の内側までお下がりください。』
機械音声のアナウンスなどみんな無視して、幽霊のように線路へゆらりと立ち尽くす。それを見て、呆気にとられていた駅員がやっと騒ぎ始める。
『ただいま人身事故が発生しました。
白線の内側までお下がりください。』
音声が入り混じり、わけの分からないアナウンスになっている。
俺は、なんだかどうでもよくなってしまう。俺も飛び降りれば、同じように電車に轢(ひ)かれ押し潰されるだろうか。それもいいかもしれない。俺の足は少しずつ線路へ向かう。会議には間に合わない。資料は無駄になったし、上司からの評価は下がり、次のボーナスも減らされるだろう。そしたら家での肩身も狭くなる、良いことなしだ。もうどうでもいい、ラクになりたい。俺は解放されるような気持ちで、線路へ身を投げ出す助走をつける。
あぁ、次のボーナスで息子に、買ってあげたかったな。
「望遠鏡、ですよね。」
ピタリ、足が止まった。
驚いた。息子かと思った。ホームの喧騒(けんそう)から浮かび上がって見えるその子は、息子と同じくらいの男の子だった。
「プレゼント、ねだられてますよね。」
「あ、あぁ。」
「じゃあ、頑張らないと。謝れば意外と上司さんも、許してくれるかもですよ。」
「えっと、君は?
あんまり大人をからかうんんじゃ…」
「いいから、ほら電話してみて、早く。」
音が遠く、ホームの混乱も俺ら二人だけには関係の無いみたいで、時間が止まっていた。
俺は促されるまま、会社へ電話をかける。
「お疲れさまです。すみません。
部長、今日の会議なのですが…」
「おぉ!キミか!大丈夫かい?なんだか人身事故があったそうで、いやぁ、連絡が付かないから心配していたんだよ。」
「え、俺を心配ですか?」
「そりゃあそうだよ。キミ、今日の会議のために随分と根詰めていたみたいだったし、顔色も最近良くなかったからね。」
「え…いや、そうですかねぇ。もちろん、かなり気合い入れてはいましたけど。」
「周りからもキミを心配する相談がけっこう来ていてね?頑張るのも程々にね、キミには期待しているの、これからも先は長いよ?」
「あぁ、いや、部長にそのように言っていただけるとは…頑張ります!」
「はは、だから肩の力抜きなよって。なに?今日は遅れちゃうの?後ろで遅延のアナウンス聞こえるよ。」
「あぁ、はい…。大事な会議の日ですのに、すみません…。」
『本日の人身事故の影響で、全線に遅れが出ております。なお、現在この事故による影響での、運行の見通しは立っておりません』
「随分と遅れそうだね。分かった無理しないで、あとは私が上手くやっておくから。」
「いや、ですが部長、私の責任が…。」
「大丈夫、キミの責任感はよく知っている。だからこそ資料も完璧なものが手元にあるし、私でも先方(せんぽう)を納得させられる。」
「…分かりました。
えぇと、では、よろしくお願いします?」
「はい、それじゃあね。今日は来れそうなら来てくればいいから。いつもご苦労さん。」
プツンと、呆気なく電話は切れた。
なぜだろう、電話一本で、遅刻の報告をしただけで、さっぱり悩みが解決してしまった。今朝の焦りや不安すべて、俺の取り越し苦労だったのかもしれない。
「あ、そうだ。あの子…」
あの変わった男の子を、俺は探す。
しかし、空気のように消えてしまっていた。それに、ホームの騒ぎも嘘のように静まり、線路の上の人は消え、アナウンスも正常、誰も彼も気(け)だるい朝の一日と言った様子に戻っている。もしかしたら俺は、幻覚でも見たのだろうか。異常な数の人身事故、スマホで調べてもそんなもの何一つHITせず、俺は夢でも見たのだと思うことにした。
さぁ、今日の仕事は部長に任せて、昨日まで頑張ったご褒美に、コンビニにでも寄ってみるか!新作の商品買い漁って、明日からまた頑張るとしよう。
ホームで一人くるりと踵を返す俺、時の流れに逆らうように、駅を後にした。
十時:レジ打ちの時間
「ちょっと!これ色が悪いんじゃない?」
「はぁ、ですが品質には問題ありません…」
「問題あるのよ、気分悪い、こんなの気持ち良く食べられないじゃない?」
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