経営者の心胆を寒からしめるゴーン逮捕

今回の日産ゴーン逮捕については、色々な揣摩臆測めいたものも含め、さまざまな論考が出ており、そこに与することなく、ちょっと違った視点から取り上げてみたい。

それは、「経営者の裁量で何とでもなる範囲」の厳格化だ。今回の事件で取りざたされる水面下の報酬、経費の私的流用…。世の豪腕名経営者と言われる人の中にも、背筋に冷たいものが流れる向きがあるのではないか。「金商法不実記載罪」の適用は財務・経理情報との突合で立証は比較的簡単で、特別背任や業務上横領などよりも容易に立件できる。有価証券報告書など外形基準で真偽が判断できるため、経営者が糊塗しようと後から改ざんすることも難しい。経営トップの専横に業を煮やす社内からの告発が司法取引を梃に提起されやすい。

これまでなら、「このくらいは私(わたくし)しても問題ない」と楽観していた”お手盛り”に検察当局のメスが入るのだ。ここで思い出すのは、1998年の「大蔵接待汚職」だ。「民間から接待を受けても、金銭の授受や、後に残る物品供与でなければ賄賂にならない」という旧来の公務員の常識を覆し、「費消してしまい後に残らない接待などでも、金銭的な価値のある供用は賄賂に当たる」という新解釈で次々にやり玉に挙げられた。時の高級官僚たちは「事前に犯罪に当たると知らされておらず、罪刑法定主義に反する」とか「検察の横暴、ファッショだ」などと嘆いたが後の祭りだった。

今回のゴーン事件でも、「豪華な社長公邸など、あの程度なら許容範囲では」などの声も一部に漏れる。フリンジベネフィットも報酬は報酬ーー。検察の厳格(的確?)解釈に、「こんなはずじゃなかった」とほぞをかむ第二のゴーンが出てこないとも限らない。

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