風花の舞姫 勾玉 9
清冽な、硬質な風で深呼吸をした。
深い呼吸だと、肺に刺さってくる。
問題ない、私自身が氷柱と同じだ。
ふうん、と吐息をついて「荷物はここに置いてていいんですよね。ロックをお願いしますね」とドライバーに声をかける。彼はリモコンキーを使い、ガチャリとドアから音がした。
そして肩に地縛霊を乗せたまま、鍾乳洞に入っていく。
入り口はコンクリで滑らかに整備されているが、そこを潜ると首を竦めてしもうほどに氷柱石が天井から降り注いでいる。龍の牙が密生しているように見えた。それを彼のペンライトの限られた灯りが切り取っていく。
「・・昔のひとは、これをみた時に、このような場所を地獄と思ったんでしょうね。地獄の針山なんてこの姿を連想したものと思いますね」
とガイド然とした誠実そうな声で説明するが、後頭部から伸びた触手は青黒い血管を浮き立たせて、陰茎が勃起した形状で屹立している。心なしか本体も腰を下げて前屈みになっているようだ。
その丸い背に部屋着姿の地縛霊の女霊が、含み笑いをしながら横坐りしている。この男に慰み者にされながら、その恨みに執着して幾度も暴行の現場に立ち合って自らを慰めていたのだろう。
それは事故現場に妄執している地縛霊が呼び水となっと、次々と犠牲者を呼び込んでいるのによく似ていた。
石室がどこまでも続いていた。
黴臭くはないが、妙に温かい。
燐光がゆらりゆらりと浮かぶ。
足音が反響していて、故意に距離を置いたドライバーの足音も、すぐ耳元に聴こえた。
その身体から燐光が剥離して、飛んでいるように見えた。老いた魚の鱗が剥がれていくようにも見えた。すっと指で触れたみたが、彼の意識の欠片もない。
同時に鍾乳石にも朧に燐光が見える。
鍾乳石の形成には数万年の時間を必要とする。
雨水に含まれる炭酸カルシウムが方解石結晶となる。それが輪状の水滴として滴り落ちながら、結晶が氷柱のように結実する。それが氷柱石という。さらに地表からもその水滴が降り積って鍾筍になる。その両者が繋がって鍾柱になるまでは、どれほどの時間がかかるのであろうか。
あるいはこの空間はその単位で封じられている意識があるのではないだろうか? 横たわる悠久の年月を思いやると、その想念が私に伝わるのも遅滞するだろう。
そしてここにかの両人が誘うのは、勾玉の触発で私をここで籠絡しようというのだろうか?
皆神山であの六龍珠が見つかったという。
その地中に隠されているものがあるのだ。
この半日で穴道ばかりを踏み締めている。
「もうここあたりでいいが。姐さん、服を全部、脱ぎなっしゃい。破くほうが良いならそうするが」と低い声で脅してきた。
振り返って私の瞳孔を、LEDのペンライトで炙ってきた。視界を奪おうというのだろう。
ぱさり、と足元にオレンジ色のダウンジャケットが落ちた。
淡雪のような白眉のセーターの下から捲り上げるようにして、背中に隠していたそれをつかみ出した。
ふふふ、距離が稼げた。
なぜここまでついてきたのか。
なぜタクシーをロックさせたのか。
それは車体を結界にするためだった。
車に置いてきた私のディパックには、六龍珠と巫女の緋扇がある。永年の試練を経た扇が結界を張ってくれている。
しかしながら垂れ紙を四方に回してはいる完全なものではない。勾玉からの安全圏になるかは判らないが、少しでも距離を置きたかった。そう身体に満ち潮のように力が漲ってくる感覚はあった。
そして一気に鯉口を切る。
深海で大魚が身を翻したように、燐光を放つ碧い煌めきが敷闇を裂いた。
鞘走りさせて一気に小太刀を抜いたからだ。
次はその鋒を女霊に突きつけるだけでいい。
悲鳴が沸いて、彼女の頭髪が逆立っている。
そう。実体はそちらの方であり男鬼は付録に過ぎない。この小太刀は魍魎を斬り裂くことができる。私のような魍魎が使い手であれば、白刃を振るわずとも冷凍破砕してしまう。
そして。
私は生粋の雪女なのだ。
屍肉が頽れて一塊になって沈んでいた。
あの男鬼の変貌した姿であった。
本体の地縛霊を腐肉から切り裂いて、私はそれを喰べた。
色欲鬼が彼女に取り憑いていた。むしろあのドライバーの方が、女郎蜘蛛に淫遊されて喰われたのに相違ない。
その彼女自身も色欲鬼の餌食であったのだろう。
私はジャケットに袖を通して、転がっているライトを取り上げて、彼のキーホルダーを探した。運良くそれはくたくたになった上着のポケット内にあって、手を汚さずに済んだ。
そんな矮小な霊に手こずるなんてと腹立たしかった。
あの勾玉は庵に戻ってから調べ上げる必要があった。
その鍾乳洞を出ると、もう夜更けになっていて驚いた。
梢を揺らして羽ばたく小鳥がいる。ちっ、と警戒音の囀りが聞こえた。
そこに天空から重量のあるものが降ってきている。
猛禽類が迫ってくる圧に怯えたものかもしれない。
「もう、そんな場所にいたの? 探していたのよ」
史華が舞い降りてきて、その羽衣の翼を背に畳んで、そう言った。