器用貧乏という言い訳
前回じぶんは器用貧乏だと書いたが、もちろん誰かに呼ばれたわけではない。いつの頃からか自称するようになった。
しかし出来そうにないことには手を出さないのだから、だいたい出来てることになっているだけなのだ。器用貧乏を名乗り、突出できない言い訳にしている。
自己弁護がうまくなるとストレスを貯めにくくなるけれど、逆に自分の首を絞めているのではないかとも思う。やらない出来ない理由を探すより、逆を閃いた方が豊かになるはずなのに。
逃げ道まで器用に見付けてしまう、やっかいなタイプの器用貧乏だ。
半端な器用さでも社会で役立つことはある程度できるので、欲を押さえられれば満足に暮らせるはずなんだけれど。
そんな欲を宥めるための言い訳を、また探し始めている。
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