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平日日中配信生活の終わりを迎えて

配信を始めたきっかけ

私が平日の日中にTwitchで配信を始めたのが確か2022年2月頃の事。
それまでは、ただダラダラと自分のやりたいゲームを夜に1~2時間程度配信をしていた。
配信自体を始めたのは2020年6月の事。
コロナ禍で外出ができない中、著名人なんかがみんなこぞってゲーム実況や配信に手を出し始めた頃である。
自分もやってみたいと思い、YouTubeやTwitchで動画投稿や配信を始めたが、当然考える事はみんな同じである。
競合するライバルが多過ぎて、殆ど私の配信を見に来る人などいなかった。
収益化でもできれば続ける口実になるけど、家族からもいつ辞めろと言われるか分からない状態だった。

平日日中配信を決断

そんな中、30歳の頃から患っていた原因不明のめまいが悪化、当時勤務していた会社の社長から酷い扱いを受けた事がトドメとなり、ほぼ気合だけで乗り切っていた状態の糸が切れ、仕事に行けない状態になった。
2021年の年末の事だった。
即退職したかったけど、とりあえず仕事を休職する事になった。
精神的にもかなり来てたので、精神科に通う事にした。
そこで色々な薬を試すのだが、どれも副作用が酷くて合わない。
2022年1月の7割くらいは副作用で寝込んでいた。
2月に入り、ようやく続けられそうな薬を見つけ、なんとか最低限の日常生活が送れるようになった。
そうなると、基本的に日中暇である。
始めの内はほぼゴロゴロして過ごす事が多かった。
たまに会社から仕事の事で電話が掛かって来て、リモートで対応したりもした。(本来ならダメだけど)
だが、いよいよ暇になり、日中配信してやろうと思い始めた。
会社にバレたら怒られるだろうが、元々退職するつもりだったので、バレても問題無いと判断した。

RTA走者になる

それと同時に、RTA走者として配信するようになった。
実は2021年の「RTA in Japan Winter」を見ていて、自分もRTAをやってみたいと思っていた。
どのゲームをするか、1週間くらい練り込んで配信を始めた。
そう、「Burnout Paradise Remastered」である。
このゲームが、後に私の配信生活を大きく変えることになる。
これが冒頭に述べた2022年2月の事。
平日日中配信初日、午後一で配信を始めてみる。
そして記念すべき最初のランで、いきなり世界3位のタイムが出た。
「あ、出ちゃった」みたいな感じだった。
だって1週間みっちり考えたチャートだったんだもの。
自信はあった。
でも目撃者はいなかった。
だが、その後はRTAタグを付けていた影響か、視聴者数が常時2とか3になるようになった。

RTAイベントに出る

RTAでそこそこのタイムが出せたので、次の目標にしたのは、RTAのイベントに出る事だった。
何か直近でイベントがないか調べたところ、「RTA Bootcamp」というイベントがあったので、応募した。
中々倍率が高いイベントなので、ダメ元で応募したけどなんとまさかの採用。
採用発表後は明らかに視聴者やフォロワーが増えた。
そんな中イベントまで1週間を切った頃、30人位のレイドを貰った。
これでアフィリエイトの条件を満たした。
RTAってすげえ。
この時改めてRTAの人気と注目度の高さを実感した。
初めてのイベント本番を迎えた。
普段の配信と違い、大勢の人に見られ、一発勝負でおまけに慣れない解説をしながら走らなければならない。
緊張しまくったのもあって結果は散々だった。
イベント中はコメントを読む余裕なんて無かったので、後日ダイジェストを見た。
アンチコメなんて1つも無かった。
なんて温かい世界なんだろう。
その後も立て続けにイベントに応募して採用してもらい、視聴者数もフォロワーもうなぎ上り。
同時にイベントのボランティアにも興味を持ち始めたので、不採用になったイベントはボランティアとして関わるようにした。
色々な人と交流ができた。
楽しかった。
もっとビッグになって、このまま配信者を本業として生活できればいいのにと本気で思い始めた。
完全に有頂天になっていてまともな判断ができなくなっていた。
挙句の果てには「パートナーになる!」とかほざく始末だった。
それだけ、勢いのある1年だった。

退職、そして無職へ

2022年末、1年間の休職を経て、晴れて当時の会社を退職した。
そのまましばらく傷病手当を貰いながら生活し、受給期間が終了したら就職を考えようと思った。

実は休職期間中、プライベートで1つ大きな事件があった。
6月生まれの息子の3歳の誕生日に、両家の親を招いて自宅で盛大に誕生日パーティーを行った。
パーティーは終了し、当時別居していた嫁と息子は義理の母と嫁の実家に帰宅。
なぜか私の両親が残った。
「話がある」と言われた。
嫌な予感がした。
突然私の両親が「話がある」と切り出す時は例外なく悪い話だ。
それも人生を大きく左右するレベルの。
ちなみに前回は、私が20代の頃、当時付き合っていた女性と結婚目前の状態であったにも関わらず、突然「話がある」と女性の実家に乗り込んで結婚話を破談させた事がある。
その後、家族とは2~3年くらい一切口を利かなかった。
では、今回はどういう話だったか。
「お前はこのままでいいのか」
「まさかこのまま仕事辞める訳ないよな?」
「家も建てたばかりだしローンはどうするんだ」
「転職だって上手く行くか分からんぞ」
思った通り、今の生活に対する説教だった。
まさか自分の子供の誕生日というおめでたい日に説教されると思ってなかった私は、凄い剣幕でブチギレて家から追い出した。
それ以来両親とは口を利かなくなった。
あの時と一緒だ。

話を戻そう。
退職したことにより後ろめたい気持ちも無く配信できるようになり、日中はぼぼ配信に集中した。
しかし、視聴者数が徐々に減り始め、フォロワーも増えなくなった。
なぜだか分からなかった。
自分の何かに問題があると思い、試行錯誤し続けたがダメだった。
今思えば、視聴者数が減ったのは、元々リモートワーク勢の視聴者が出社スタイルに転換していったというのも要因の一つと考えられるが、当時はなぜかそういう考えが出てこなかった。
いや、自分以外の所に原因があると思いたくなかったのかもしれない。
なぜならば、同じ時間帯に配信している他の配信者の視聴者数に同様の変化が見られなかったからだ。
明らかにモチベーションが下がっていた。

RTA走者引退

そして、私は一つ大きな決断をする。
RTA走者引退だ。
理由は色々あるが、1つは元々傷病手当の受給期間が終わり、就職活動が可能になったら引退しようと思っていた。
RTAってチャートを覚えたり、1回通すのもある程度まとまった時間が必要になる。
就職活動が始まるとそんな暇が無くなると思ったのだ。
後は2022年はRTA走者やイベントが急激に増え、さらに活気を増す一方、人間関係のしがらみなど嫌な部分も見えてくるようになって、日本のRTA界隈に嫌気が差して来ていた。
ここが身の引きどころだと思った。
引退するからには何か記念になる事をしたいと思い、引退セレモニー配信をすることにした。
時間はもちろん平日の日中。
少しでも多くの視聴者数が見込める昼休憩の時間帯に設定した。
内容は、
・なぜRTA走者を引退するのか
・引退が本気である事を証明するため、配信中にSRCのアカウントを削除する
・アフィリエイトの条件を満たせなくなったら配信者引退公約宣言

という3つだった。
スライドを作って30分程度で終わらせる予定だった。
ところが、いざセレモニーが始まると、思いもよらぬ方向へ話が進んで行く。
「パートナーの配信面白くない発言」や、特定の配信者について名指しで言及するなど、誰に対しても物怖じしない私の性格が仇となって、想定していなかった話をしてしまった。
セレモニーは1時間以上続き、その間だけで15人程度フォロワーが減った。
中には親交の深い人もいた。
ショックだった。

その後も、Twitter(現、X)上で私の事(と思われる)を批判するツイートを多々見掛けた。
「と思われる」と書いたのは、ドイツもコイツも明確に私の名前を出す人がいなかったからだ。
こういうWhoをはっきりさせないツイートをするのが、日本のRTA界隈の嫌いな所だった。
引用RTをすると相手にバレるので、RTをしてから別にツイートをする。(まあこんなやり方してもRTした人のプロフィール見たらバレるけどw)
ただ、誰に対してのツイートかを明らかにしていないので、追及しても「あなたの事じゃないですよ」でかわされる。
酷く鬱になった。
いっその事、配信も辞めてしまおうと思った。
とりあえず、一切のSNS断ちをして、しばらく配信を休止した。

普通の配信者に戻ります

結局、1か月程度配信を休止した後、配信を再開した。
一体どの位の人が見に来てくれるだろうか。
実はこの間に、RTA引退セレモニーで掲げていた、「アフィリエイトの条件を満たせなくなったら配信者引退」という公約を、どさくさに紛れて無かった事にしていた。
だって1か月配信してなかったら即引退じゃん。
そもそも、私が引退して誰が得をする?
結局この公約も、RTAを引退する事による視聴者減少を防ぐために企画したものだったが、これだけ大事になってしまったらもう無意味だ。
さて、配信再開初日の視聴者数はどうだったかというと、平均視聴者数3人。
マジでアフィリエイトの要件ギリギリだった。
特に荒れる事なく、かといって特に盛り上がることもなく、常連さん達と和やかな配信となった。
それでも少しでも悪あがきしたいと、性懲りもなく色々企画配信をしたけど、効果なし。

一方、プライベートの方では、就職活動中に雇用保険が受給できるのだが、想定していた金額をはるかに下回るもので、一気に破産の危機が迫っていた。
逆算した結果、30代のうち、つまり11月の誕生日までに仕事が決まらないと破産しそうな感じだった。
配信休止期間中に障害者手帳を取得したので、障害者向けの求人を探せば夏くらいには決まるだろうと思っていた。
しかし、障害者向けの求人が極端に少なく、就職活動開始直後早々に計画の練り直しが必要になった。
では一般向けの求人に応募するしかないのだが、提出書類に障害の事を記載している為か、10社中9社で書類審査落ち。
破産が先か就職が先か。
夏が終わり、いよいよ尻に火が付き始めた。
配信中の話題も、お金と仕事の話題が大半を占めていた。

配信だけが全てではない

ある時、何気なくインターネットを見ていると、TikTokにゲーム実況の動画を投稿する某YouTuberのインタビュー記事を見掛けた。
その人は既にYouTubeではある程度人気のある人らしく、「ゲーム動画不毛の地のTikTokになぜゲームの動画を投稿しようと思ったのか」という内容だった。
詳しい内容は割愛するが、可能性は広い方がいいと思い、私もTwitchのクリップ等を他のサイトに投稿することにした。
YouTubeは既に投稿していたので、新たに食べ物系の画像を投稿していたInstagramとTikTokに動画の投稿を始めた。
今のところ上記3つのサイトに同じ内容の動画を投稿しているが、それぞれ違いがあって面白い。
その違いについては、もうそろそろ別の記事としてまとめる予定です。
以下、各サイトの私のチャンネルになります。

従来通り配信だけだと、配信している間しかチャンスがないけど、クリップやダイジェストを動画として他のサイトに投稿すれば、いつでも見る事ができる。
Twitchのアカウントを持っていなくても見る事ができる。
むしろ配信は動画を作るための公開録画なんだと。
Twitchは配信しているだけで自動的に一定期間動画として残ります。
配信後に名場面をクリップなりダイジェストとして残すことにより、永久的に動画が残ります。
これ以上いい録画方法はありません。
例え配信中誰も見に来なくても、後で何十人何百人、あるいは何千人の人が見るかもしれない。
ここで私は下がり切ったモチベーションを上げることに成功しました。

就職決定

そうこうしている内に、遂に誕生月の11月に突入しました。
勝負の月。
ここで決められなければ破産確定です。
ハローワークに週1のペースで行ってこの状態なので、そろそろ戦略を変えないと決まらないと思い、職員に相談しました。
「障害者って書いてるせいか書類で落とされるんですよね~」
「じゃあ書類審査が無い求人をピックアップしましょう!」
なるほど。
いきなり面接に行けば、面と向かってアピールできる。
障害者だけど、案外いけそうじゃね?って思わせればこっちの勝ちである。
そして方針転換して初めて行った面接。

なんと面接行ってその場で採用。
なんだよ、もっと早くこうしていればよかった…
とりあえず1年半ぶりに両親に「仕事決まった」とだけLINEしといた。
返事は来たけど、今はそれ以上会話する気にならなかった。
率直なところ両親に対しては、「どうだ!ざまあみろ!やってやったぞ!」という気持ち。
今はまだ積極的に関わろうと思わないですね。
そして今回決まった仕事は、ごく一般的な土日休みのお仕事。
つまり、平日日中配信ができなくなるという事です。
夜は配信しないと以前から嫁と約束しているので、もし今後配信できるとしたら、
・土日に嫁と息子がいないタイミング
・無職になる

の2パターンしかありません。
もちろん後者はもう勘弁です。
そうなると、仮に配信出来ても月に1,2回程度、1回当たり2~3時間とかになると思います。
極端に配信頻度が落ちますが、引退はしません。
忘れられないように、各SNSには色々と投稿していこうと思うので、私のこと、時々でいいから…思い出してください。

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