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心の中でもう一度

櫻井敦司さんのことで、個人的かつ、ややセンシティブな内容の話をしています。
まだいろいろとおつらい方はここまででそっ閉じしてくださると助かります。


ラナンキュラス。花言葉は幸福
あら、すてき。



先日、カウンセラーさんと話をしていて、櫻井さんの話題になった。
実は5月からカウンセリングを受けている。この日は自由に思いついたことを話しましょうということで、櫻井さんの話をさせてもらった。
カウンセリングについてはまた改めて。

話が進む中で先生が言うには、私の「あっちゃん!好きだー!」というのは、まだ上り坂の途中。まだまだ知らない曲も知らない写真も動画もたくさんある。今はそれをひとつひとつ知って、好きの上り坂を上がっている、よくある言葉ではあるが、「心の中で櫻井さんは生きている」状態だという。

亡くなった後から興味を持って追いかけているので、確かにいまは好きの途上といえる。日常的に会える人ではない、コンサートで年に一、二度拝見するくらいが普通だったということも、「(心の中で)生きている、今ちょっといないだけ」みたいに、アタマがバイアスをかけてしまっているようにも思える。

話を戻して、引き続き先生のコメント。
やがて好きの上り坂の頂点に来た時。櫻井さんについて知ることが何もなくなって、あとは坂を下るだけというポイント。そこで、
"櫻井さんは(私の)心の中でもう一度◯にます"
と、言われた。

マジか。
言われた瞬間、かなりのインパクトがあった。
あまりの言葉の斬れ味に、逆にスカッと気持ち良いくらいだった。

9月21日。
BUCK-TICKの新しいアーティスト写真が発表された。
ウッてなったけど、前向きに捉えることも出来たので、一言書いた。


さらに、10月1日。
オフィシャルサイトの、櫻井さんの壁紙の更新が止まった。
とても小さなこと、スマホ壁紙たった1枚のことに、いい大人がえらく打ちのめされてしまった。2日間くらいどんよりした。

"櫻井さんは心の中でもう一度⭐︎にます"
この言葉の意味を少しだけ実感した。
はっきりとした喪失感が初めて押し寄せてきた。

これからこういう小さいことのひとつひとつに打ちのめされていくんだ。
櫻井さんがいないという事実を突きつけられるのは、これからなんだ。
わかっていたようで、全くわかってなかった。

物じゃないのに。故人を心の中で大事に思うことがいちばんなのに、すぐ飛びついてすぐ飽きる自分を信用できない。いつか忘れると思っている。そうならないために、目に見える物を集めて、その人が目にしたであろう場所や関わってきた物事に触れに行こうとする。

廃盤にならないうちにとCD、DVD、音楽雑誌のバックナンバーを買う。
もう出るの最後かも!とグッズを買う。
生前読んでいたという作家の本を読む。
絵が描ける人にお願いして、見える化する。
かつてモデルをつとめたジュエリーブランドの主宰の方の個展を見に行く。
シャネルのネイルを買ってみる。
なんか黒い服着がちになる。
なんかちょいちょい散財する…。
群馬の温泉特集のチラシだけ目ざとく見つける。
もう出てはこないのにコンサートのチケットを必死こいて取る…

これは家族がひくのも無理はない。書き連ねていくと、自分でもだいぶきてるなと思う。だが、仕事に穴を開けたりはしていない。家事は若干疎かだが、これはこういうことがなくても疎かなので良しとしよう。人にあれこれ語って気持ちを押し付けないように、ここを開設したというのもある。
人前ではコントロールは出来ている。はず。

昨年末、武道館で大きな喪失感を覚えた人も多かったのかと思う。私は、今年の年末にそれを体験するのだろう。翌日どうなってるか、ちょっと想像できない。
年始で休みだから寝込んでもいいか。