「経済」の本当の意味を考える
こんばんわ。沢みやのです。
突然ですが、皆さん、「経済」という言葉を聞いて、何を連想されますでしょうか。
「お金」であったり、「景気」または、「金利」や「株価」という言葉が聞こえてきそうです。
現代では、そういったお金そのものに関する供給や流通における意味合いとして、使用されています。
しかし、日本語の経済という言葉の語源は、もともとは中国の「経世済民(けいせいさいみん)」という言葉から来ているそうです。
「経世済民」とは、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」事を意味しています。
元々の意味に立ち返って考えた時、経済の本当の意味が見えてくる様に思います。
「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」ということを、別の言葉で言い換えるなら、「世界が平和になり、人々が幸せを実感して生きていくこと」とも言えそうです。
「お金」や財産という意味においても、自分だけが、より多くの物を所有しても、それだけでは幸せにはなれないはずです。
お金はただの交換券であって、昨今の物価高に見られる様に、物の価格は時により変動し、お金そのものに固定の価値はない。
では、生活していく中で、必要な物やサービスが得られているなら、さらにお金を必要とするのは、なぜなのでしょうか。
突き詰めて考えれば、「満足感を得たいため、不安を解消したいため」なのではと、私は思います。
お金を得て交換出来る物やサービスを享受すること、また、病気などの万が一の不測の事態に備えて貯蓄しておくことで、不安を解消するためではないのでしょうか。
でも、それは結局は、本当に必要なのは、お金ではなく物やサービスであって、作ってくれる人、提供してくれる人がいなければ、得られないものです。
お金が万能の道具の様に見えて、その向こうには必ず誰かの仕事があり、そこに賃金の発生の有無に関わらず、誰かの働きがあるのです。
私にも幼い息子がいますが、家族のためにご飯を作り、そのご飯を美味しそうに食べてもらえるだけで、嬉しく思います。
当たり前の事ですが、家族内では、食事を提供したからと言って、お金のやり取りは発生しません。でも、自然とお互いが助け合うことができる。家族の喜びが、自分の喜びであると感じられます。
例えば、世界中の人々が「一つの家族」という認識になれたなら、物もサービスも分かち合って助け合って、そのことで幸せを感じて生きられたなら、どんなに素敵な世界になるのだろうと思います。
所有物の多さでは測れない、ましてやお金の多い少ないではない、
「人とのつながりや助け合うことで得られる喜びの中に、私たちの本当の幸せの種は存在する。」
そう思います。
分かち合いの経済、助け合いの経済、それが私達がめざすべき、本来の経済のあり方なのではないでしょうか。