『比較して、どっちが優れているか』じゃなくて『違うのが当たり前』 ~作家売買~

比較ってことも大事ですよ。

学問やビジネスとして比較し、見極めて、良いところを見習っていくことも大事ですから。


でも、情報が飛び交っていると『なんでも』比較していて、どう返していいかわからない時があるんです。

「そこ比較しても意味ないでしょ?違って当たり前なんだからさ。

大元が違うんだから、比較なんてできないでしょ!」

って思うことさえ比較していて悲しくなる時があります。


大元が比較できるレベルで均一でないデータを元に「アッチが優れている」「コッチと違う」って判断がされてしまう。

それって悪意の有無に関わらず、ちょっとした人間誰しもが犯してしまう「情報操作」的悲しい末路ですよね。

こんなこと言う、私もよくしてしまうんです。


意味のない

『海外では~○○、日本では△△。」

「xさんは○○、Yさんは□□。」

っていう、曖昧すぎる比較って悲しいですよ。


国同士、違って当たり前なんですよ。人同士違って当たり前。同じようなデータが出てていても、過去から今までの流れが違えば「比較データ」として利用できるのか、ちょっと謎ですよね。

まして、それを読む人の感じ方でさえ、人それぞれなんですから。


『比較』って日々、使ってしまうけど、考えれば考える程、難しいって思った朝でした。


今日も、誰かに笑われていますように。

執筆者:さわ