親を施設に「入れる」という罪悪感の涙の正体 その2 ~明日、親が介護施設に入居します! ⑤~

これは超絶、私個人の思いです。

「なぜ、親を施設入居させたら、涙が出てきたんだろう?」


私は自他共に認める親との仲は良くない。けど、絶縁はしてない程度の家庭だった。老化によるアレコレがあったから同居して、最低限の衣食住の保証をしていた程度だった。

絵に描いたような円満家庭でもないし、家庭崩壊もしてないと思っていただけで、傍から見れば結構な崩壊ぶりだったらしく、家族の話をすると「返事に困る」って言われるレベルだったので、家族の話は外ではしないようにしてた。なので、ボロ雑巾みたいな家庭だと認識してる。

だから「パパママ大好き!」っていう家族愛を語れるような人間ではない。

家族=地獄の契約 ってぐらい家族って関係が嫌いだ。

それを他人に強要も、共用もしない。「人ソレゾレ」だと思うし、時と場合による。

家族を愛する方は愛せばいい。時に家族を憎む方もいるだろうし、時に家族に依存することもあるだろう。人は止まらないから。心もとまらない。

それが私の家族観みたいなモンです。


んで、話を戻せば、そんな結構、シビアな家族としての認識があった。

だから、メロドラマのように親を施設に送ることになったからって、泣くことはね~だろって自分の反応にビビったんです。

顧みることにした。


2 心が示した拒否反応 虚無感

介護離職はしない方が良いって、超絶どこでも言われてることです。頭でわかっていても心は別って話。


家族介護って状態を、マンツーで続けていると親が施設入居が決まって、一種の「燃え尽き症候群」みたいな感覚になりました。

毎日、食事の準備だ、掃除だ!って追われていたのに、施設に入ってもらうと食事の準備は自分の分だけでいいから楽。

掃除も、自分しか使ってないし、汚れたとこをチョコっと掃除するだけなので楽。

もう、飛ばされた食べこぼし、作り直し、作り置きの食事拒否、絶えられなくなりレトルトオンパレードの食事健康に対する罪悪感とか、どうしてココが汚れる?ってレベルのトイレ掃除、床掃除、布団の上げ下げやら等々に追われないでいい。


追われていたモノからの開放感からの~虚無感って感じでしょうか。


だから、話を戻しまして。

仕事を辞めたくなるんですよね。

どんな状況で仕事を続けていたかも人ソレゾレですけど、私は介護に追われている生活の中で、介護費用も払っていかねばって中で張りつめていたものがソッと切れた感覚が襲ってきました。

プツンと大きな音を立てて切れるのではなくて、少しづつ自分で気づかないうちにジリジリと糸が細くなり、細くなり、細くなっているのに気づかずにいる。

いっそプツンと切れてくれれば理解ができるのに、張りつめたものが入っていたのは堪忍袋みたいな巾着袋じゃなかったんですよ。

コップみたいな液体が入る入れ物に「私の張りつめたモノ」ってのは入っていた。ガラスのコップじゃないからどれぐらいの量がはいるかは目視できない。

コップに並々といっぱいになった状態でも、表面張力が効いちゃって零れ落ちなかった。でも、限界が来て最初はチョロチョロと流れだしていたが「ああ、ちょっとだけこぼしちゃっただけ、ちょっと拭けば大丈夫。」なんてツギハギ精神状態が始まる。

もう、いっそコップをぶっ壊せばよかったって。


施設にいる方が介護費用はかさむので、「働かねば」って思いもあります。

なのに、立ち止まってしまったら、歩き出せなくなるんです。


頭では「イヤイヤ、仕事に打ち込む為に介護施設に入ってもらったんだからさ」ってわかってる。


なのに、肩が重く、指を動かすのも面倒になる時があります。


横になりました。会社には電話して休ませてもらいました。

会社もいい方々ばかりで、入居手続きのために奔走してる時に出退勤時間を配慮してくれて、本当にいい会社だと思いました。

だから、自分がその会社の売上に貢献できてないことが辛くて、辛くてたまらない。

「そうだ、辞めよう。」って思考になってしまう。


今まで、介護で必要とされていた時間がすっぽり空いたから、仕事に専念して会社に貢献して!ガッポリ稼ぎまっせ!!っていうモノさえも、決壊した心ではどうにもできなくなっていた。

ズンズンとあふれ出すだけだからね。


振り返ればカイゼン点てのは、どうとでも言い訳できる。けど、人の気持ちなんて結果でしかない。

その時、そのタイミングで、その事案が起こったことによる「人の気持ち」。今、好きな過去にタイムスリップできると言われても、何もできないと心底思っている。



てな具合に、精神的にボロボロになっていて、ロクな文章書けない程になってしまっているのが

「2 心が示した拒否反応 虚無感」

の正体でしょうか。



今日も、誰かというあなたに笑われていますように。