『親の七光り』という業を背負う覚悟 ~作家売買~
親の七光りって憧れていたんですよ。
それがアレば、人生を楽して生きていけるって思っていました。
どこの業界にもいらっしゃる「二世」「二代目」など呼ばれる、素晴らしい功績を出された方々のお子様たちに憧れていた。
けど、実際はやっぱり違うんですよね。親の七光りが有ろうと、無かろうと『覚悟』を持って生きていくしかね~んだな。って思いました。
親の七光りを持っていると、必ず『親の~~~』ってさ、言われる人生をずっと歩んでいるわけですよ。きっと。
私は親の七光りって持ってないんで、全部、想像ですけど。
七光りがない分、努力やら苦労ってヤツは全部、自分名義の仕事に変換ができるタイプの家に生まれました。
七光りをお持ちな方々からすれば、自分の苦労も努力さえも、七光りで消されてしまう可能性を秘めているんですよね。
光が強ければ、影って消えちゃいますからね。
さてはて、七光りじゃない、自分の努力があったから今があるんだ!ってわかっていても、
きっと、それでも必ず。多かれ、少なかれ、小さい時から、物心つく前から、当たり前の日常の中に「親の○○さんが~~~」って枕詞を付けて会話をされる。
目の前にいるのは自分なのに、絶対、確実に自分の個人名より先に「親」の名前を先に出される人生を歩むんですよ。
私らのような「努力と苦労」しかなくて、「苦労と努力」を専売してる人たちからは羨望と妬みなどの感情論で言われちゃいますからね。
正直、本音を言えば、私も思っていますもん。
私ら七光りを持ってない人は、まずは入りたい業界関係者に会う為だけの努力や苦労をしてる、そんで「まず話を聞いてもらえる」だけでもありがたい。
そんで、仕事の契約を結ぶってだけでも時間がかかる。
そんでの、そんでね。仕事に繋がっても「新人料金」になってホボ無償って場合にも無きにしも有らず。
けど買い手にとっては「無名の新人」に仕事として金と時間をかけるんなら新人利用料までは出せない。
だってさ
「無名の新人を売り出して、僕らに将来どれだけの利益をバックできるの?」
って、聞かれて、無名の新人な自分はどう答えますか?
「僕は誰よりも努力してきました。才能があります。すごいんです!」って言うだけで、世界は動くのですか?
それに引き換え、七光りを持ってる人たちは違うんです。だって七光りって言葉通り、光ってます。
最初から、輝きにみちて見込み額が違う。
最初から、親の横にいる決裁権を持っている取引先の業界関係者に顔と名前を覚えてもらえる。
時間のロスがないんですよ。
「崖っぷちで仕事してるんです。」って言っても、七光れる親の資力と一般人の資産の違いは明白なんです。
崖に立っている振りして、いざとなれば専属の救助隊がレスキューに来てくれるんです。
本物の崖に立ち、そこから落ちて、誰にも名さえ呼ばれることなく海の藻屑になっていった屍たちの存在に気づいても、ただ涙を流すだけの存在であり続けるんだろう。
だから、どんな世界も、持ってる者と持たざる者は相いれないのは世の常。
どんなに自分の環境を、ソレゾレの事情があるんだ!ってわかっていもて感情は違う。
彼らはきっと親って単語を利用されなくても、言葉の節々に自分じゃなくて、その後ろにいるであろう「親」を見ているって感じるようになってしまう。
時には、本当にただの一人の人間として対応されたのに、「どうせ貴方も、私の親の力を感じてるんだろ?」って自意識が狂う時もあるかもしれない。
どんなに隠して活動していても、いつか親の存在が露見すれば、
「ああ、あの有名な○○さんのお子さんだから、その有能な能力があるんですね。」
「ああ、そのチャンスを得られたのは、実は裏では親御さんのご威光なんですね。」
「ああ、だから、そんなに急成長して、その業界で仕事をなさっているんですね。」
フザケンナ!って、言っても後の祭り。
親子関係が知れ渡った時点で、子供側がしてきた苦労や努力なんて見てもくれない。
なんなら、「たったそれっぽちの努力と苦労で、のし上がれた。」なんて表現される時もあるかもしれない。
人の努力も苦労も、他者と比較できるものなのだろうか?
ただ、ただ、親との比較をされる人生に。
ただ、ただ、親の功績を延長させるためのコピー扱いをされる人生に。
そんな恐怖さえも一緒に携えなくてはいけない人生に。
やっと、親の威光がないぐらい世代交代した頃にゃ、自分もピークの時代を過ぎている。
自分の努力と苦労を糧に、のし上がってきたのに、生まれたばかりの若い世代にゃ、検索しただけの、曖昧模糊な過去の情報だけを頼りに
「あ、でも、貴方って親御さんもその業界で功績残した方だから、業界に入りやすかったんですね。」なんてノタマワレル日々に変わるだけ。
とある自称:七光りです!と断言して、資力ある親の名前を出して仕事をしている方と出会って、逆に七光りである『業』を感じ、なおかつ、その方の仕事に対する覚悟を感じました。
才能ってのは、遺伝なんでしょうか?
才能ってのは、環境でしょうか?
才能ってのは、努力と苦労の成果物なんでしょうか?
その他、諸々全てが揃って、創造物ができるんだ感じるのに中年まで時間がかかりました。
けどさ、やっぱり苦労を売りにするのは飽きたから、そろそろ七光りでも売りにしたいなって感じたコラム・ネタでした。
いかがでしたでしょうか?
創作物ってのは、感情の塊なんですかね。
何を持って覚悟とするのか悩んだ秋の吉日にて。
今日も、誰かに笑われていますように。