■ハマス対イスラエル戦争について - その7: 【主なるイエス・キリストだけがあなたの魂も肉体をも救済できる、罪を贖えるということ】

■ハマス対イスラエル戦争について - その7: 【主なるイエス・キリストだけがあなたの魂も肉体をも救済できる、罪を贖えるということ】
その1 https://note.com/sawataishi/n/n69a628d04754
2 https://note.com/sawataishi/n/n1e657ab15199
3 https://note.com/sawataishi/n/n47e37db9eb10
4 https://note.com/sawataishi/n/n4eabc0e3545e
5 https://note.com/sawataishi/n/n1c2c3e019e33
6 https://note.com/sawataishi/n/naa200d46a412
その7 本文書⇒ https://note.com/sawataishi/n/n8443c6949476

《前置き》
一見するとこれまでの主題から離れてますが、今回の戦争は、まだイエス・キリストの僕となってない方々が、救済される契機となり得るので前段で霊的/神学的な話しをします。その後に、19世紀からのユダヤ人入植からイスラエル独立宣言直後のアラブによる侵略戦争までの経緯を記します。

▼天地創造の神、万軍の主、全能の主はあなたを救いたい
福音の三要素を信じるならばあなたは救われるのです。信じることは個人的判断ではできなく、聖霊による導きという恩寵 grace が必須。

三要素とは:

  1. 人類史上唯一人の罪無き人間であるイエス・キリストが刺し貫かれて殺された。罪人の罪を贖うために

  2. イエスは(ヘブライ語聖書に記されているように金持ちの)墓に埋葬された

  3. イエスは三日後に死から復活し、そして昇天。イエスは主なる神の右座に生きている(イエスは人類史上唯一人の死からの復活者)

私の魂からの言葉をお読み下されば幸いです。ONE FOR ISRAEL というイスラエルのユダヤ人キリスト教徒団体の動画に11/17にまたまた落涙したことが契機で書いてます。(ONE FOR ISRAEL はユダヤ人、イスラム教徒がイエス・キリストの僕となった証言を公開しており、幾度も幾度も私は落涙してきましたが、本日の動画に最も強い感銘を受けました。愛に満ちあふれる主、万軍の主、天地創造の主、全能の主 は偉大!)

一切の先入観なしで視聴して下されば幸いです。もしもあなたが、ユダヤやイスラエルを嫌っているとしても、イスラエル軍による対ハマス戦争に心底から憤っているとしても、その感情を凍結してどうか・・。

動画の主人公はスーダンのイスラム教徒。彼はキリスト教及びユダヤ人憎しで凝り固まっていました。学校には唯一人のキリスト教徒、ゼカリアがいました。毎日のように彼を殴っていた。なんと、彼は4人の友達と共にゼカリアを殺すつもりで、殴り、骨を折り、出血させ、ゼカリアが絶叫したので口に手を入れて窒息させようとした。終に声が出なくなり、ゼカリアを殺したと満足してその場を立ち去ったのです。以来、彼はゼカリアに会うことが・・。それから先のことは動画に

『私はアッラーのために彼を殺害しましたが、神は私を許すために彼を育てました...償還の衝撃的な物語!』 ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=mtjMANw2hCA

あなたが未だに Yeshua の僕でないならば、聖霊/主/御子 の恩寵により、悔い改めて導かれますように。アーメン。主の御名を称えます、主の御名が永遠に称えられますように、アーメン、ハレルヤ。

▼私が完全に信じていること
7年間の大艱難時代が遠くない将来に来る。その始まりは、反キリスト(サタンの下僕)と偽預言者が出現して、イスラエルと反イスラエル諸国との平和条約を締結。世界平和実現が達成されると諸国民は期待する。そして、反キリストが主人となる世界帝国が形成され、世界宗教も創設される。それから666の印が刻印されてない人は、売ったり買ったりできなくなる。このようなことは、現在の情報技術により可能、つまりは世界帝国の政府が構成員として認める人々の肉体にICチップを埋め込むようなこと。ICチップには番号が付され、番号と銀行口座/クレジットカード/住民票等が連結される。現金通貨は廃止され、ICチップなしでは買えない、売ることができない、企業を創設できない、納税できない。ICチップ埋め込みを拒否する人、ないしは、埋め込みが不可能となるために 隠れる/潜行する 人々は、福音派キリスト教徒(アメリカで巨大な影響力を有している親イスラエルクリスチャン)及び反キリストによる世界宗教を認め無いユダヤ人。

大艱難時代において、人類史上前例がない天変地異と疫病、そして諸国連合軍による対イスラエル戦争。その時代、ユダヤ人の2/3は死亡。人類の1/3が死亡。その戦争に主なる神が介入して、反イスラエル連合軍が敗北。

それから、生き残ったユダヤ人は Yeshua (イエス)こそ、ずっと到来を願ってきたメシアだと悟り、イエスの初臨(2千年ほど前)において拒絶したことを悔い改め、
  主の御名によって来られる方に祝福あれ ~バルハバ・ベッシェム・アドナイ~
  (詩篇18篇/黙示録16章)と唱える。
参考→ 新宿シャローム教会 https://shinjuku-shalom.com/archives/17794
↑から引用します
//引用開始
ユダヤ人たちは伝統的に現在に至るまで過越の食事の最後に詩篇118篇を朗読して主に感謝を捧げます。彼らは、今はまだイェシュア(イエス様)に対して心と目が開かれていなくても、過ぎ越しの食事毎に詩篇118篇を朗読して主イエスの訪れを宣言し続けているのです。必ず来たる日にユダヤ人の目が開かれ彼らがイェシュアを救い主として受け入れる日がやって来ます。
それは偉大な救いの日、大いなる喜びの日です。それなので詩篇118篇にはこう宣言されています。
「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。」(詩篇118:24)
もちろん一日一日は主が創造された麗しき日であり、今日という一日にも主の偉大なご計画があります。しかし、それと同時に聖書が限定して言っている「この日」とは、すなわち主イエスの再臨の日です。二千年前に主イエスがこの地に来られ、子ロバに乗ってエルサレムに入場された時もユダヤ人たちはシュロの枝を手にして詩篇118篇を引用して主イエスを褒め称えました。
//引用終了

すなわち、ユダヤ民族が Yeshua をメシアだと悟り涙して、悔悟して、「主の御名によって来られる方に祝福あれ」と唱えたらば、イエスが再臨(the Second Coming)する。それからどうなるかはゼカリア書、エゼキエル書、黙示録等に書かれてます。

▼イスラエルとアラブ・イスラム教徒とのいきさつ
Jesus(Yeshua in Hebrew ヘブライ語)こそメシア(Messiah 救済主)だと悔い改めて Yeshua の僕となるユダヤ人が第二次大戦後のイスラエルで指数関数的に増えてます。そのような人々は自らを Messianic Jew と呼称してます。Jewish Christian とも Christian Jew とも自称しない由縁は、キリスト教徒が二千年にわたりユダヤ人を迫害してきたから。Christ キリスト という言葉そのものがユダヤ人からすると血塗られた用語なのです。
聖書(創世記)より
 イスラエルを祝福する者は神から祝福され、イスラエルを呪う者は神から呪われる

ユダヤ民族はずっと待っていた救済主イエスを誤認して拒否したため、神により離散させられました。Diaspora です。

【1】紀元70年のエルサレム陥落~18世紀まで
ヨーロッパ~ロシアで、北アフリカ~中東で、ユダヤ人はどこでも差別され迫害されてきましたが、信仰を守り抜き、迫害者に暴力を振るうことはなかった。1400年ほど、イスラム圏のユダヤ人は賤民(アラビア語でデヒミという差別語で呼称)扱い。ロシアのユダヤ人よりももっと酷い状態が続いていたのです。

【2】19世紀からのパレスチナへのユダヤ人入植(アリア)
19世紀中期からロシア帝国内~東欧諸国内のポグロム(ユダヤ人襲撃)が甚だしくなり、多くはアメリカに、少なからずは命からがらパレスチナに移住しました。その当時、パレスチナはオスマントルコ支配下で、その地は人口が希薄で荒れていました。ユダヤ人はロスチャイルド男爵の資金援助などによりパレスチナの土地を少しずつ購入して、例えば当地のアラブ人からしたら開拓できないと思われていた湿地を耕しはじめました。小規模の手工業も始まり、パレスチナ経済が発展するとともに、アラブ人が農地や工場の労働者としてパレスチナに移住するようになったのです。

前述してますが、表現を換えて言いましょう。アラブ・イスラムの大いなる嘘について指摘しないわけにはいきません。ユダヤ嫌いではない「西欧やアジアの人々」の多くがその嘘を信じているからです。19世紀からのユダヤ人のパレスチナ移住において、アラブ人の土地を強奪した事実は絶無です。当地はトルコが支配しており、トルコ帝国にはもちろん司法制度があり、パレスチナには警察が存在してました。そもそも、ユダヤ人が入植する前のパレスチナは荒廃して人口が希薄だったことは単純明快の史実なのです。ロシア等から移住したユダヤ人が、アラブ人の土地を奪ったという言説は単純明快な虚偽。

▽パレスチナ・アラブ人による反ユダヤ暴動増加
パレスチナでユダヤ人が増え、経済発展し、アラブ人も沢山パレスチナに移住するにつれて、1400年以上継続していたユダヤ人憎悪がアラブ人の中で更に強まりました。ユダヤ人が国を再建する目的だと知ったイスラム教の狂信者達がユダヤ村を襲撃することがだんだんと増加していきました。当時のアラブ人はトルコ人支配下にあったので、銃器を合法的に所有することができなかったので、ユダヤ人襲撃における武器はナイフとか棍棒などでした。それでも、沢山のユダヤ人が殺害され、住居が破壊され、せったく耕した農地が踏み荒らされたりしたものです。それでも、ユダヤ人は迫害者に暴力をふるうことなし。

▽ユダヤ人が自衛のための武装開始
次の段階は、余りにも襲撃の程度と回数が増えたことに対応しての、ユダヤ人による自衛組織結成'(ハガナー)。その主体となったのは、ロシアと東欧から入植した社会主義者である労働シオニスト達(ヒスタドルート)。彼/彼女らは武装して、アラブ人による攻撃があれば反撃しました。けども、あくまでも自衛だけ。アラブ人村を襲撃したことは唯の一度もありませんでした。

▽第一次世界大戦中のイギリス対オスマントルコ戦争、1917年のバルフォア宣言
何故、ユダヤ人は武装できたのか? 第一次世界大戦にてオスマントルコはドイツ側で参戦し、イギリス対トルコの戦争がパレスチナで現出したことが主たる理由。戦争状態だから、トルコ官憲・トルコ軍はユダヤ人やアラブ人の武装を妨げることが困難になったのです。

ここから少し複雑な話しとなります。アラビアのロレンスが何をしたのか、諸賢はご存知でしょう。彼はイギリス軍将校で、トルコ支配から脱して独立国を設立したいアラブ人を指導して、対トルコ戦争にアラブ軍団を動員しました。イギリスがアラブ人を利用した理由は言うまでも無く、トルコに勝つため。ユダヤ軍をイギリスが形成しなかったのも単純な理由でありまして、アラブ人がユダヤ人より圧倒的に多数であり、アラブ人はユダヤ人を憎み、追放しようとしていたからです。イギリスの国益らして、アラブ人活用は当然。

イギリスはアラブ人に媚びを売り、現実にアラブ人はイギリス側に立ち、トルコと戦った訳ですが、なんとイギリスは親ユダヤでもあったのです。当時のイギリス内閣はユダヤ人富豪のロスチャイルドとも、ロシア(ウクライナ)生まれのユダヤ人化学者でイギリスの主要な政治家が尊敬するところのハイム・ワイツマン博士とも友好関係にありました。ワイツマンとバルフォア外務大臣は信頼関係にあり、とうとう1917年のバルフォア宣言(形式はロスチャイルド卿への書簡)が実現。つまりトルコ敗北後にユダヤ人の national home 建設を支援すると。大切なことは、ユダヤ人の country/state 再建を認めたのではなかったこと。もう1つ大切なことは、パレスチナの非ユダヤ人の宗教的・市民的権利に不利益がもたらされてはならないとも明記。

バルフォア宣言はイスラエルという国の再建にイギリス政府が最大限努力すると約束したのではなく、あくまでもユダヤ人の 郷土 建設への支援。それなのに、何故にイスラエル国が再建されるに至ったのでしょう。神の御手が働いたとしか言えない事態が起きたのです。

▽第一次世界大戦後、パレスチナはイギリスの委任統治に
第一次大戦の結果トルコ帝国が崩壊。英仏はサイクス・ピコ協定によりシリア、イラク等のアラブ独立国を「作り」ました。パレスチナはアラブの独立国とされなく、同地は国際連盟によりイギリス委任統治領とされました。イギリスの統治機構(もちろん軍を含む)は戦前における老衰化したトルコ帝国のそれと比較して遙かに優れていました(法律をきちんと運用し、賄賂は受けないとか)が、アラブ人によるユダヤ人襲撃はますます増加。ユダヤ人の武装は委任当地政府からして違法なのでイギリスは取り締まりはしたが、ユダヤ側は自衛のために武器を捨てることなどなし。委任統治政府はアラブ人に対しては甘くて、武器所有の取り締まりは穏やかで、そればかりかアラブによるユダヤ人村襲撃に関して、警察が厳しく調べて逮捕姿勢に極めて乏しかったのが史実。イギリス委任統治政府の親アラブ姿勢にはイギリスの国益からして合理的ではありました。

▽1933年、アドルフ・ヒトラーがドイツ首相、それから第二次大戦開始前までの間
国家機構が法令に依拠してユダヤ人を迫害するという歴史上一度もなかった反ユダヤ主義が始まりました。それまでも反ユダヤ主義はありましたが、民間人主体であったり、行政官庁が関与していたとしても、国家としての正式な政策ではなく、あくまでも発作的・散発的虐殺や権利縮小でした。ナチスのユダヤ人迫害は「人種としてのユダヤ人」という意味でそれまでよりもずっと恐るべきものでした。そもそもユダヤ人は如何なる意味でも人種ではありません。共通した宗教と慣習を基礎としての nation (民族)。イスラム諸国やキリスト教諸国にての反ユダヤ主義は確かに野蛮でしたが、ユダヤ人が改宗すると一応は「とりあえずはOK」とされてましたが、ナチスの場合は人種としてのユダヤ人を法律で規定して、当該個人が「私はユダヤ人大嫌い。自分はドイツ民族にとっくに同化している。ユダヤ人ではもうないのだ。一緒にしないで」と主張しても、なんともならなかったのです。

ナチスの反ユダヤ主義政策に直面して、ドイツやドイツが支配下においた諸国からパレスチナに逃げようとしたユダヤ人が沢山いましたが、イギリスはパレスチナ移住制限を緩和すのではなく、逆に更に厳しくしました。アラブ人に配慮して。それでもユダヤ人は非合法にパレスチナに移入しようとし、少なからずはそれに成功。なので、アラブとユダヤの対立の質×量は更に高まりました。

アラブによる襲撃激増、ユダヤの自衛としての軍事力行使という情勢悪化に直面して、委任当地政府/イギリス植民省および国際連盟は解決を真剣に模索せざるを得なくなりました。パレスチナにて両民族が共存することはできないとの判断にいたり、棲み分けさせるしかないとの結論に。

▽1937年、最初のパレスチナ分割案
同年、国際連盟のピール委員会は ユダヤ:アラブ の領土を 1:3 くらいでの両民族の国独立を提案しました。ユダヤ代表は渋々受諾。しかしアラブ人指導層は内部討議するとことすらなく拒否。アラブの対ユダヤ暴力・軍事力行使が更に激化。ユダヤ人はハガナー等の自衛軍を持っており、殺そうとするアラブ人を殺害。但し、アラブの村を先制攻撃したり、アラブから土地を強奪するようなことは全くなし。

▽1939年5月、第二次世界大戦開始の4ヶ月前の『マクドナルド白書』 by イギリス政府
《ホロコースト百科事典》 https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/refugees-abridged-article から引用します
"1939年5月のマクドナルド白書により、英国議会はパレスチナへのユダヤ人の移住を厳しく制限する条例を含む政策綱領を承認しました。歓迎の姿勢を示す受け入れ先が少なくなる中で、1万7,000人のドイツ、オーストリア、ポーランド在住のユダヤ人は、入国ビザが不要な上海に移住しました。1941年後半、ナチスによる大量殺戮の未確認報告が西側に広まっていたにもかかわらず、米国国務省は移民に対してさらに厳しい制限を定めました。1943年4月に開催された難民に関するバミューダ会議において、連合国は救援のための具体的な提案をしませんでした。"

wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/イギリス委任統治領パレスチナ からも引用
"第一に分割案を破棄し、すでに45万人ものユダヤ人の入植が済んだため「ユダヤ人民族郷土」は成立したものと判断し、ユダヤ人とアラブ人が共同で統治する「統一パレスチナ国家」の10年以内の独立を求めた。第二にユダヤ人移民を次の5年で7万5千人に抑制し、以後の移民枠はアラブ人の同意を必要とするとした。第三に、それまで規制がなかったアラブ人からユダヤ人への土地売却規制をうたった。"

マクドナルド白書は1917年のバルフォア宣言の事実上の放棄であり、パレスチナ・アラブ人にとっては「ユダヤ・アラブの共同統治」という点では容認できなくても、バルフォア宣言の破棄自体は大歓迎。

▽第二次大戦中
パレスチナ・アラブ人の政治・軍事指導層はユダヤ人を迫害するドイツの姿勢を知り、親ナチスドイツとなりました。ヒトラーの「わが闘争」がアラビア語に翻訳されて流布。それまでの``素朴な''反ユダヤからイデオロギー的な反ユダヤ``主義''に移行したといえましょう。(今現在でも、反ユダヤ主義のアラブ・イスラムのテロリストはもとより普通のアラブ人等民衆の少なからずがヒトラーを礼賛してます。公言はできないものの。ただし、ガザの国連機関である学校の先生がヒトラー礼賛を子供に教えている事実があり、それは西側のマスコミすら既に幾度も報道してます)

イギリスはナチスによるユダヤ人迫害を知りつつ、ユダヤ人の非合法移民取り締まりを強化しました。マクドナルド白書により移民数を少なくしたことはもちろん。ただし、なんとウインストン・チャーチル首相は親ユダヤだったのです。当地のユダヤ人もアメリカのユダヤ人もナチスと戦うためのユダヤ軍創設を連合国に執拗に求めてましたが、イギリス軍もイギリス植民地省も断固として反対。チャーチルは内閣多数派の反対を押し切り、1944年9月に2万5千人からなるユダヤ人旅団が結成され、ユダヤ軍は戦争に参加。旅団所属のユダヤ人が実戦経験した後、当然のことながらイスラエルに帰国してから、イスラエル軍の中核を構成しました。チャーチルの支援がなかったら、イスラエル独立宣言翌日からのアラブ連盟による侵略戦争にイスラエルは勝利できてなかったかも知れません。

▽第二次大戦後、国連創設、国連によるパレスチナ分割決議
第二次大戦におけるナチスによるユダヤ人大虐殺は諸国民によるユダヤ人への同情をもたらしました。戦中、途方もない大虐殺の事実は連合国に命からがら逃げてきたユダヤ人達から幾度も報告されてましたが、連合国政府はほとんど無視。戦争終結直後に恐るべき規模の、人類史上最悪の蛮行が明白となったのです。遅かった・・・

ナチスの迫害時代、アメリカはユダヤ人移住を厳しく制限しており、イギリスもアラブ人に配慮して、パレスチナへのユダヤ人移住を厳しく制限してました。両国政府首脳も両国民も、そしてまたその他の連合国もナチスの絶滅収容所からユダヤ人を解放するための軍事行動を全くしておりませんでしし、ユダヤ難民の受け容れにも消極的。イギリス・アメリカ政府は深く反省したのでした。

▽1947年、国連によるパレスチナ分割決議採択
国連はアラブ:ユダヤの領土がほぼ半々での分割決議を採択。帝制ロシアの後継であり、基本的に反ユダヤのソ連が決議に賛成したことは誠に不可思議なことでした。スターリンはユダヤの政治体であったヒスタドルートが社会主義者により構成されるので、中東に共産主義・社会主義国が建設されることは国益とみなしたのだと解説されてますが、その理由だけで分割決議に賛成したとは考えにくいです。神がスターリンの心を動かした?

国連の分割決議に関して、またまたアラブ諸国は討議することなく拒否し、ユダヤは再び同意。パレスチナ・アラブ人には政治体 body politics が存在してなかったので、分割決議についての是非を問われることはありませんでした。もしも、パレスチナ・アラブ人の成人全員に決議案についての投票がなされたら、反対が過半数だったかも知れませんが、もしかしたら取りあえずはパレスチナ・アラブ人が独立国家を建設するために決議を受け容れた可能性はなきにしもあらず。

もしも、パレスチナ・アラブ人をアラブ諸国が尊重して、彼/彼女らに対して、分割決議を受諾するか否かを問い、もしももしもパレスチナ・アラブ人が受諾していたら、パレスチナにアラブ人国が創設されていたことは間違いありません。繰り返しますが、アラブ諸国はパレスチナ・アラブ人に問いかけることなし。パレスチナ・アラブ人はユダヤ人憎悪に固まっていたとしても、取りあえず独立国が建設されたら、その後にアラブ諸国の絶大な援助で、経済発展し、軍事力を強化して、最終的にはパレスチナ国軍とその他のアラブ連合軍による対イスラエル戦争により、イスラエル国を消す戦略を採用することが合理的な選択であったはず。

▽1948/5/15からのアラブ連盟による対イスラエル侵略戦争で、イスラエルが勝利
アラブ諸国はイスラエル国が独立宣言した翌日に侵略戦争を開始。必ずイスラエルを消滅できると完全なる自信を有してました。だから、分割決議について討議することなく完全一致して拒否したのです。イスラエル独立宣言の時点(1948/5/14)でアラブ連盟軍とイスラエル軍とでは軍事力に甚だしい差異があり、アラブ連盟軍が負けることは客観的に極めて考えにくいことでした。新生イスラエル国もそのことは認識してました。けども、なんとイスラエルが勝利。どのようないきさつでそうなったのか?

▽スターリンがイスラエルを本気で応援
イスラエル独立宣言後、アメリカは直ちに「実効支配」を承認したのに対して、なんとスターリン(ソ連)は三日足らずのうちにイスラエルを正統な国として承認しました。それどころではありません、スターリンはチェコがイスラエルの求めに応じて武器を売却するように指示(命令)し、チェコ政府は武器売却を決定したのです。スターリンがチェコに命令した結果、イスラエルの軍事力が飛躍的に強化したため、イスラエルはアラブ連合軍に勝利した。

▽第一次中東戦争はアラブ連盟による国連憲章違反の侵略戦争だということ
話しを転じます。アラブ連盟軍による対イスラエル戦争はいかなる意味でも国連憲章が認める集団的自衛権行使ではありません。明白に国連憲章・国際人道法に違反する侵略戦争です。今のハマス・イスラエル戦争に関連して、諸国のマスコミも「自称」中東問題専門家も、第一次中東戦争はアラブによる侵略戦争だと言いません。私は、第一次中東戦争はアラブによる侵略戦争だと表現した文字列を見たことが一度もありません。

アラブによる虚偽が諸国民により「事実」とみなされてます。すなわち、第一次中東戦争はイスラエルによるパレスチナ・アラブ人追い出しだと。とんでもありません。イスラエルは侵略に対して自衛したのであり、パレスチナ・アラブ人を追い出す意図はありませんでした。アラブ軍は絶対に勝てると確信してたから、パレスチナ・アラブ人の犠牲者を減らすために一時的にパレスチナから待避するように強力に呼びかけました。同胞アラブ人の犠牲者を減らすためであり、そのことはアラブ諸国政府の確信からして当然。必ず勝つとの確信がなくても、やはり人道的には望ましかったこと。なので、私はラジオやビラによる退避勧告については全く批判しませんし、そうしたことは当然のこととみなしてます。

イスラエルはハイファ等のアラブ人に対して、逃げなくていい留まっていい、あなた達は敵で無いのだからと、散々呼びかけました。しかし、アラブ人の一部はアラブ連盟による避難に応じないとイスラエルの味方だとみなされると思い、大多数はアラブ連盟軍が必ず勝ついう確信により、パレスチナから避難しました。もちろん、イスラエル軍の中でとんでもない野蛮な勢力がディール・ヤシン村での百人以上民間人を殺害したような事件があり、アラブ連盟はその大虐殺を大いに宣伝しました。イスラエルの評判を落とすため、つまり国際世論を味方につけるための大宣伝だったのですが、その宣伝がパレスチナ・アラブ人の逃亡を加速させたことが明瞭な事実です。イスラエル軍のごく一部のみがアラブ村の民間人を意図して人を攻撃したのであり、圧倒的多数のイスラエル軍はそんなことをしてません。ベングリオン首相のイスラエル内閣がアラブ人を追放することを政策としていたという文書はこれまで1つもみつかってないし、その仮説を支持する証言を少なくとも私は知りません。私は15才から61才の今日まで関連文献を読んできましたが、見たことがありません。

▽アラブ連盟による国連憲章違反の侵略戦争がもたらしたこと⇒ほぼ同数の人口交換
パレスチナ・アラブ人の50~70万人がパレスチナの外に避難、中東~北アフリカのユダヤ人60万人ほどが命からがらイスラエルに逃げました。この事実は極めて重要ですが、国際社会は未だにアラブの嘘を全体として信じてます。アラブがいう「ナクバ」つまり、イスラエルが70万人のアラブ人を追い出したとの明々白々な虚偽を。中東~北アフリカのアラブ・イスラム諸国政府も民衆も対イスラエル侵略戦争開始前から戦闘停止の期間において、当地のユダヤ人迫害を激烈に強化しました。ユダヤ人の数多くが民間人/警察/軍人により殺されたり、住居が破壊されたりしたから、事実としての大虐殺ないしは民族浄化でした。追放するのではなく、全員殺害が目的だったかもしれませんが、わたしはナチスドイツのごとく全員殺害が目的だったとは思いません。けども、追放が第一目的だったともみなすことができません。ともあれ、60万人前後の生き残ったユダヤ人はイスラエルに逃げて命を保つことができました。

▽パレスチナから逃避したパレスチナ・アラブ人へのアラブ諸国の対応と、
 アラブ諸国からイスラエルに逃げたユダヤ人へのイスラエル国の対応の対称性
極めて重要なことは、イスラエルとアラブ諸国の対応が真逆なこと。イスラエルは60万ほどのユダヤ人に直ちに市民権を与え、住居建設、公共事業による仕事創設など断固として遂行しました。財政が苦しかったので、ゴルダ・メイア(後の総理大臣)がアメリカに赴いてユダヤ人に献金を呼びかけたりしてなんとかお金を確保。イスラエルに逃げたユダヤ人は、1400年以上住んでいたバグダッド等への帰還を願うわけありません。ずっと犬以下の存在としてさげすまされてきましたから。

イスラエルは同胞ユダヤ人を難民としてキャンプに閉じこめるような発想などあるはずもなく、直ちに国籍を与えましたが、なんとアラブ・イスラムの諸国は、同胞であるパレスチナ・アラブ人を難民キャンプに閉じこめました。アラブ人/イスラム教徒は中東~北アフリカで圧倒的に人口が多く、エジプト、ヨルダン、レバノン、シリア、イラク、そして北アフリカ諸国は独立国であり、それら諸国の面積はイスラエルと比較すると遙かに膨大であり、それら諸国の財政はイスラエルと比較すると途方もなく豊かでした。それなのに、同じアラブ人なのにパレスチナからの逃避者に対して、市民権を与えない政策をなんと今日まで継続してます。例外はヨルダンのみ。だから、歴代のヨルダン国王の幾人かはヨルダンば事実上のパレスチナ国だと宣言してきてます。

▽パレスチナ人という民族 nation は1948年後に徐々に形成された
アラブ・イスラム諸国がパレスチナ・アラブ人に国籍を与えない、つまりは公教育も社会保障も与えない政策を戦争で敗北した直後に採用した理由は? 単純明快です。次の戦争でイスラエルを消すことができると確信していたからだとしか考えられません。この動機に関しては理屈で理解できるし、感情的にも納得できなくはありません。パレスチナ・アラブ人に国籍を与えると、「これにて一件落着」になりかねないから。パレスチナ・アラブ人が市民権を得て定住すると、イスラエルを破壊する断固たる決意が薄らいでいくことは容易に予測できるし、間違いなくそうなっていたでしょう。それでよかったのですが・・・

パレスチナから逃避したアラブ人に国籍が与えられていたなら、今頃はイスラエルと近隣諸国は平和共存できていた公算が高いと思います。確かに、アラブ・イスラム諸国民はユダヤ人嫌い、イスラエル消滅願いですが、パレスチナから逃げたアラブ人70万の大多数はユダヤ人がパレスチナに入植して当地が経済発展してからの移住者であり、父祖伝来のパレスチナ居住アラブ人は少数派です。そんな人々の大部分は市民権が与えられ平和に豊かになれば、イスラエルに対する怨恨はだんだんと緩和するほかありません。アラブ・イスラム諸国がパレスチナ難民を作ったと言えるのです

▽1947年の国連による分割決議にアラブ連盟が賛成していたら
米ソが承認したイスラエル国を破壊するために、アラブ連盟が国連憲章違反の侵略戦争をしなかったら、つまりは分割決議を承認していたらばのこと。分割決議の領域にイスラエルはとどまり、その範囲内でのアラブ人はイスラエル国民として平和に生きることができていたと思います。

▽スターリンこそ、対イスラエル侵略戦争におけるイスラエル勝利に大貢献について、再述
話しをソ連に戻します。これまた大きな意味があるので。スターリンがイスラエルに対する侵略戦争においてイスラエルの勝利に大きく貢献したことは明瞭な事実。スターリンの政策なくしてはイスラエルは1948に消滅、アラブ連盟軍によるユダヤ人大虐殺が現出していたことでしょう。

▽イスラエル勝利後のスターリンによる反ユダヤ主義政策
もともと反ユダヤのスターリンはイスラエル勝利後に、ソ連国内のユダヤ人迫害を激烈に開始し、ユダヤ人医師団によるスターリン暗殺事件をでっちあげたりしたし、ユダヤ人の民間団体の解散をするなど帝制ロシアの伝統に回帰。スターリン後のソ連が反イスラエル and 国内の反ユダヤ人政策を継続したことについては申すまでもありません。スターリンはもとよりその後のソ連指導部もマルクス主義という非科学的な妄説を基礎として「イスラエルは欧米の植民地主義・帝国主義の橋頭堡だ。西側がイスラエルをでっちあげた」と宣伝してきました。いまでも、日本国の中東問題専門家の大多数はソ連の宣伝を真実とみなしてます。情けないことに。

▽イスラエルは資本主義/帝国主義/植民地主義の諸国が橋頭堡として作成した国で無い
ソ連から見て資本主義・植民地主義・帝国主義の極悪国とされるイギリス/フランスがイスラエル国復活に積極的に助力した事実は皆無です。イギリスがバルフォア宣言でユダヤ人の national home 建設に尽力すると約束したことは事実ですが、国としての独立を支援するとは認めてないし、イギリスはアラブ人に忖度してユダヤ人移民を制限し、マクドナルド白書でバルフォア宣言を破棄しました。

第二次大戦中もその前にても、イギリスがユダヤ人のパレスチナ移住を厳しく制限したことは明瞭な史実であり、ユダヤの自衛軍は当地の英国軍に対して武力闘争をしてました。ナチスがユダヤ人大量虐殺してる頃、なんとかナチスから逃れたユダヤ人がイスラエルに船で来ることを英国軍は断固として妨害。ユダヤ難民を乗せた船が撃沈されたとか悲惨な事件がいくつもあります。ユダヤの政治体(主として労働シオニスト)はヒトラーを敵とするイギリスを応援しつつ、パレスチナへのユダヤ人移民を軍事力・警察力で制限する当地のイギリス軍・警察に対してテロ攻撃を断行してました。当時、アラブ人のユダヤ人襲撃について、イギリスの官憲は見て見ぬふりをしていたのも事実。なのに、ユダヤ軍による自衛としての反撃に関しては、ユダヤ人を逮捕・投獄。ドゴールのフランス亡命政府はユダヤ人の独立国創設のために一切してません。

▽パレスチナ分割の国連決議を受諾しなかったアラブ連盟諸国の不当な主張
1948/5/15からのアラブ連盟による対イスラエル侵略戦争でアラブが負けたことの国際慣習法的な意義を知らねばなりません。アラブ連盟は分割決議を拒否して侵略を開始し、結果として敗北したのであるから、分割決議で確保されていたパレスチナ・アラブ人の領土への権利は消滅したのです。普通の感覚からしたら、当然。国際慣習法と私は云い、国際法とは表現しませんでした。なぜならば、国際法においては、戦争で勝って獲得した領域は、自動的/無条件には勝利国の正当な領土と見做されないからです。けども、分割そのものを否定した諸国連合が負けたのだから、分割自体が無効となることは慣習的に当然と言えましょう。だから、侵略戦争終結後、国連はイスラエルに決議案の領域に支配を縮小せよと求めることはなし。ところがなんと、アラブ連盟はイスラエルに対して分割決議の線に後退しろと要求しました。破廉恥極まりありません。

▼おわりに
この文書が、ハマスとイスラエルの戦争について考える一助となれば幸いです。この文書そのものは、ハマスこそがパレスチナ・アラブ人の敵 and 抑圧者だと示してはいません。Free GAZA/Palestine from HAMAS が人類の当面の目標でなければなりません。その目標の正当性については、note におけるこれまでの文書をお読み下さい。

1 https://note.com/sawataishi/n/n69a628d04754
2 https://note.com/sawataishi/n/n1e657ab15199
3 https://note.com/sawataishi/n/n47e37db9eb10
4 https://note.com/sawataishi/n/n4eabc0e3545e
5 https://note.com/sawataishi/n/n1c2c3e019e33
6 https://note.com/sawataishi/n/naa200d46a412

あなたがイエス・キリストに僕となるきっかけになることこそ、私の一番の願いです。
判官贔屓の日本国民ですから、圧倒的多数はイスラエルの方が悪いとみているでしょう。情けないことは、中東問題「専門家」の学者達の中で飯山陽(あかり)氏唯一人が冷静に認識していると見えてること。飯山氏の話し語りの内容の一部は虚偽ないしは誇張ですが、全体としては当たり前の内容です。彼女に対して、感情的な言説を公開する東大教授等の勇気のなさにはいつもながらがっかりし、大いに軽蔑してます。「偉い」先生達は飯山先生の具体個別的に特定される主張について、個々に批判するべきですが、そのようなことを
私のスローガンは Free GAZA/Palestina from HAMAS

次は、第二次から第四次中東戦争について語るつもりです。


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