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無性に書きたくなって。

ずっとこのnoteというものの使い方を考えていました。最初は初回の投稿でも書いたように、自分が興味を持っている分野を色々実験的に表現してシェアできたらな、と考えていました。たぶん主に精神世界的なことや、スピってる経験則を自分なりに書く!としていました。ところがあれこれ捏ね回して考えているうちに、そっちは書こうとするほど抑止が利いて筆が止まってしまうのでした。そういう時はまだそのタイミングではないと割り切ることにして降りてくるまで放っておくことにしました。そんなある日、ツイッターでリアルタイムで見聞きして感じたことと、過去の出来事と感情が突然にバチっと符号する事などあって「ああ、書きたい!今自分はものすごくモヤっている。あの日の事を書いて自分なりに咀嚼したいなぅ!」とそうした欲求が立ち昇った日がありました。今これを無性に書きたい。書くことで昇華するとか浄化とかそんなんではなしにただ書く。これから書くことはそうした欲求によるものです。これを書くことによって何か言及しようとか、誰かを告発するものではなく、「ここ」に過去自分に起こった出来事やその時〜現在に思うことを書いて置いておこうとした次第です。なぜならここnoteは、自分のそうした衝動が起こった時のためにあるのではないかと思ったのです。こちらに謎に?導かれたどり着き、これをを読んだ方が感じることはそれぞれだと思いますが、どうか、いち俳優のエッセイとしてお読みいただければ幸いです。



十数年前ある映画の試写に行った。次回作で自分は主演にと話があったので観ておいて欲しいとマネージャーに言われたからだ。試写後、監督と会食が予定されていた。マネージャーと約束の店に向かうと先に監督とプロデューサーが座っていた。以前から監督のことは認知していたが、実際に顔を合わせるのはこれが初めてだ。自分の若い時からサブカル的に活躍していた監督自身に普通に興味があったので、会うことを楽しみにしている自分もいた。

一同、やや緊張した面持ちで会はスタートした。監督は自分は弱くて酒は飲めないと言ったが、小さなコップにビールを注いで飲み出した。一口飲むと彼は早々に試写の感想を求めてきた。ワタシは正直に思ったことを口にした。とはいえ言葉は選びつつ。実は映画の内容自体にさほど心を動かされなかった。エログロ的な画の中で、俳優たちの死闘のような頑張り。と、その横で監督がめっちゃ激しくマスかいてんな、、、(あくまで個人の感想です)とは当然言えなかったのでとにかく俳優たちの演技中心に讃えた。でもこの自慰っぽい熱量が監督の魅力なのかもしれないが、あの時自分には上手く表現出来なかった。

監督はどうやら自分が思ったような感想がワタシの口から聞けず気分を害したのがすぐにわかった。それから今度は自分の功績を語り出した。海外の映画賞を多数取ったばかりの彼は饒舌だった。そんな自分の作品の第三弾に君は選ばれようとしてるんだよ?と。ワタシは黙って頷いた。この時点でこの人の次回作に本当に出たいか自問自答していた。
監督は尚も続けた「君はお父さんが芸術家なんか知らないけど勘違いしてない?」コップ一杯のビールで勢いづいたのか今度はワタシの過去出演作品にあれこれ文句を付け出した。「あんなテレビの延長映画みたいな作品に出てイイ気になってる」「〇〇監督はクソだ、あんな作品に出てるお前もクソ」等々、罵倒も加速していく。自分の事を目の前で貶されるのも腹が立つが、他の作品の悪口を聞かされるのはもっと不快だった。なので自分の事も出演作品についても多少なりとも反論した。するともっとやり込めようとするのか監督の罵りは止まらないのだった。
なんだこれ?これから一緒に作品を創るための会じゃなかったんだっけ?不思議で仕方ない。なぜこんな初対面の男にここまで言われるんだろう。この男は何がしたいんだろう。自分はさっきそこまで彼の作品を貶したつもりはない。監督の他の作品批判は止まらないのに、隣に座ってるプロデューサーは一向に止める気配もないどころかワタシに怒りを隠さない。こんな俺たちに逆らうとはなんたる女優かと。
そのうちに以前付き合っていた?という女優の名前を出し、自分の元を去っていった女優がいかに売れたのは自分の功績だと言う事を語り出した。語り口の威勢はいいが誰の目から見ても明らかに未練しかないのに、本人がそれにまったく気づいていない様子に呆れた。コリャあかん。そんな話はマジでどうでもいいし、この人の口から同業者とのアレコレなんて聞きたくない。会が始まってからここまで、この人に全く魅力を感じられないどころか軽蔑してしまう。これも仕事とはいえこんな会は心底うんざりだ。頭が完全に拒絶モードに切り替わっていったその時だった。テーブルに置いていた自分の携帯電話が鳴った。当時付き合っていた彼(元旦那)からだったが、突然の着信音にびっくりして咄嗟に出てしまった。「今監督と会食中だから後でかけ直す」と監督に背を向け手短に言って切った。すると監督は「この俺と話してるのにお前は自分の男との電話に出るのかーーー!!」と烈火のごとく怒りを露わにした。何故それが男だと思ったのかは分からないが、マネージャーが慌てて「申し訳ありません!!」と謝ったが後の祭りだった。
自分はすみませんとだけ言って黙った。すでに面倒だったしこの男の作品に出演する気なんてとうに消失していた。監督は尚も怒鳴り続けついには「出てけ。お前みたいな女優は二度と顔見せんな」と言い放ったので、ワタシはすぐさま席を立ち上がり「そうですか。分かりました。いいよ、帰ろう〇〇。(マネージャーの名前)ほら行くよ」と、
平謝りのマネージャーの腕を引き、さっさと店の外に出て二階にある店を振り返ると、監督とプロデューサーが窓からこっちを憎々しげに見下ろしていた。
なんだあいつら。そっか、最初にマウント取りたかったんだろね。そんなに屈服させたかったんだ。俺らをチヤホヤしない生意気な女優をけちょんけちょんに貶めたかったんだな。誰があんたらに屈服や、ましてや崇拝なんかするかってのー。
「ナメんじゃねーぞ。」
と言い捨ててその場を去ったが、マネージャーというか事務所に対してやってしまった感は否めない。そしてこうした自分の態度がまた業界でおヒレが付いて悪評をばら撒かれるかと不安も広がった。しかしあんな奴の作品によしんば主演だったとして、出てもきっともっと嫌な思いをするに違いない。相手を怒らせる結果となったが、自分の身は自分で守るしかない。そして自分の感覚は間違ってはいないと信じる事、今のところできる事はこれしかないと言い聞かせた。
にしてもこうした場面で真っ向過ぎる自分を反省しつつ、マネージャーを連れもう一軒行き、やり場のない憤りを感じながら飲み直した。
あの時作品を嘘でも大絶賛してたら何か違ったんだろう。(実際に世間では評価が高かったようだ)彼は気を良くしてプロデューサーと結託して?自分のマンションに引き連れて行っただろうか。抵抗すれば言いなりならない女を肉体で強引に蹂躙するだろうか。そして仕事を与えてやったと自慢気に周りに話すだろうか。もはや妄想の域だが、例えそれで仕事がもらえ、評価されたとしても自分はその時の自分を許せないだろうと思った。
馬鹿にするな。
この夜自分は酷く悪酔いした。





過去の話はここで一旦終わる。
ここに書いてある事はあくまでワタシ側の主観に
過ぎないが、できるだけ当時を思い出し忠実に書いた。
それから数年、監督の名前を見かけるたびにこの日のことが頭をよぎったが、もう自分には関係のない人物だと処理してきた。
だから人前で語る事はないと思っていた。



『性被害』一連の報道を見て、今現在あの日のことを振り返ると、自分の中の本能的な怒りが発動したんだと思う。あの試写の日、最初映画を観た時からすでに感じていたのだ。俳優とか女優とか演技とか仕事じゃない。映画のストーリーや内容についてそう思ったんではない。

「この男はただただ女を消費するんだ」

本能的に感じ取っていたんだとしか言いようがないが。


「どうしようもなく嫌な男」

きっとあの時抑えていても、ワタシからは端々にそんな感情が滲み出ていて、そこであの2人が敏感に察知してどんどん好戦的になっていった。ワタシの態度は監督の本質的な男の劣等感を刺激したのだ。
でもだからと言って初対面の相手を罵倒していいわけではないが、彼は劣等感を優位にすり替えようと必死だった。

しかし、この世界、
沈黙は身を守る事だ。余計な事は見ざる言わざる聞かざる。それがこの業界の教えの一つだった。事を荒立てたくなかったら沈黙。例え誤解されようが、こっちにどんな言い分があっても、だ。何かあって事実でない事を言われたり、書かれたり、どんなに悔しくても、理不尽でも、シカトしていれば時間が経って勝手に移り変わってゆくものだと、この業界はそういう世界なんだと。
あの後もし下手に反抗して悪評をばら撒かれたら、有名監督と揉めた女優の記事が出たかもしれない「砂羽ブチ切れ、監督と大モメの夜」等々。それは話題性優先で、悪者は明らかにワガママ女優側的な悪意に満ちた記事。事務所にも迷惑をかけ、自分のダメージも大きい。こうした記事は必ず「言ったもん勝ち」の仕組みになっている。(過去実際そんな事もいくつかあった。今は詳しくは書きませんが)強者(自分がそうとは言わないが)はメディアを通して多数によって叩かれる。完膚なきまでに。生き残りたければ、、。それが暗黙の了解だった。だからワタシは沈黙を守り続ける。何があっても書かれてもこちらからは発信しない。これまでは。

でもこれからは違う。泣き寝入りしてはいけない。事務所も見て見ないふりはしてはいけない。絶対に役者を守らなくてはならない。長いモノに巻かれてやり過ごす時代は終わった。一過性のニュースにしないためにも、そうした業界に蔓延る腐敗に気づいた我々が、この腐った世界を変えてゆかなくてはならないという意識が必要だ。
ここ一連の同様な報道の流れ。過去の事とはいえ、同じ業界にいる自分も無関心でいられなかった。まだまだ被害者が後を立たないとのこと。きっと似たようなことをしているヤツはまだいる。もしここを見つけて読んでいる被害者の皆さん、あんな弱っちいクズ野郎たちにつけ込まれたのは悔しさしかないけどどうか学んで欲しい。今後見抜く目を身をもって知ったのだから、現場で立ち向かう勇気を持って欲しいと願う。

もちろん女性全員が自分のように向こう気が強くて反発できる人ばかりじゃない事はわかる。
その場になったら怖くてどうしても抗えない状況になってしまい、身動き出来なくなって、言う事を聞いてしまう人もたくさんいるとは思う。
でもそんな時は思い出して欲しい。
こんなところで自分を堕として汚してはいけない。
今この場であなたを力で捻じ伏せる奴なんて所詮大した事ない。役をあげるから、なんて甘い誘いになんて決して乗ってはいけない。適当に評価されて挙句品定めされて、、そんな輩のくれる役なんぞいらないと毅然とした態度を取ろう。あなたは俳優。孤高の存在。そんな奴らに評価なんかされなくてもきっともっと次に繋がるいい出会いがある。

それと、もう一つ。
敢えてそういう「枕営業」する女性もいることは事実。自分の弱さを分かっていて自らを与えてしまう女たち。何故くだらない男たちの餌食になるのか、もう一度よく考えてみた方がいい。
たったいっ時の役をもらうために奴らの誘いに乗り、身体を与えることは奴らを増長させる原因しかならない。そして自らが安上がりに簡単に搾取され、馬鹿にされ続けている事に早く気付いて欲しい。もっと自分を大切にして欲しい。もしそんな状況に陥りそうな時、ワタシのおっかない顔でも思い浮かべてください。別にワタシの顔じゃなくっていいが、ソレをして本気で怒る人の顔、とっても悲しむ人の顔、あなたに対して真剣な人の顔を思い浮かべてみて欲しい。そう、一瞬でも考えることができたらあなたはソレをしないはずだ。


つい、熱くなって最後は説教めいたことを書いてしまったが、若い未成年などの被害者もいると聞き心穏やかにはいられなかった。自分はあの時十分に成人だったので、良くも悪くもあのような態度をとって、跳ね除けることができたが、未成年だったらそうはいかないだろう。目撃した時点で、あるいは気づいた時点で、大人は必ず阻止、回避できるよう立ち回らなくてはならない。組合いを起こす、契約内容など徹底させる、法的な事はきっとこれから変わっていくのだと希望を持ちたい。
言い方は間違ってるかもだけど、今回一連の件、
本当の変わるキッカケがやってきたのだと思う。長年業界に染み付いた因習みたいなもんがなくなっていけばいい。

こうして自分のような立場の俳優が発信することで、被害に遭ってる方の勇気や励ましに少しでもなれればと思う。
あんな性の悪鬼みたいな人たちだけがこの業界を作っているわけではないのだ。若くて才能溢れる人材、頼れるベテランスタッフ、たくさんいる。
自分たちが変わると決めて、映画業界がまた新しい息を吹き返すことを願い、これから自分たち世代もまだまだ映画を諦めず、俳優、スタッフ互いの尊重と尊敬、感謝を忘れずに盛り上げていきたい。

最後までお読みいただきありがとうございます。




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