「努力できるのも才能」は本当か
努力できるのも才能だよね。
自分は才能はないと思っているから自分なりに精一杯努力してきたつもり。なのに全然努力しようともしない人からそう言われたら、カチンときますよね。
努力しない言い訳にしか聞こえない。何にも苦労せず現状に至ったかのような言い方はやめてほしい。多くの人はこう思うのではないでしょうか。
努力できるというのは、努力を継続できるという意味だと私は捉えています。努力を継続するためには、明確な目標を描いている、意思が強い、考え方の軸がぶれない、辛いことがあっても簡単にへこたれない、気持ちを切り替えられるなど、さまざまな要件が挙げられます。こういうのは個人差もあり、誰しもが同じように持っているものではありません。つまり、全員が全員努力を継続できるとは言い切れず、努力を継続できない人も一定数生じます。前述した、さまざまな要件を持つ・持たないというのが才能のあるなしに言い換えられているように思います。
でも、努力を継続できない人というのはいないんじゃないかなと思います。努力にはベクトルがあるのです。ベクトルは大きさと向きを合わせ持つ概念です。つまり、努力は大きさだけでなく、その方向も重要です。例えば、英語の試験に向けて、毎日スクワットを100回やったとしても、努力の方向が違うので、成果にはあまりつながりません。努力が継続できない人というのは、その分野に対しては継続できないということであり、他の分野では継続できる可能性があります。そして、誰でも、これだったらずっとやってられるというような分野、つまり才能を発揮できる分野が必ずあると思っています。ないと思っている方はまだ見つけられていないだけです。
よく、学校や塾で、できないのは努力が足りないからだ!努力すれば誰だってできるようになるんだ!などと言う熱い先生がいらっしゃいます。私はこうは思いません。どんなに努力しても結果が報われないことは多くあります。一生懸命やっても成果が出ないことがあったとしたら、それは努力する分野かベクトルが間違っているからだと思います。何でもかんでも、自分ができないのは努力が足りないからだと追い込む、もしくは追い込ませるのは違うんじゃないかなと思います。
努力を継続できる分野があるとすれば、その分野に対しては才能を発揮できる可能性が高いです。どの分野に対して努力を継続できるかは人それぞれです。ある特定の分野に対し、努力できるのは全員ではなく、一部の人。努力できない人の立場から、その人たちを見たとき、それは「努力できるのも才能」という言葉につながります。
努力ができる、つまり努力を継続できるのは才能なんだと考え、そう言ってきた人たちに対してはイラっとしても「ケッ」って思いつつ、自分に自信を持って生きていくのが一番だなと思う今日この頃です。
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