tacica/newsongを聴く
自分を一言で表すなら
優柔不断
「選択」に自信を持てない人間である
人生の大事な瞬間はもちろん
大喜利の回答や、何を食べるか
クソリプするかどうかすら
ダラダラと迷って迷って生きている
そして大抵の選択の結果は
「後悔」に落ち着く毎日である
tacicaの曲は
自分のようなあまり強くない人
現状に疲れて、少し弱ってる人の
背中を押してくれるとは少し違う
もっと大きな世界の在り方
みたいなものを提示していて
゙また明日からがんばろう!゙
というより
゙まぁ、そういうもんが
と今日を受け入れられるように
過去に囚われるのは良くないけど
成功も、失敗も、迷いも、後悔も
毎日の積み重ねが今の自分を創っていて
どんな今日だって、どんな自分にだって
明日はやってくるものだから
どうせなら悪い昨日を思い出すより
良い明日を願っていたい
と思わせてくれる気がする
歪なメロディーで出来た
愛されるべき生き物だ
成果は上げられなくても
心が歌っているから
歪で未完成品な自分でも
褒められるようなことがなくても
生きている、それだけで偉くて
尊いことなんだと思える
どのドア ノックして開けたらいい?
開けたらどこへ向かったらいい?
1人じゃ帰れないから
誰かを待っていただけ
キミが今 一番 会いたい人は誰?
周りの目だったり「選択」の
邪魔をするノイズが多いとき
もう一度、自分に目を向けて
゙やるべぎより゙やりたい゙
を選ぼうと思える
今までの自分はこの曲を
自分が迷ったときの道標のように
思っていたが
少し聴き方が変わった
正月、もうすぐ3歳になる息子を
実家に連れて帰った
゙すぐ行ける距離だから゙
とあまり顔を出さない薄情な息子の
年に一度の親孝行である
じーちゃんばーちゃんにも
ひ孫を今年も見せてあげられた
自分が店で覚えた料理を少しだけ
手土産に持っていって
少しは成長した自分の姿も
見せてあげられたかなと思う
じーちゃんばーちゃんにとって
自分は初孫で、昔から
可愛がってもらってきた自覚がある
ばーちゃんは親よりも自分のことを
全て肯定してくれる
じーちゃんは素直じゃないから
直接、褒めたりしなくて
なんでわざわざそんなこと言うの?
って言葉を選んでくるけど
ニヤニヤしてることは
子供ながらに気づいていた
そのじーちゃんが
チンジャオロースー食べて
゙歯ざわりが良いな、うまい゙
驚いた
自分が作ったものだし
前日に作って持って帰ってきたもの
ましてや、じーちゃんは味にうるさい
正直、めっちゃウマいわけは無い
けどあのじーちゃんが率直に褒めてくれた
どうしたんだ
酔っ払ってるのか
しかもばーちゃんを
゙おい゙とがなぁ゙じゃなくて
名前で呼んでいる
あとで聞いたらもうガンが
骨にまで転移してるから
今年いっぱい生きれば
といったところらしい
これから言えなくなる言葉を
今のうちに言っておこうと
してくれてるんだな
素直じゃなかったけど
本当は言いたかったんだ
それとも無理して褒めてるのかな
わからないけど
普通に酒も飲んでるし
ぜんぜん喋れるし
あんまり実感が湧かない
僕が今 一番 会いたい人は誰?
心の中でだけ話せる人よ
数が増えていくのなら
僕は生きれない?
これからの人生
きっと出会いよりも
別れのほうが多くなる
幸いなことに身内を弔った経験が
まだ自分にはない
飼っていた猫が死んだときには
自分とは思えないぐらい
声を上げて泣き続けたのに
じーちゃんが死んじゃったら
俺は耐えられるのか
心の中でしか喋れなくなる前に
もっといっぱい喋らないと
と思った
後悔しないように
俺もじーちゃんみたいに
素直じゃないから