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脳みそ05:【番外編】RingNe 緑進の儀 設定・制作過程

この記事では、先日2024年9月22(日)に行われたImmersive Festival "RingNe"にて【企画・演出・衣装デザイン・衣装制作】を担当した"緑進の儀"について設定や制作過程を記すことで、よめ。の"ソウゾウ"する脳みその一片を覗いていただければと思う。


"RingNe"とは

​RingNe Festival(リンネフェスティバル)は、「人が植物に輪廻する世界」を描いたSF小説『RingNe』を元にその世界観をフェスティバルとして表現する試みです。今回は、200名ほどの関係者と共にイマーシブシアターを主軸とした、謎解きやライブが絡み合う野外イマーシブフェスティバルを作り上げます。

小説で描かれた2045年の世界への没入体験を誘うイマーシブエリアと、南足柄の美味しいものや多彩な文化に出会える無料参加できるフェスティバルエリアの2つのエリアから成り立ちます。

RingNe Festival 2024 公式HPより

このフェスティバルは、体験作家アメミヤユウ氏による
同名のSF小説『RingNe』がすべての源泉となっている。

3章構造となる『RingNe』。

2023∞2044
第1章 生/祝
人で在るうちを共に祝う

制作形態:Festival

 ”名もなき巨人よ、また明日。朽ちゆくヒノキも、また明日。
どれでも全部、綺麗に並べて。せめて此処まで還ってきて。
おかえり、ただいま。さよなら、ただいま”

​​森をアナロジーにしたDAO型制作体制にて、
小説に登場する植物と音楽の祝祭を南足柄市夕日の滝で開催しました。

RingNe 公式HPより

そして、今年顕現するのが第2章。

2024年4月吉日。
さわのよめ。のさわに命を受け、RingNe第2章へ参画することとなった。


ソウゾウの糸口

有志で集まったメンバーは希望や適正によって、大まかなエリアに振り分けられた。私が所属するのは、ダンサー・振付師の集まる"根の間"。

根の間の至上命題は、RingNe第2章のメインとも言える"ジュピターセレモニー"を顕現させること。

 「はい、まずはその話からいたしましょう。我々は神花こそ人類の終着点であり、人は死後、神に至るのだと考えています。ダイアンサスにおいて死とは神に成る乗り物です。ですのでそもそも死をネガティブに捉えているメンバーは少ないのですが、我々には一つ、探求したい好奇心がありました。

 それは、神花になったら我々は何を感じることができるのか、ということです。これは贅沢な欲望です。ただもし仮に、一時的に神花となり、人間の意識で植物の感覚を知覚できるのなら、生きながらにして神の感覚を感じることができるのなら! と秘密裏に開発研究をしていたのです。そしてその技術が完成しました。この技術はプラント・エミュレーション、略してPEと呼称しています。祭はその技術を使った初の人体リハーサルです。偉大な一歩を讃えるため、催したいのです」

原作小説『RingNe』第二章/在祝・#渦位瞬より

配属されたメンバー、自身のスキル、根の間の立地等々を考慮し、奥まった地形にある根の間に観客の気を誘導し、メインであるジュピターセレモニーへの気の高まりをもたらすパレード制作することとした。

スキルとしては、ディズニーランドのエンターテイナー出身であり、パレードやショーに出演していたというものだ。

まぁはじめのmtgまでなにもしないのもなんだし、とりあえず考えておくか、無しなら無しでいいしというくらいのテンションだった。こう見えて、真面目で自己肯定感は低い方なのだ。げふん。

ソウゾウの材料となるのは、原作小説のみ。

余談であるが、私以外のさわけのメンバーはAIのようにまるごとデータを取り込める優秀な脳みそをお持ちである。
夫であるさわくんは文字情報をそのまま保存・出力できるし、我が子のひなたは動画情報をそのまま保存・出力できる。

そして、わたしの脳みそはというと…
本を読んでも、何か観劇しても、そのとき感じた感情や感覚の【色や触感】しかデータとして保存してくださらない。

いやいや、使いづらいて。

「あぁあれですよね、ピンクと赤がぐわぁぁぁぁでしたわ」
「あの本は、あぁ深緑のふかふかじっとりです」

会話にならんわ。

とはいえ、このCPUしか搭載しておりませんゆえ、こちらで頑張ります。

色と触感の海をぐわぁって漂って、手繰り寄せていくとふわぁ〜って見えてくるんですね、こんな感じに。

参進の儀(現緑進の儀)原案 - 壱 -
参進の儀(現緑進の儀)原案 - 弐 -
参進の儀(現緑進の儀)原案 - 参 -
参進の儀(現緑進の儀)原案 - 肆 -
参進の儀(現緑進の儀)原案 - 伍 -
参進の儀(現緑進の儀)原案 - 陸 -

現行のものと変わっているところもありつつ、おおむね初めに見えていた景色と同じものを作ったようですね。自分でも6ヶ月前ともなると他人ですもんね。へぇ、こんなこと考えてたんだ。

じゃあ、あとはこの資料読んでみてね。

で、終わりにしたいところですがそんなことをしたらさわくんがおこになるだろうし、いつかよめ。ちゃんが本にでもなったときのネタとして一応解説しておきましょう。そうしましょう。


根の国の使者

 かかるほどに、宵うち過ぎて、子の時ばかりに、家のあたり、昼の明かさにも過ぎて光りたり。望月 の明かさを十合はせたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人、雲に乗りて下り来て、土より五尺ばかり上がりたるほどに立ち連ねたり。内外なる人の心ども、物に襲はるるやうにて、あひ戦はむ心もなかりけり。からうじて思ひ起こして、弓矢をとりたてむとすれども、手に力もなくなりて、萎えかかりたり。中に、心さかしき者、念じて射むとすれども、ほかざまへ行きければ、あひも戦はで、心地、ただしれにしれてまもりあへり。

 立てる人どもは、装束の清らなること物にも似ず。飛ぶ車一つ具したり。羅蓋さしたり。その中に、王とおぼしき人、家に、「造麻呂、まうで来」と言ふに、猛く思ひつる造麻呂も、物に酔ひたる心地して、うつ伏しに伏せり。いはく、「汝、幼き人。いささかなる功徳を、翁作りけるによりて、汝が助けにとて、片時のほどとて下ししを、そこらの年ごろ、そこらの黄金賜ひて、身を変へたるがごとなりにたり。かぐや姫は、罪を作りたまへりければ、かく賤しきおのれがもとに、しばしおはしつるなり。罪の限り果てぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き嘆く、あたはぬことなり。はや返したてまつれ」と言ふ。翁答へて申す、「かぐや姫を養ひたてまつること二十余年になりぬ。『片時』とのたまふに、あやしくなりはべりぬ。また異所にかぐや姫と申す人ぞおはしますらむ。」と言ふ。

『竹取物語』より

この世のものとは思えぬ美しき根の国の使者。
その姿をまなこに移せば、夢現。
全ての思考に霧をかけ、人の生き死にさえもなんともたわいのないことよ。

悲しみも、苦しみも、愛も、幸せも全てを飲み込む。
柔らかく、優しく、そして鋭く最期の時を知らせる。

これが私が見、皆と顕現させたパレードのイメージだ。

ここで、「あぁ、私はソウゾウしていなかったのだ」と今気づく。
我々にはこんな歴史があり、こんな文脈で、こういうことを考えているのだとなにものかが語りかけてくる。ここから伝聞形式になるが、そういうことなのだと思っていただきたい。

「植物信仰が根付くある地方都市に、脈々と受け継がれていたものの、村民の減少により消滅してしまった儀式。その儀式を発掘し、復活させることによって、歴史的権威を自らの団体儀式に付与しようとしたものだと考えられる。」

この参進の儀は、そもそもどこかの山奥で脈々と受け継がれてきた歴史ある儀式だったのか。それをダイアンサスが発掘、復活させたと。ダイアンサスにとっても、一大プロジェクトだったのであろう。

さて、あらかたのイメージを掴んだら、細部にフォーカスを合わせる。
誰がいる…あぁ老婆、否老婆のような幼子がみえる。
あぁ、この隊列は輪廻を表現しているのか、とここで気づく。


露払 -tuyuharai-

露払(ツユハライ)

隊列を先導するは、露払。

根の国の使者や神花人(シンカビト)を円滑に送り届け、様々なお手伝いを任されている。神に仕える天使同様、幼く清らかなものたち。

本番では、双葉のように二名の露払が根の国の使者たちの道をつくり、根の国の衣を神花人に献上するお手伝いをする姿を見ることができ、まさに天使のようであった。


嬰児 -midorigo-

嬰児(ミドリゴ)

参進の儀において象徴的なキャラクターである"嬰児"。

ダイアンサスの人々にとって最も神=神花(シンカ)に近い存在とは、死に近しいものである。

人の生において死に最も近いもの=老人
植物生において生に最も近いもの=子葉、新芽

死と生のあわい

それを体現するために、老人の格好をした子供が演じてきた。

祇園祭で神輿を先頭する「久世駒形稚児」にも影響を受けているとも考えられているという。

老人を表現するためか、顔は真っ白く伸びた髭を模したもので覆われている。

初期設定では神楽鈴のようなものを手にしていたが、最終的にはダイアンサスのアジトに浮かぶ人工太陽を模した飾りを手にしている。

生と死、老と若、淡く鋭い…全てを飲み込むみ、溶け合わせる儀式の象徴にふさわしい愛すべき役だ。

元となった地方都市での儀式では、代々嬰児の役を演じる由緒正しき家柄があり、その中でも特に精神性の高いとされるものが選ばれこの大役に任命されていたという。この隊列の最後尾に控える落花媼(ラッカノオウナ)とも関係があるが、該当の章で説明する。


打子 -uchiko-

打子(ウチコ)

嬰児が新芽であるとするならば、打子はぐんぐんと葉や枝を伸ばしている若木といえるであろう。嬰児を守り、これから神花となる神花人がお通りになる道を清めていく。

手には、根の国における錫杖・神楽鈴を持っている。

神花の忠実な僕であり、猛々しく雄々しい姿である。


咲撓女 -syoudoume-

咲撓女(ショウドウメ)

この隊列においても、人の生においても、植物の生においてもまさに花形である"咲撓女"。

「咲き撓る女」という名前からも分かる通り、結婚適齢期といわれるものたちが演じていたとされる。(現在の価値観では、よろしくない表現が続くが、架空のある地方都市の大昔の習わしであったためご容赦いただきたい。)

村におけるお見合い、品定め的な役割も持ち「あの咲撓女はいい、ぜひうちの嫁に」という会話があったとかないとか。他の村からも咲撓女たちの舞を目的におとづれる若人も少なからずいたとか。

天女の羽衣のような美しく儚い衣を身に纏い、植物の花同様、芳しい香りを放ち、誘い惑わす。

小さい頃から咲撓女に憧れ、露払から入り咲撓女を目指す少女たちも少なからずいたという。


落花媼 -rakkanoouna-

落花媼(ラッカノオウナ)(通称:締切婆)

「悪いことすると、締切婆(シメキリババア)がくるぞ」

村に住むものたちは、必ず一度は爺様や婆様に言われたことがあるであろう。秋田のなまはげのように、子供たちにとって畏怖の対象であった。

大きな頭巾が顔を隠し、太く大きな綱を持ち、ずるずると衣を引き摺り歩く姿は、子供ならずとも異様で忌み恐れていたと考えられる。

嬰児の章で触れたように、嬰児と落花媼は深い関係がある。
由緒正しき家柄から選出された嬰児。この嬰児を演じたものが老齢に達した時、"落花媼"(通称:締切婆)を演じる習わしであった。

最も神花に近いものとして尊ばれ、打子と呼ばれる護衛や露払と呼ばれる先導が付いていた清らかなる存在の嬰児は、一生を経る最後には忌み恐れられる存在である締切婆となる。そして、輪廻転生し、また嬰児としての役を全うすることとなると考えられていた。


すべては、はなのまにまに

以上が、緑進の儀の設定情報である。

このイメージを皆が受け取り、振付・演出・音楽・祝詞・わらべ歌・映像etc.に拡がり、メインとなるジュピターセレモニーへバトンが渡せたことに心の底より感謝する。

さて、このイメージの状態から衣装という物体に変換しなければならない。衣装の意図や細部、制作過程等を次の記事でまとめようと思う。

背景を知った今、あなたも2045年に生きるひとびとの感覚に近づけていることだろう。あなたの目映るこの儀式が、この記事を読む前と後で変化があることを祈る。

最期に、本番では荒天により泣く泣くキャンセルとした舞の曲にも使用されていたわらべ歌の歌詞と共に、緑進の儀のティザー映像を置いておく。

「いってらっしゃい」

ひふみ ひふみ ひふみてめでよ
はなき くさちがや つるあしさかき
めでよ めでよ あまねをめでよ
ひふみ かぞえむ このみちは
あっちも こっちも はなのまにまに

ひふみ ひふみ ひふみてかえせ
ゆくさき さきざき はなざきとうげ
かえせ かえせ あまねをかえせ
ひふみ かぞえむ このみちは
ゆくも かえるも はなのまにまに

ダイアンサスわらべ歌『はなのまにまに』/ 成田凛作



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