コーヒー豆はなぜ蒸らすのか
たまには人様の役に立つ話をしようと思う。
コーヒーをハンドドリップする際、よく、お湯を粉に注いだら30秒ほど放置して蒸らせと言われると思う。
あれは何のためなのか。
またその際、ハンバーグのように粉から泡が出てぷくーっと膨れるが、あの泡が膨れれば膨れるほど品質がいいとも聞いたことがある。
本当か。また、あの膨れているのは何なのか。
そんな話が役に立つのかと言われると困るが、まあいいじゃありませんか。
結論から言うと、あの「膨れているもの」は、炭酸ガスである。
焙煎されたコーヒー豆は、炭酸ガスを含む。その状態でお湯をかけても、ガスが膜のようになって粉を包み、お湯と粉がしっかり触れ合わない。
するとまともな抽出ができない。
この炭酸ガスは、粉にお湯をかけると抜けていく。
だから一気にお湯を注いでしまうのではなく、第一陣のお湯でガスを抜く。これで第二陣以降、粉からお湯に成分が程よく溶け出す。
あの「蒸らし」はこのためにある。
なお蒸らしの時間を長くすればするほどガスは抜けるが、完全に抜いた方がいいかというとそうでもない。
不要な(嫌な)苦みやえぐみを抽出し過ぎないために、概ね30秒程度が適当ということだ。
それと、「膨れれば膨れるほど品質がいい豆」というのは、外れではないが当たってもいない。
なぜかというと、あの炭酸ガスの量で分かるのは、「豆の新鮮さ(焙煎してからの時間)」だけだからだ。
ほっといても段々、焙煎豆のガスは抜けていく。
このガスは粉の品質を膜(またか)のようになって守ってくれているので、ガスが抜けてしまえばしまうほど焙煎豆は劣化していく。
ガスが大量に出るということは、豆が焙煎したてということだ。
じゃあ品質がいいんじゃないかということになるのだが、ここではあくまで「新鮮さ」しか分からない。
どういうことかというと、コーヒーというのは、基本的に、品質の担保において、不可逆的なのである。
ざっくり、飲まれるまでの豆の過程を「生産→流通(輸送)→焙煎→挽く→抽出」としよう。
この流れの上流での失敗は、原則下流では取り返せない。
焙煎の失敗は抽出ではカバーできないし、輸送方法がまずければ焙煎をいくら頑張ってもおいしく入れられない。
エスプレッソ用に挽いた豆では、おいしくアメリカンに入れるのは難しい。
つまり、ガスの量は「新鮮さ」以外の要素を証明してくれないのだ。
その一杯が最終的においしく入ったかどうかは、上記の各過程を問題なく通ってきたかによる。
…どうでしょう。お役に立ちますでしょうか。
ついでに、ドリップの際の泡の色について。
最初は茶色かった泡は、抽出を続けるとやがて白っぽくなっていく。
そこまで抽出しきればおいしく入るのかというと、これもそうとは限らない。
泡が白いということは、もうフィルタ上の粉には抽出可能な成分がほぼ残っていないということだ。
すると、上で書いた不要な(嫌な)苦みやえぐみも抽出されてしまっている。
実はあの泡、以前はよく「アク」だと言われていた。それも分かる話で、あの泡だけをスプーンですくって舐めてみると、
「これがコーヒーの嫌なところです」
と言わんばかりの、飲み下すのが苦痛なほどの嫌な味がする。
しかし、あの泡は炭酸ガスだ。味も匂いもあるはずがない。
それがなぜこんなことになるのかと言えば、あの泡、「嫌な雑味の吸着力」にひどく優れているのである。
コーヒーの嫌な味は、お湯で浮かされたあの炭酸ガスの泡が、端から吸いつけてくれる。
よく「コーヒーをドリップするときは、完全にお湯が落ち切らないうちにお湯を足せ」と言われる。これがその理由だ。
あの泡まで全てカップに落ちてしまうと、せっかく吸着した雑味がカップに混入されることになる。だからお湯を足して、再度フィルタの中で浮き上がらせるのである。
ただしここで厄介なのが、そうしたえぐみや雑味も、コーヒーの妙味として愛好している人も少なからずいることだ。
多くの場合は済み切ったクリアな味が好まれる一方で、全てを出し切った濃厚な一杯が好きだという人もいる。
自分の好みは、入れ続けて計るしかない。
コーヒーブックに書いているのは違うやり方で入れたのにおいしかった、なんてことはざらにある。
というわけで、あの蒸らしにはちゃんと意味があるので、楽しんで抽出しましょう。
なおここに書いていることは、私がこれまでに見聞きしたことのまとめなので、本当は全然違うかもしれません。
古くは天動説もあったことだし、お許しください。
終