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浅野りん先生の漫画作品の個人的な思い出 ~笑ってるのはお前だ東山~

 私は、「昔から好きだった作家さん等を、SNSでお見かけしてもあんまりフォローしない派」だったりする。
 特に確固たる信念があってというわけではないのだけれど、特に作家さんの日常が覗きたいわけでもないし、作品外での発言を聞きたいわけでもない…というだけでして。
 それが先日、浅野りん先生という漫画家様をフォローさせていただいた。
 今回は、その浅野りん先生の作品についての個人的な思い出である。
(※私は先生とはお知り合いでも何でもない、ただの読者Aであります)

<”ちょーこ”との出会い>


 私が高校生の時、クラスにあまり親しい友達というのはいなかった。
 それがたまたま、テーブルトークRPG研究会という同好会の立ち上げに参画し、私にも多少は友人と呼べる人たちができた。
 私はいかにもオタクらしい外見をしているが、この時はアニメはほとんど見ていなかったし、漫画もジャンプの有名作品くらいしか読んでいない、オタク劣等生である。
 そんな私に、上記の会のメンバーの一人が、一冊の漫画を紹介してくれた。
この中に、クナリそっくりのキャラがいるぜ」――と言って。
 それが浅野りん先生の、『CHOKO ビースト!!』であった。

 少しあらすじを。
 蝶子という幼い和装(巫女衣装)の少女は、信州の山中で天狗に育てられていた。
 「住職」なる年かさの天狗と、双子の若者の天狗、羽鳥と飛鳥など。親はおらずとも彼らのもとで天真爛漫(過ぎる)に暮らしていたが、ある日人間の中学生、弥栄京太(やさかけいた)の家に住むことになる。
 京太はいきなり蝶子を押し付けられて反発するも、羽鳥から蝶子がみなしごであることを聞いて「そっか、こいつ親いねーんだ…」と自分の家で一緒に暮らすことを了承する。
 なお京太の親は大喜びで蝶子を迎え入れるので心配ない。
 しかし蝶子はその身から「精神獣『ガァ』」なる超常の存在を呼び出すことができる(というかまま暴走する)ため、京太の周りは大騒ぎが絶えないのだった…
 という、キャラクタの魅力あふれる日常(?)コメディである。

 なお、この「クナリそっくり」というのがどんなキャラかというと、「東山 檀(まゆみ)」という男子中学生である。
 彼は黒髪で大人しそうな顔立ちなのだけど、クナリが似ているというのは中身の話であった。
 煩雑になるので、詳細はぜひコミックスを読んでいただきたいが、初登場時のセリフだけ引用させていただく。

(『CHOKOビースト!!』1巻第2話より)
檀「(初対面の京太とすれ違い様に少しぶつかった後、京太を呼び止めて)
すいませんすいませんッ悪気はなかったんです!
…ハッ! 『こうやって下手に出て、自分は悪くないって主張してーんだなこの野郎』って思ってるでしょう…(戸惑う京太に)思ってるでしょうッ!!
いいえ何も言わないでください、全て分かってますからッ。
(頭を抱えて)ハハハ…なぜいつもこうなんだ…檀…俺は素直に行動してるだけなのに誤解されていく…
ああっやめてくれッ。そんな憐れんだ目で俺を見るなッ!(憐みとは違う視線の京太)
どうせ俺なんか…弱いカゲロウのような人間だよ…
人間世界の屑なのさッ……(スポットライト調)」

 今手元に単行本がないので細部は違うかもしれないけども、余裕でこれくらいは思い出せる。
 この檀くんと私のどこが似ているのかは余人の判断を待つほかないが、とりあえず似ているらしい。
 なお、ピンとこない方は、現在連載中の浅野りん先生作品『であいもん』の雅(ただし)くんをかなり斜め上にジャンプアップさせた感じだと思っていただければ近いかもしれない。
 ちなみに私は檀くん激ラブである。

<”ちょーこ”の魅力>


 それはそれとして、このCHOKOビースト!!は面白かった。
 登場人物が個性的で、生き生きとしていて、友達になりたいようなそうでもないような、読んでいてとてもわくわくする作品だ。
 最初はややうっとうしがっている京太が、少しずつ成長していく蝶子への思いやりを強めていく様子は、今読んでも微笑ましさについニヤけてしまう。


 また、とにかく絵が上手い。
 浅野先生は写実的な画風ではなく、ほどよくデフォルメされた絵柄なのだが、キャラが走っている時は本当に走っていて、会話している時は本当にしゃべっている。
 意味がよく分からないという方は、ぜひ先生の作品をどれでもいいので2・3ページでもめくってみて欲しい。私の言わんとするところが伝わるだろう。
 これは最新作の『であいもん』でもそうなのだが、この初連載作品、いや、その前の読み切り『ビースト&ビースト』から、いやさらにその前からそうだった(後から追っかけて知ったのですけども)。
 画風というのは本当に作家様によって様々で、「走っているシーンだけど、なぜか止まって見える」とかその逆とか、絵には無数の個性が表れる。
 コマの中を所狭しと動き回る、活発な登場人物たちをぜひ見てみて欲しい。

<ちょーこの思い出(読んでる時)>


 前置きが(かなり)長くなった。
 ここから私と本作との思い出について、書かせていただく。

 上記のようなきっかけで『ちょーこ』を読み出した私だが、当時私は、「漫画を雑誌で読む」という習慣がなかった。
 完全なるコミックス派で、書店に新刊が並んで初めて発売を知るという読み方をしていた。
 そこからネットで追いかけたり、同人誌を漁るようなこともなく、「漫画本だけで完結」というのが私の漫画の読み方だった。


 『ちょーこ』についても、掲載誌すら知らなかった。この辺は、私の場合友達が少ないせいで「今月の○○見た?」みたいな会話が絶無だったせいもあるかもしれない。
 さて、『CHOKOビースト!!』は全4巻である。
 コミックスでしか読んでいない私は、当然雑誌の方ではとうに完結していることも、それが4巻で終了することも知らない。
 書店には4巻までしか置いていないが、単にそこまでが既刊なのであり、いずれ5巻が出るのだろうと思っていた。
 これは、あの世界観に触れると分かるのだが、「きっとこの漫画は、永遠に続いていくのだろう」と思わせるような、不思議な日常感が本作には満ちている(これはその後に連載された『PON!とキマイラ』でも同じ)。
 リアル生活でちょっとその辺の街角を曲がれば、今にも蝶子や京太が(ボヤキながら)現れそうだし、ふと空を見上げれば飛鳥と羽鳥が屋根や電信柱に腰掛けていそうだ。この作品は、私たちと生活を共有する
 なもんだから、4巻の最後の方を読んでいて、「アレ?」と思った。
…えらく盛り上がっているな…? まるで…最終回のように…?
 最後の数ページは、先を知りたいと思いながらも、指がうまく動かなかった。特に最後の1ページをめくる段に至っては、
「これ、終わろうとしてるよなあ…重要っぽい話もさらりと出てるし…でも、読み終わらなければ永遠に続くってことでいいんじゃないかなあ…ヘヘヘ…
と頭の弱い感じで思ったりもした。
 まあそれはそれとして、本作の最終巻では、クライマックスである人物が
「(家に)一緒に帰るんだッ!!
と叫ぶ。
 ネタバレ防止のために詳述はしないが、かなり印象的なシーンなので、今でも好きな方も多いと思う。私もこれを読んで、
「一緒に帰るって、なんかイイなあ…」
という気持ちになった。

<ちょーこの思い出(完結後)>


 そんな私もやがて大学生になった。
 後輩もできた。
 後輩の一人に、
「この『CHOKOビースト!!』っていう漫画に、私とめっちゃ似てるって言われたキャラが出てくるんだけど、誰だか分かる?」
と1巻を読んでもらったところ、第2話を数ページめくった途端に檀くんを指し、
コレですよね…? まんまじゃないですか…
と秒殺された。
 せっかくなので、再度別シーン(割と先述のシーンの直後)の檀くんのセリフを引用させていただく。

 檀が京太と同じクラスに転入してきた。檀は、「天使の君」とあだ名をつけた京太に教室内で手を振る。
 クラスメイトが「京太が? 天使?」と怪訝そうにするので、京太は「そんな大騒ぎするアレでも…」と大袈裟な檀をいさめる。
檀「そっか…ごめんよ俺としたことが…」
京太「ホッ」
檀「俺なんかが知り合いだなんて分かったら、周りから何言われるか分かんないもんなア…(泣いてる)」
京太「だからなぜそーなるッ!?」
檀「いいんだよ、そんなことで君を責めたりしないさ…そんな資格俺にはないッ。そうだよ檀、君を受け止めてくれる人物が少ないってのは分かってたじゃないかッハハハ!!

私、この子のまんまか?

<変わるかたちと、そこにあったもの>


 このように若干の布教などもしつつ、私の人生にある転換期が訪れた。
 大学の在学中に、数年間入退院を繰り返していた母が他界したのである。
 我が家の家族構成は、父、母、姉、私、妹の五人。
 思春期を迎える頃から姉妹は父との確執が増え、あまり家に帰らなくなった。
 私は大学生になったら一人暮らしがしたかったのだが、私まで家を出ると家事と母の面倒を見る人間がいなくなる(「あれ? お父さんは?」と突っ込んではいけない)ため、家に残っていた。
 母がいなくなれば、もう家族のかすがいがなくなったのは明白だった。
 もう姉妹は家に寄りつかないだろうし、父とそれなりに仲のいい私だってじきに社会人になればさすがに家を出ていく。
 寂しくはあったが、そんなものかも知れないと思った。
 実父といえど顔も合わせたくないと思っている相手に、無理につきあう姉妹でもない。
 世の風潮も、「無理して『家族』を保つ必要はない。どんどんバラバラになっていいし、それが現代のあるべき姿なのだ」という気風が強まって来ていた。
 人生の一時期を共にしたけれど、これからは戸籍上のつながりだけで、私の家族はバラバラに生きていくのだろうな。そう思った。

 母親の葬儀が終わった後、「家族」で二十年近く過ごした家の部屋に一人で戻り、本棚を眺めた。
 何冊もの漫画本の背表紙を見て、ぼうっとしていた。
人生の大事なシーンには、必ずそこに寄り添う音楽がある」というコピーを聞いたことがある。
 私にとっては、それは漫画だな、と思った。数は多くないけれど、半生の中のどんなイベントにも、その時読んでいた漫画があった。
 ふと、『CHOKOビースト!!』が目に留まった。同時に、あのシーンが頭に蘇った。

一緒に帰るんだッ!!

 今ここで、家族の結い合わせを手放してしまうのは簡単だ。何もせず、各々の気分任せで放っておけばいい。
 私にもいずれ、共に暮らす誰かが他に現れ、生活を分かち合うかもしれない。
 その「新しい家族」だけを大切にして生きるのもいいだろう。
 しかし。

 衣食住を世話になり、同じ屋根の下で生活して、人生の最も多感な時期を一緒に過ごした人たちと、(たとえ生家ではなくても)同じ場所に帰るということはもうないんだ
 幼い頃から同じ時間を積み重ねてきた、「最初の家族」。あれはもう、二度と手に入らないんだ。

 そう思うとやけに寂しい気がした。
 私の家族は、激しく憎みあっていたわけではない。まあ、たまにはそういう時期もあり、警察様の出動に至ったこともあった気がするが、家族ならそういうこともあるだろう(そうか?)。
 少なくともこの時は、「お互いに放っておいて欲しい」程度の状態で、「できればこの世から消えて欲しい」ではなかった
 なら、もう少し粘ってみようか。そう思えた。
 幸い私は、父とも、姉とも、妹とも仲が良かったし、祖母や従兄弟などの親族とも定期的な交流があった。
 というか私以外の家族は、親族とはほとんど顔を合わせなくなっていたので、多分周囲からいい顔をされていなかっただろう。

<その後、今まで>


 私はそれ以降、社会人になって住む地方が離れても、残った家族三人と、必ずお盆とお正月には顔を合わせるようにした。
 三人とも見事に住む場所がバラバラだったので、結構な強行軍で三ヶ所(といっても千葉、東京、神奈川などだが)を数時間ずつで周り、聞かれても聞かれなくても家族メンバーのニュースなどをそれぞれに伝えた。
 姉が「もう妹とは会わない」とか、妹が「もうお姉ちゃんとは絶交した」とか、父の「もうお前らは他人や(大阪人)」とか、叔母の「あなたの父さんはほんまにろくでもないわ(大阪人2。いや、あなたの実兄なのですが…)」とか、何度聞いたか分からない。
 ていうかあまりにも皆気軽に絶交した絶交した言うので、うちの家族は「絶交した(完了形)」のハードルが低すぎるのではないかという気もした。

 そんな紆余曲折も経たものの、令和2年の今のところは姉と妹はそれなりに仲良く、共に一児の母として騒がしく暮らしている。
 父は姉とは本当に絶縁してしまい、姉と姉の子も父を蛇蝎のごとく嫌っているが、まあそれなら無理して復縁することもないだろう。
 私と妹はお盆とお正月には父の家へ行き、歳を経るごとに変わり者ぶりに拍車をかける父に、適当なツッコミを入れながら過ごす。

 この形が「正解」なのかどうかは分からないけれど、まあそれなりに楽しくはあるので、間違いではないのだろう、きっと。
 実質的な一家離散よりは、過去を思い出す度暗澹としなくて済む分、心身への負担も軽いだろうと思われる。
 一時期、父と二人暮らし状態になった時は、父の相手をするのが本当にキツかった。
でも、別に父が嫌いってわけじゃないんだよなあ…世話になってるしなあ…」と何となく耐えているうちに何となく事態が好転したのは、幸運だっただろう。
 今でも姉妹からは、「あの時、クナリが父との二人暮らしに耐えて縁をつないでくれたから今がある」などと言われる。
 いや、君たちが帰って来ても良かったんやで!? 放蕩娘ども!

 私は今も、父や姉妹のところへ帰省がてら顔を出すと、近所のスーパーで買い物などして、彼らの家に「一緒に帰る」ことができている。
 子供の頃の思い出話を、一から説明するまでもなく、「あの時はああだったね」と共有した思い出を語ることができる。

 私は何も大袈裟に、「『ちょーこ』があったから家族がバラバラにならずに済んだ!!」とぶち上げたいわけではない。
 ただ、上述したように、音楽が好きな人にとって歌がそうであるように、私にとっては『ちょーこ』が人生の一時期、確かに手を取り合ってくれた友だったのだ
 だから、浅野りん先生は私にとって特別な作家様なのである。

 母の墓は、青山霊園にある。
 最後まで自分がいなくなった後の家族仲を心配していた母が、今の私たちをどう思っているかは分からない。
 しかし「まあ、こんなもんじゃないの」と呆れながら見守ってくれているような気もする。

 無骨な直方体の母の墓石に水をかけ、ひょいと裏を覗いてみる。


 私は今も、京太や蝶子が生きているのと同じ世界を生きている。

だから、「けーたッ」「ちょーこォッ!」と呼び合いながら歩く二人の友人の脇で、僭越ながら、私の母も笑っている。

追伸:
思い入れのためにいきおい『CHOKOビースト!!』の話に終始しましたが、浅野りん先生の作品は短編集2冊のほか、連載作品として『PON!とキマイラ』『パンゲア(エゼル)』『京洛れぎおん』『天外レトロジカル』『であいもん(現在連載中!)』など、魅力的な作品が多くあります!
なお私はネットや雑誌を追いかける習慣が全然なかったため、追い切れてない作品が結構あることに、今回の記事を書くにあたってウィキ見て気付きました!(お前…)
知らない単行本がある!! エニックスのお家騒動って何!? とか、今更言ってます!
今回えらい長くなったごめん!!
京都のであいのもんと言えば、ハモとビールです!
『であいもん』の更なる発展を祈って、乾杯!
そこは和菓子じゃないのか!! すみません!!

では、走りの『菜の花』の練り切りでもおひとつ。

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