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【帝都怪奇浪漫画報】4話更新のお知らせ
明治時代文豪×オカルトのオリジナルノベルシリーズ『帝都怪奇浪漫画報』の本編第3話を更新しました。
例の如く、どちらも更新内容は同じです。お好きな方でお読みください。
NOVEL DAYSの方は、登場人物紹介ページに人気投票的なのがついているので、お好きなキャラに投票してくださればキャラ人気の参考にいたします~。
キャラデザ担当の紅月美邑さんのスペースに『帝都怪奇浪漫画報』の栞セットを作ってくださいまして、現在美邑さんのBOOTHで予約可能となっています。セリフ部分は私が考案させていただきました。スタイリッシュデザインで、使ってよし、飾ってよしです!よろしくお願いします!!(`・ω・´)
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帝都怪奇浪漫画報特設サイトの閑話休題のコンテンツは、イベントでのポストカード配布から原則1ヵ月後の公開となります。8月25日のイベント配布分のSSは9月25日に公開予定です。
通販の『帝都怪奇浪漫画報 準備号』のコピー本版にも、このSSが読めるQRコード付きポストカードはノベルティとしてつきます。電子版にはつきません。
SS公開後もポストカードは原則として、イベント頒布、余ったら通販での先着順になりますのでその点ご了承ください!
というわけで、どうぞ特設サイトの方もぜひご覧ください~。(コピー本版準備号のリンクもこちら)
イラスト担当の紅月美邑さんへのお問い合わせは、以下からお願いいたします。
【紅月美邑様ご依頼先】>note
twitter:@nnjmmr_info
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連絡先 :70nnj.mmr★gmail.com(★→@)
では、ここからが恒例の創作裏話タイムです。
といっても、今回は連載中の話とはあんまり関係ありません。
先日、8月30日は国木田独歩の誕生日でした。生誕148周年です。2年後とか150周年だから、記念館は何かやるのかな。記念館、大分の佐伯なのでだいぶ遠いんですけど……(それでも北に住んでた時より距離が半分になったので、ワンチャンある気がする)
大分の佐伯、10か月くらいしか住んでなかったのに(しかも文豪になる前の教師時代に住んでたのに)記念館として残ってるのすごいよね!
※ただ、佐伯市にすんでいた頃の経験をモチーフにした作品は多いので、別に文豪としての独歩と無関係なわけではありません。
国木田独歩の生い立ちには諸説があり、友人であり同じ自然主義の代表作家である田山花袋や島崎藤村と同じ年(数え歳でなので確か学年的には1つか2つ上)です。
しかし、本当は2歳くらい年上だった説もあります。
というのも、独歩の父親は船が難破した関係で銚子に滞在した際に、独歩の母親と出会い、彼女と結ばれます。が、郷里に妻子があったため、一度銚子を離れています。独歩はその後に生まれたので、生まれてから数年を母の私生児として過ごしています。
独歩の母親は、前夫がいた(死別とも荒くれ者だったので離縁したとも言われていますが)ので、そちらの夫との子供であって、父親とは実は血が繋がっていないのではないか、と言われているわけですね。
独歩は3歳児のころには、もう木登りをするくらいやんちゃだったそうで、「いくらなんでも3歳児に木登りはできるのか?」という点も独歩の生年があやふやな理由のひとつのようです。
余談ですが、独歩は幼名を「亀吉」といい、小柄でケンカが弱いのに向こう気が強くて、ケンカに勝つために爪をのばして、ピンチになったら爪で引っ掻いて攻撃するという小賢しい戦略を練る子供だったそうで、幼少期のあだなは「ガリ亀」だそうです。ガリカメくん……。
戦災で独歩に関する資料の多くは焼けてしまったようで、奥様にも真相はわからなかったのだとか。
ちなみに独歩自身もこの点には自分でもある程度の疑いをもっていたようで、欺かざるの記で自分の生まれの日を違う日付で書いていたり(とはいっても、この頃の日本は誕生日を祝う風習がないので、何となく8月の末頃、というざっくりとした感覚で書いた可能性もありますが)、自分の出生秘密に懊悩する主人公の短編「運命論者」を残したりしています。
ただ、父親が銚子に滞在していた時期と、独歩が生まれたとされる生年月日に矛盾はなく、現在では父親である国木田専八の実子であるという説が有力なようです。
父親は妻子とは離縁して、独歩の母と再婚しています。言ってしまえば、妻子を捨てて独歩と彼の母を迎えにいったわけですので、当時の世情を考えても実子説の方が強そうな気がしますね。
そうやって考えると、実は信子さんと似た経歴を持っているんですよね、独歩さん。信子さんに惹かれたのは、そういった面もあったのかもしれません。
また、生まれの複雑さに反して国木田家は大変に家庭円満だったようで、独歩は父親のことは亡くなるまで世話をしています。特に弟の収二との仲の良さは教師に赴任した佐伯にも一緒に行ったほどでした。ちなみに、花袋が『東京の三十年』で語る渋谷の丘の上の家にいた弟「北斗君」も収二のことです。本当に結婚するまで一緒にいるし、離婚したあともしばらく一緒に住んでた。
佐伯にいた頃、何かにつけて兄弟一緒に行動するので「おみきすず(2つセットの酒杯)」と呼ばれていたそうです。最初に滞在していた旅館が大雨で洪水の被害にあった時、ちょうど独歩は熱をだして寝込んでいて、弟の収二くんが独歩を背負って避難したこともあったとか。そうやって転居した先が、現在の国木田独歩館です。