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【帝都怪奇浪漫画報】5話更新のお知らせ

明治時代文豪×オカルトのオリジナルノベルシリーズ『帝都怪奇浪漫画報』の本編第5話を更新しました。

>>NOVEL DAYS 『帝都怪奇浪漫画報』

>>カクヨム『帝都怪奇浪漫画報』

>>Pixiv文芸『帝都怪奇浪漫画報』シリーズ一覧

例の如く、どれも更新内容は同じです。お好きな方でお読みください。ピクシブ文芸でも掲載をはじめましたので、二次創作界隈で間接的に国木田独歩を知ったという方にも読んでもらえるといいな~とか思ったりなど。

NOVEL DAYSの方は、登場人物紹介ページに人気投票的なのがついているので、お好きなキャラに投票してくださればキャラ人気の参考にいたします~。

ちなみに第一部の『死告げ鳥のグリンプス篇』は、全7~8話で終わる予定でして、11月の文学フリマ東京及びCOMITIAにて1巻頒布予定でございます。

その他、1月の文学フリマ京都でも頒布予定があります。

近くなりましたら諸々お知らせいたします。一応こちらの更新報告でもこまめに更新はしていきますが、基本最新情報は特設サイトに記載されておりますので、どうぞ特設サイトの方もぜひご覧ください~。

>>「帝都怪奇浪漫画報」特設サイト

イラスト担当の紅月美邑さんへのお問い合わせは、以下からお願いいたします。

【紅月美邑様ご依頼先】>note
twitter:@nnjmmr_info
サイト :http://70nnj.rash.jp/nnjmmr/
連絡先 :70nnj.mmr★gmail.com(★→@)


で、ここからが毎度の恒例、史実ネタ語りタイムです。


今回、明治神宮の話がちらりと出てきたりしますが、本来、明治時代には明治神宮は存在しません。

というのも、明治神宮は明治天皇が崩御された後に建立されたからです。明治天皇を祀る神社だから明治神宮なわけですしね。

ただ、『帝都怪奇浪漫画報』の世界観の中では、独歩が話題にしている通り、あくまで「霊穴を原因とする怪奇現象の調伏と民間からの隔離」を目的に作られたことになっています。この辺はおいおい作品中で語っていけたらなー、と思います。

澁谷はそのまんま、渋谷です。澁谷と書いた方が明治っぽい&オカルトっぽいという理由でこちらを採用。一応、所在がはっきりとしている場所に関しては、なるべく明治時代当時の呼び名&地名を採用しています。

佐々城家が品川町にあったか、外見が洋館だったかについては確定ではないのですが、佐々城家当主の本支は晩年、品川町の町医者であったそうなので、品川でほぼ間違いないのでは……と。

洋館にしたのは、キリスト教の家である点と、キリスト教関係者や軍関係者を招いたパーティーなどを行っている(独歩と信子は軍関係者を招いたパーティーで出会って恋に落ちた)という点から、恐らく洋風の家であったのではないかと。

といっても、当時は洋風でも和洋折衷の間取りが基本だったそうなので、完全な洋館はいわゆる異人館(外国人滞在者用の邸宅)以外にはあまりなかったそうです。そして、関東大震災と東京大空襲でおおむね焼け落ちてしまっているそうで、首都圏にはほとんど洋館が残っていないのだとか。

洋館で有名なのって神戸とか長崎とか、日本の西側ですもんねぇ……。(長崎は出島があった関係も強いでしょうけど)

そういえば、キャラデザイン担当の美邑さんのデザイン小話にも書かれていましたが、この当時、女性は基本的に和装でして。洋装=舞踏会のドレスであったそうです。要するに、外に着て歩くような方はそうそういなかったと。動きにくいのもありますが、コルセットなどが必要なドレスは、当時の日本人のお嬢さんにはあまりウケなかったわけですね。

現在では「着物の帯の方がよほどキツくない?」という感じがしますけど、元々着物は(少なくとも庶民の普段着としては)そこまでカッチリと着こむ衣装ではありませんしコルセットギチギチにしめあげるドレスが敬遠されるのも無理はないかと。

余談ですが、明治時代になって海外の客が多く訪れるようになり、急に洋風の社交パーティーが開かれるようになりました。教科書でも習う鹿鳴館などが有名ですねー。この時代、基本的に家庭に入るのが女性の通例です。社交術を心得ている女性というのはごく一部でした。

そのため、元から社交術を心得ている芸妓や娼妓が貴族の正妻に収まっていくことが多かったそうです。お貴族様同士で家柄が~なんてやっているイメージが強いんですけど、そうでもなかったんですね。その理由が「女性に洋風の社交術をマスターさせられていなかったから」というのが、なんつーか、THE日本って感じ。

その中で、当時としては珍しい米国帰りの才女「大山捨松」が、鹿鳴館の華としてもてはやされたりしているのですが、結核で亡くなった彼女の長女が今回ちょろっと名前が出てきた徳富蘆花の作『不如帰』のヒロインのモデルだったりします。(捨松さん的には、この作品がヒットしたおかげで、変な風評被害を受けたりして大変だったそうなので、何ともなんですけど)

こういう時代背景を考えると、洋装でパーティーに出て堂々と振る舞っていた佐々城信子に、独歩が一目ぼれして熱を上げたというのもなんとなーく納得できる気がしますね。社交の華は、当時の男の憧れなんだなぁ。

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