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旅立ちの時 "2017/2018 監督3年目"

監督3年目の社会人選手権終了後にデンマークへ旅立った池原綾香。海外移籍に向けての彼女の足跡を少しだけ紹介させてもらったnote。

2017年も6月に入って1週間が経過した。日本代表組は日本を旅立ち、欧州入りした。鈴鹿組は平日は個人能力をあげる事に集中し、週末は練習試合で実戦経験を積んでいる。怪我で戦線離脱しているメンバーも手術やリハビリと向き合い懸命に頑張っている。

そんな中、池原綾香がニューコビン(デンマーク)への海外移籍を決めるニュースが流れた。統一契約書にもサインを済ませ、現地でのプレスリリース&記者発表も無事に終えた。ニューコビンは2016/2017シーズンのデンマークリーグ・プレーオフを勝ち抜き女王の座についたクラブ。これに伴い、2017/2018シーズンの欧州チャンピオンズリーグ(以下CL)の出場権を獲得しているクラブである。未だかつて(2017年当時)、そして男女通じて日本人選手がCLの舞台でプレーしたことはない。

少しだけ、僕が観ていた池原のニューコビン正式契約までの軌跡をここに記しておこう。(当然、本人に了承を得て書いている。そして全てをここに書くことはできないけどね。)

半年程前に池原本人から欧州挑戦についての相談を受けた。そこから半年に渡る入念な準備をし、4月から1週間ほど単身デンマークに渡り、自分の目でデンマークという国を感じ、ハンドボールを感じ、自分の事を現地のハンドボール関係者に観てもらった。

その時に現地でのコーディネート役を買って出てくれたのが3月に鈴鹿にきてくれたデンマーク人のSimonだった。3月の時点で、池原とSimonに接点はなかった。池原はアジア選手権に向けての日本代表活動の為に鈴鹿を離れていたからである。Simonは日本と日本ハンドボールへの接点を求めていた、池原はデンマークでのヘルプを求めていた。それぞれの存在とニーズをそれぞれに伝えた。

海外(ドイツ)でのプレー経験のある僕や梶原の所には要所要所で相談にはきてくれたが、基本的に池原自身がでSimonと日本ハンドボール協会の担当者に連絡をいれ少しずつ話まとめていき、自らの力でデンマークへの歩みを進めて行った。

4月中の話だが、練習を終えて自宅で夕食をとっているとよくFacebookのメッセンジャー(Simon、池原、梶原、僕のグループ)が鳴った。池原が慣れない英文を作って必死にSimonと連絡を取り合っていた。梶原と僕はやれる所までは池原自身でと決めていたので、見守ることに徹していた。池原は「海外に行きたい」と口にするだけではなく、自ら具体的に行動を起こしていったのだ。

新シーズンがスタートする時点で池原の口から海外移籍を視野に入れている事はチーム内でもオープンになっていた。4月末、5月頭の約1週間、単身デンマークへ渡った。渡欧前、「今シーズンの海外移籍の可能性は5%くらいでは?」と池原本人も口にしていた。

僅か1週間ではあったが結果としてこのアクションが大きかったのだと思う。

多くの方に支えて貰っての今回のニューコビン移籍。サポートして下さった皆さんへの感謝の気持ちは忘れないで欲しい。それと同じくらい、今回の正式契約、海外移籍を実現させた自分自身の行動力に自信を持って欲しい。

まだ欧州挑戦へのスタートラインに立ったに過ぎない。いよいよプロフェッショナルのシビアでタフな世界に足を踏み入れるわけだ。だからそこ全てを受け入れ楽しんで欲しい。

池原に限らず、バイオレットのみんなは今、新たな一歩を踏み出そうとしているメンバーが多い。

怪我を受入れ、あるいはコンディションを整える為に手術に踏み切る者。初めてフル代表にチャレンジする者。フル代表で定位置確保に向けて闘志を燃やす者。職場を変えて心機一転頑張ろうとする者。退路を断って鈴鹿に飛び込んできた者。パートナーとの二人三脚へと準備を進める者。バイオレット内でのポジション獲得に向けて目の色を変えている者。

欧州、鈴鹿、病院と活動する場所は違っても、みんなそれぞれの場所で成長していこう。

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